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無手札必殺・白日式

 マシュマロン、まさにそのモンスターを思い出しジャックは口元を押さえた。
 ジャックの様子に鬼柳は首を傾げる。
「どうかしたか?」
「…………いや」
 裏側表示状態のこのモンスターを攻撃することで1000ポイントのダメージ。そしてこのモンスターは戦闘では破壊されない。壁モンスターとしては多少厄介かもしれないが、ジャックのエースカードであるレッド・デーモンズ・ドラゴンの前では脆弱なモンスターに過ぎない。取るに足らないカードだ。
 しかし、今ジャックの手の中にあるこれは、皿の上にこんもりと小さな山を作るこれは、ジャックの魂のカードですら一掃できはしない。ソリッドビジョンではなく現実に、ジャックの目の前に存在している。
「まだあるからな、好きなだけ食べていいぜ」
「…………ああ」
 食べても食べてもまだ出てくる、このあたりが戦闘では破壊されないところに似ている。そして一口で平らげるごとに口の中で広がる、人間の食物にあってはならないような味。そのまま胃の底でわだかまる不快感は恐らく腹痛と呼ぶのだろう。見た目は白く丸く可愛らしく、指先で摘めばふわふわと形を変える。まさにあのモンスターの原型となった菓子。マシュマロだ。
 爛漫たる笑顔で、心からの好意でその白い悪魔を差し出す鬼柳を、果たしてどう受け止めればいいのか。
「美味い、か?」
 ほのかに頬を染めてほんの少し視線を逸らしながら、それでも上目遣いに問うてくる。実にいじらしい仕草だ。美味いか否かの質問の対象が、このおぞましい菓子でなければ。
 しばしの逡巡の末、ジャックは優しい嘘をつくことにした。
「……………………ああ」
 鬼柳の頬が薔薇色に上気した。嬉しそうに頷いてそっと目を伏せる。
 愛おしい。今すぐ腕の中に囲ってやりたい。だがそのためには立ち塞がるこの白い壁を破壊しなければならない。
 今日はホワイトデーだから。初めて作ったし、美味くはないかもしれないけど。
 そんな枕詞と共に気弱な態度で差し出されれば、ジャック・アトラスとしては平らげることで活を入れてやる他ない。二度の死の末に少し臆病になってしまった鬼柳を、ジャックは救ってやりたいと思っている。
 ――という、高尚な話ではない気がする。ジャックはまたひとつ、マシュマロを摘み上げた。一刻も早くこの白い壁を打ち壊して、向こうでちいさくなっている鬼柳を抱き締めてやらなければならない。
 腹痛の末に倒れたとしても、鬼柳がきっと付きっきりで看病をしてくれるだろう。自分のせいで、と気を病むかもしれないが、その時はまた強く抱き締めてそんなことはないと伝えてやればいい。そして初めての菓子作りならマシュマロなどではなく、もっと無難なクッキーあたりにしておけとも。壁さえなければいくらでも抱き締めて伝えてやることができるのだから。
 強く胸に誓い、ジャックはまたひとつマシュマロを口に放り込んだ。じゃぐり、とマシュマロにあるまじき音がする。
    2013.3.14
     (さとー先生によるホワイトデー無手札必殺テロ
     →某方が素敵に解釈
     →一部拝借。姉様許可ありがっと!)

viva voce

 調子外れな鼻歌が流れていることにルドガーが気付いたのは随分と経ってからのことである。
 昼なお光の差さない薄暗がりの一室。人目に触れないようB.A.Dエリアの最深部に構えられた居城は奉ずる神々が好む故、と明かりを抑えられているが、それでも陽の昇る時間であれば灯を入れる必要もない。墨を落とした水のような空気に、濡羽色の細い背中が浮かんでいた。
 今この城を拠点にしているのはダークシグナーであるルドガーともう二人。その内の一人がこの鼻歌の主だった。自分やもう一人と違いダークシグナーとしての自覚が浅く、神への忠誠や使命感にも乏しいため何をするでもなく常に暇を持て余している。今日もフラフラと広間へ入ってきたかと思えばルドガーから椅子三つ分ほどの間を開けて座り込み、机に顎を乗せて退屈そうに欠伸を噛み殺していた。騒ぎ立てるでもなくただいるだけだったので放っておいたのだが、歌い出しにも気付かないほどこの男がこの場の空気に溶け込んでいたとは。
「――……」
 ルドガーの視線に気付くことなく、歌は細く長く続く。基本、静寂には程遠い男だ。口を開けば低く這う声でかつての仲間への恨み言を繰っているか、狂ったように高笑いを続けているかで、こんなに静かに声を紡げるとは思いもしなかった。
 書を閉じてまじまじと視線を注げば、髪の触れ合う音にか銀の頭が振り返った。
「……ンだよ、オッサン」
 まるい輪郭の頭が傾ぐ。つられて揺れる銀の髪。薄闇に鈍くきらめく銀糸の下には、居心地悪げに顰められた白皙が覗いていた。
 この男にしては大人しい反応である、と、ルドガーは感心し、はたと気付いた。薄い昼の闇と銀糸の間に赤く染まった耳が隠れている。無意識の内に口ずさんだ歌を他人に聞かれたのが恥ずかしかったのだろうか。この男にそんな人並みの羞恥心があったとは驚きである。
 思いがけない事態の二乗にしげしげと見つめれば、心なし潤んだ瞳が釣り上がる。
「ンだよっつってんだよ、文句があんなら言えよ!」
「…………いや」
 恐らく照れ隠しであろう吠え声に返した言葉は、ルドガー自身意図しないものだった。
「続けろ」
「はぁ?」
「いいから続けろ」
 そしてこの沈黙である。
 生者ならざる瞳を瞬かせて、男はじっとルドガーを見つめている。意図を図りかねているらしいが、ルドガー自身無意識に口にした言葉なので無駄な行為であった。内心でその無駄を嘲る余裕が見つからない程度にはルドガー自身も今の沈黙に動揺している。
 やがて白い面はほんのりと朱に染まって、また銀が揺れた。ああ、うう、という呻きとともに頭と視線を巡らせている。やがて落ちどころを探すことも諦めたのか、ことりと下へと垂らされた。
「……意味わかんね」
 まったく同意する他ない。ただしお互い同意も慰めも必要なく、細い体はぐるりと回ってルドガーに背を見せた。見るともなしに見やれば、微かに先程と同じメロディーが聞こえてくる。
 鼻歌では判じかねるが、そこそこに上手い。微かな声で密やかに紡がれるそれはやはり彼らしくなく繊細で、ふとこの男が死んでいることを思い出させた。
 けれど儚くもない。憐れでもない。この男が平生恨みと高笑いで動いているから、ではなく、事実としてただお互いに死体であると想起させる。不思議な音の連なりである。
 思案する間、ちいさくリズムを取る後頭部に無意識に伸びていた手に気付き、ルドガーは緩く腕を下げた。もし触れればこの男はいつもの調子で喚き出して、歌うことをやめてしまうだろう。薄闇に刷くように続くこの歌が途切れてしまうのはどうにも惜しい、ように思える。
 結局ルドガーは目を閉じて、歌う死体を視界から追いやった。世界が闇に沈む間際、光差す廃ビルの影で陽気に歌う男が見えた気がしたが、それこそ憐れな幻想である。
    2013.4.1
     (これのセリフリメイク)

いけるしかばね

 サテライトでは飽きるほど転がっていたものだが、遊星は嫌っていたし、手を染めたこともない。チームに属していても巻き込まれるのもゴメンだと、極力避けて通るよう上手く立ち回ったものである。
 とはいえいざというときのためと一応の手法は学んでいた。当時は何の役にも立たなかったが、今、学んでいてよかったとつくづく思う。少し場所を外すと気を失うのではなく痛みに悶絶する羽目になると聞いたものだ――鬼柳本人に。遊星は自分の肩に額を預けて気を失う鬼柳を抱え直した。
 暴力に訴えかけて相手の自由を奪うなど許される行為ではない。しかし罪悪感と厭世感と、自暴自棄に囚われている鬼柳は遊星の声に耳を貸さないのだ。こうでもしなければ鬼柳は木偶のようにマトックを振り続け、この薄暗い鉱山で緩慢な死を迎えることになるだろう。それだけは止めなければならない。もう二度と仲間を、鬼柳を失いたくはない。
 そのためにもまずはこの場を脱しなければ。グズグズしていては二人して監視に見つかってしまうだろう。抱え直したばかりの鬼柳の腕を取り、自分の首へと回させる。少しばかり手こずりながら背負う姿勢へと変える。そこで遊星は眉を顰めた。
(……軽い)
 軽いのだ。鬼柳は遊星より上背があるし、何より気を失った人間は思う以上に重いものなのだが、あまりにも軽すぎる。
 死を望むあまり食を疎かにしているのだろうか。ラモングループを長いこと勝利させていると聞いたから、あのラモンという男がそれなりに世話を焼いて、正しくは商売道具を長く持たせるために、そのあたりは管理していそうなものだ。羽振りもよさそうだったし、鬼柳本人の意向はともかくサテライト時代よりはずっと食に恵まれているだろう。それでも背に感じる重みは、貧困に喘いでいた当時の鬼柳よりもずっと軽い。
 まるで腕に抱いた鬼柳が砂になってしまった瞬間のような。
 水分を失って干からびてゆく死体のような。
 ぶるりと、遊星は自らの想像に身震いする。背負う鬼柳の体が熱を失った、冷たい、何か抜け殻めいたものになってしまったように感じてしまう。
(そうはさせない)
 させてなるものか。
 サテライトという絶望しかない吹き溜まりで、未来を、希望を持つことを教えてくれた。鬱屈としていた自分たちを救ってくれた鬼柳。道を違え、二度も失った。果てのない喪失の末、奇跡を重ねて戻ってきてくれた鬼柳。今度こそ救ってみせると誓って、自分はこの辺境の町まで赴いたのだから。
 だらりと力なく垂れる鬼柳の足をしっかりと抱え直す。失う恐怖はもう考えない。暗くじっとりと死の蔓延るこの地を、生きて、二人で、出るのだ。遊星は出口を求めて一歩踏み出した。
    2013.5.22

シューター

 あ、しまった、と思う瞬間はつまり後の祭りなのだ。鬼柳は後悔と恐怖と驚愕と納得と、四方から責められて辛うじて直立を保っている。思わず口元を覆いかけて、それも勿体ないなど的外れなところに思い至り、結局右手は中途半端な高さでぴたりと動きを止めた。
 少し酒が入りすぎた。調子に乗った。何せクロウに会うのは随分と久しぶりだったし、そもそもクロウが鬼柳のことを訪ねてきてくれるのは初めてだったのだ。鬼柳はずっとクロウは自分のことを好いてはいないのだろうと思っていたから、この訪問は予想外でしかなかった。更に(クロウにとって、とか、クロウに対して、という意味で)悪いことに、そう思いながらも鬼柳はクロウのことがずっと好きだったのである。言うまでもなく、遊星やジャックやニコやウェストに向けるものとは違う、だいぶよろしくない欲を孕んでの“好き”だ。
 調子に乗るのもアルコールの勢いで情欲をつい行動に移してしまうのも仕方がないと思う。思うのだがそれは鬼柳にとって、という話でしかなく、つまり言い訳みたいなものだった。鬼柳はようやく、そろそろとクロウの顔を見つめた。年月を経ていくらか身長の伸びたクロウだったが、相変わらず並んで立てば鬼柳のほうが上背がある。しかし今はマスターを失くして無人になったバーカウンターで二人肩を並べていて、常の身長差はほとんどない。
 暖色の照明に、クロウの明るい髪はますます艶を持って照り返している。その下の目鼻立ちは濃く影を浮き上がらせていて、一層男らしさを引き立てていた。表情は――肝心の表情は、分からない、単純な言葉にすると「ぽかんとした」とか、そういう間の抜けた表現が一番当てはまるのだろうか。鬼柳と同じように中途半端に手を持ち上げている。その手が何をしようとして止められたものなのか、あまり考えたくはない。少し視線を下げる。
 自然、薄く開かれたクロウの口元へと目が行く。どうしようもなく甘い舌先が、意図せず己の唇をなぞった。飲み差しのカクテルは甘すぎたし、思わず吸いついてしまったクロウの唇はもっとずっと甘かった。妙にふわふわする思考は醉いゆえか、焦がれていた相手に初めて口づけたからなのか、これで終わりだという自暴自棄からか。まともな判断ができないながら、鬼柳はこんな自分を浅ましいと思う。クロウは嫌だっただろうに。男と、自分なんかとキスするなんて。
 沈黙の時間は長く、その時間の分鬼柳の思考は悲観的なものへと傾いていく。つまり鬼柳だけでなくクロウも何も言えないまま何事かを考えているということだが、鬼柳にとって喜ばしくないことだけは間違いないだろう。
「あ、あのさ、クロウ」
 先を促すことも茶化して男同士のキスの感想を求めることも、謝ることもできないまま、鬼柳は膠着した時間にけりをつけようと、ようやく観念した。この長年の恋もきっと、クロウに蔑まれるより鬼柳自身が埋葬してやるほうがうつくしく眠れるに違いない。
 クロウの肩がぴくりと揺れた。クロウの薄く開かれた唇と、どこか丸みを残すライン、綺麗に筋の浮いた首にまた恋情を募らせ欲情するのだが、鬼柳は身を投げる思いで固く目を閉ざす。正面を切って伝えるだけの勇気もない。
「俺、お前のこっ――」
 悲壮感を詰め込んだ台詞は濁って吸い込まれた。
 鬼柳は目を瞬く。目の前に濃い影が落ちている。暖色に綺麗に浮かぶ影は先ほど見とれていたものに相違ない。ずっと近くなった影は、クロウの瞼の陰影を作っている。
 声が出せるのなら、鬼柳はよほど間の抜けた声を出していただろう。恐らく「え?」とか、「どうして」とかになっていただろう声は、残念ながら断たれた言葉と一緒に飲み干されていた。口内に残るカクテルの甘さが尋常ではない。ぬるりと鬼柳の舌を絡めとって吸いついて飲み下していく。
 それがクロウの舌に絡め取られて、クロウの喉を通って、クロウの胃に滑り落ちたと理解した瞬間、鬼柳は危うく気が飛びかけた。
(なんッ、なん、な、な……なんで!)
 主の動転を捨ておいて、中途半端に浮いていた鬼柳の手はクロウのジャケットに縋りついている。応えるように肩と腰を抱くクロウが理解できない。息もできない。クロウはきちんと息継ぎの間を与えてくれるのだが、舌と舌に絡まる甘味を余さず飲み下すのに必死で呼吸など二の次だ。
 恐らくもう沈黙と同じだけの時間をこうして埋めているのだろう。つまり醉いに乗じた鬼柳からの口づけ以降、まともな会話は交わされていない。クロウが何を考えているのか、嫌われているとまで思っていた鬼柳に理解できるはずもなかった。早く言葉を聞かなければ。このままで自分の都合のいいように勘違いしてしまう――冷静でいられない理性が辛うじて叫ぶのだが触れ合う唇の甘美に抗うことができず、鬼柳はひたすらにクロウからのキスを貪った。
 カウンターに打ち捨てられたグラスが汗を掻いて、これで終わりとばかりに雫を垂らす。暖色にきらめく水滴には、逆さまになった鬼柳とクロウの影が映って散った。
    2013.5.23

お前の心臓を手のひらにお乗せ

    ※切断、というか気分のよろしくない話

 鬼柳には、右腕がない。
 正しくは上腕が残っていて、肘から先がないのである。鬼柳自身はダークシグナーの証だった巨人の痣と一緒にごっそり持っていかれてしまったのだろうと思っている。ドラゴンヘッドの痣を持っていたらしいルドガーの左腕も、こんな感じだったのだろうか、鬼柳は今更ではあるがぼんやりと考えている。
 右腕がないというのは実に不便だ。鬼柳はもともと右利きだったので食事や書きものの時に苦労するし、そうでなくても片腕で更衣や排泄を行うのは難しかった。
 それでも左腕が残っているのだから何とかなるだろうと思っていたのだが、なかなかに甘い考えだとすぐに思い知った。ちっとも力が入らないし、右腕の動きをそのままなぞっているのか左右反転して動かしてしまうこともある。こればかりは慣れですからと鬼柳の右腕を診た医者はいった。
 鬼柳の右腕を医者に診させたのは遊星である。長い死者の生活から戻ってきた鬼柳を遊星は誰よりも喜び、そして失ってしまった右腕に絶望した。鬼柳は自業自得の結果だと思っているのだが遊星は自分のせいだと責任を感じているようで、鬼柳が生者として戻ってきて以降、ずっと手厚く世話を焼いている。
 一度死ぬ前の鬼柳であれば、遊星にこんなに世話を焼かせて申し訳ない、と思っていただろう。けれども今の鬼柳は死んでしまって多少は人が変わったのか、それとも右腕の喪失が思う以上にショックなのか、いろいろな事象に対する感情が鈍ってしまっている。そんな 鬼柳にもし恐怖していることがあるとするならば、それは右腕が失くなってしまったことではなく、デュエルができないことだ。
 左腕にデュエルディスクを装着しても、右腕でカードを操ることができない。ディスクを台にでも置けばいいと思ったし、すぐに遊星がそのような装置とでもいえばいいのか、とにかくそれらしきものを作ってくれたのだが、手札を持つ、そこからカードを選ぶ、という一連の行為を片手で行う困難さを散々味わうことになった。
 鬼柳にかつてサテライト制覇に臨んだような熱意があれば、あらゆる手を講じてデュエルをする方法を探しただろう。実際初めのうちは鬼柳も手段のひとつとして、遊星やジャックやクロウにカードを操ってもらい、ちょっとしたタッグデュエルのようなこともしてみたのだ。
 けれどそれは鬼柳がかつて生きるに等しい行為だと見なしていたデュエルではなかった。デッキさえあれば生きていけるような世界でもなかった。
 何より鬼柳は、もっとよく生きようとか右腕の代わりになるものを見つけようとか、そういうプラスの感情をすこしずつ、すこしずつなくしてしまっていたのである。
 砂時計の上から生が零れ落ちて、下には暗く重たいものが積もっていく。それが死している間、親友たちや何の過失も関わりもない人間たちを相手に犯した罪の記憶として落ち切ったとき、鬼柳は遂に人らしさを失った。
 そして今日も、ただ呼吸をするだけとなった片腕を失くした生きものに、遊星は甲斐甲斐しく世話を焼く。
 朝日が昇れば寝間着から鬼柳を着替えさせ、食事のすべてを介助する。食事の後はトイレへ連れて行き、ズボンの上げ下ろしを行う。自発的に何もしなくなった鬼柳のために、残った左腕を抱えて散歩へと連れ出す。
 最早ただの介護人となった遊星と生きているだけの鬼柳を、ジャックもクロウも憐れむような目で見ている。
 それでも遊星はそれなりに幸せである。散歩の合間に大きな木の影に二人で座り込み、ぷっつりと先の失くなった鬼柳の右腕を取り、そっと触れるように口付ける。
 鬼柳も恐らく、それなりに幸せだった。砂時計の砂が落ち切る前に、このままだとおれはきっと木偶になってしまう、片腕では自ら命を絶つのも難しいから手伝ってくれと、鬼柳は遊星に嘆願していた。遊星は重々しく、それでもすぐに頷いて、鬼柳にこう告げた。
「分かった、手伝おう――鬼柳は生きたまま、死んでゆくといい。俺はずっと、お前が死ぬまで隣にいて、お前が死ぬのを手伝ってやる」
 鬼柳は頷いて、そうして最後の砂がぼろりと落ちた。
 鬼柳の願いは叶っている。遊星も鬼柳のそばにずっと、死ぬまでいることを赦されているのだからしあわせである。ジャックもクロウも何を悲しげに顔を歪めることがあるのだろうか、俺たちはお互いに願いを叶え合っているのだからあいつらももっと喜んでいいはずだ。遊星は常々こう思っているのだった。
    2013.5.29
    2013.5.29 up