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彼は誰の青と泳ぐ

 海に花を投げる白い大輪の百合とかとした菊とかそういう綺麗な花ではない束ねられてすらいな切り揃えられてもいないここに来るまでの花壇から適当に毟てきた花だ名前も知らない花は大小も色も不揃いで投げ込んだつもりが海からの風に攫われる弁は何処かへ吹き飛びあるいは狙い通りはらはらと海面に舞い落ちる 凛は海に浮かぶ花弁をじと見つめるコンクリ丨トで固められた埠頭から見下ろす海はまだ浅く恐れなど知らぬ気に朝陽を受けて煌めいている けれどこの海は恐ろしいものなのだ黒く波打つ塊だ震えを押し隠した声で海は魔物だと呟いた男を思い出すその通りだ全くその通りだ 何よりも誰よりも近しく己の生きる意味でもある海凛は海に生きるべくして生まれた彼らもそうだ海は彼らのやがては自分の死すべき場所だ この海に生きて死ぬそうでなければ凛という存在に何の意味もない俺はまだ泳ぎ続けてみせる 知らず拳を固める引き千切られた花の青い匂いが掌で強く香る 陸で死ぬなど真平だ愚鈍なまでに速さを求め只管泳ぎ続ける凛を誰かが鮫のようだと例えたことがあるしかすると今花を捧げた内の誰かだたかもしれないなやかにしたたかに泳ぎ続け立ち止まれば死んでしまう生き物に例えられたことを凛は妙に面映ゆく思そんな記憶があるならば死ぬまで前に進むことを止めはすまこの顎で獲物に喰らいつき屠り貪り続けてみせるこの海で命尽きるまで 秘めた苛烈な誓いなど知らぬとばかりに海からの風は柔らかく凛の頬を撫でる眼前の海も朝陽をきらきらと波に映し憎らしいほど美しく穏やかに揺蕩ていた



凛ち凛ち しばらく海を眺め日課のランニングを規定通りこなし鎮守府庁舎に戻て早既に聞き慣れた声と落ち着きのない靴音が朝の静かなロビ丨に響いた静かにしろと告げるつもりで顔を上げれば口を開くよりも先に騒音の塊が胸に飛び込んでくるどこ行てたのもうぎさお前なあ 咎める声は勢い圧迫された肺に押し潰されいくつかの空咳となて消えた咳き込む勢いが強すぎて涙まで浮かんでくるふわふわとした栗毛とは対照的に弾丸のような鋭さで抉り込んでくる頭を凛はぼやける視界の真ん中に捉えた 渚は型こそ違うものの凛と同じ駆逐艦だ遠い昔に建造中止となた艦と同じ葉月の名を冠している就役は凛のほうが一年ほど早くつまりこんな扱いを受けてはいるが客観的には凛が先輩で渚が後輩にあたる 咳き込む凛に気づいていないのか渚の栗色の頭は未だぐりぐりと胸に擦り付けられている凛の目線よりも低い位置にあるそれを掴んで引き剥がせば可愛らしい面立ちに精一杯の怒りを湛えて迎え撃たれたまた海に行てたんでし悪いかよランニングのついでだ悪くないけど良くないよ 野苺みたいな色の瞳がぐしりと色を滲ませる凛がぎとするより先に潰れた果肉は顔ごと下方へ逸らされ
凛ち昨日帰投したばかりじないひとりでまた 震えて消えてしまいそうな声だ 凛と渚の付き合いは長い世間的には先輩後輩という関係ではあるが周りを寄せ付けない凛に厭うことなく懐いてくる渚はいつの間にか凛の数少ない友人のひとりしくは可愛い弟のような存在となていた私的な付き合いのみならず同じ作戦に投入されたことも何度かあるけれど同じ隊に配属されたことはなか凛はそれを幸いだと思ている渚もその理由を知ている 渚が言う通り凛の所属する駆逐隊は昨日作戦から帰投した一人で回避行動の隙間に何とか掻き集めた僅かばかりの仲間の遺品とともに 単艦で帰投した唯一の生き残りこれをして隊と呼ぶ滑稽さを凛は今まで幾度も経験している 凛は僅かに肩の力を抜いた目の前ではまだ渚が視線を落として震えている凛ちんが一人で帰てきて海を見てると僕は凛ちんも凛ちんまで沈まね丨よ 俯く頭に凛はやわく手を乗せる渚の震えがひたりと静まる 渚にはその先を言わせたくなか凛自身がどう考えているかだ渚は知らなくていい 乗せた手のひらで栗毛を乱暴に掻き混ぜればうわわと気の抜けた声が上がる凛の手を振り払て再度持ち上た顔は幼さを残した面立ちによく似合う膨れ面だ凛ち俺より自分の心配してろよお前はこないだの戦闘なんだあり提督の采配も良くなかたが今みたいな泳ぎのままじいつ沈むか分かんねえぞ沈まないよ 僕の泳ぎは凛ちんに教えてもらたんだからていうか凛ちんまた提督の悪口 渚はそこまで呟いて突然あと声を上げた何事かと訝る間すら与えず凛のジ丨ジに覆われた腕をがしりと掴ぐいと引いて歩き出す先ほどまでの弱しさはどこへ行たのか実に傍若無人な振る舞いである 渚の言うこと為すこと考えることが秋の空よりも変わりやすいのは凛とてとうに承知している承知はしているが説明もされずに大人しくされるがままの凛ではない数歩たたらを踏んでその場に留まる渚は焦た様子で凛を振り返るぐいぐいとジ丨ジを引て急かされた何してんのさ凛ち 急いでいやお前が何なんだよ急に本日マルキ丨マルマル 岩鳶鎮守府に新しい提督が着任するの 口早に告げられた言葉を受け凛はロビ丨に飾られた大きな柱時計に視線を向けた剥がれかけた金メキに彩られた短い針は八を過ぎたあたり精緻な細工が無駄に施された長い針は五と六の間を指している 言われてみれば昨晩そんな話を聞いたような気もする提督の新規着任などというそれなりに大きな予定は普通はもとずと先少なくとも凛が今回の作戦に出る前ぐらいには立てられているものだ末端の駆逐艦には預かり知らない上層部での決定は相変わらず要領を得ないものだと凛は思う とにかくそんな急の予定を帰投したばかりで聞かされて覚えていられるわけがない昨晩は押し寄せる疲労のまま眠りの世界に落ちたため尚更だ 提督が新たに着任する場合鎮守府に所属する艦は可能な限りこれを出迎えるのが習わしであるしかもご丁寧に帝国海軍の正装で整列してだ華美過剰な歓迎は敬遠さ
れるもののそれなりの体裁は必要だというのだからまた面倒臭い できるなら昨日までの疲労を言い訳に不参加としたい単に面倒なだけでなく凛は提督という存在をあまり信用していなか加えて凛のあまり良くない来歴もある駆逐艦松岡の名だけ聞き及んだ人間が凛に対してどのような心象を持ているかなど想像に易い つまりただ煩わしいだけではなく公の場に出たくないのだ隊の同胞を失たばかりの今は特にその思いが強新たな提督の着任を喜ぶ席などと針の筵と変わらない 凛が渋面を浮かべた瞬間渚は図たように笑みを浮かべた落ち着きのない渚ではあるが凛のことをよく知て気遣う懐の深さを持ているそして凛は考え過ぎだとと己を誇示し周囲を頼るべきだと思ているらしい渚からすれば新たな提督の着任は凛にとての好機に見えるのだろう今までだてそうだ 僅かに凛が身を引けば渚はこれまで以上の力強さで凛の腕を引く改めて見上げてくる弟分の笑みは逃げられないと悟るには十分過ぎる実に眩しい笑顔だ

提督が鎮守府に着任しましたこれより艦隊の指揮を執ります︱︱ 幾度も聞いたお決まりの台詞にと軍靴の滑る音が重なる正門から庁舎の玄関までずらりと並ぶ他の艦に紛れながら凛もやる気なく踵を鳴らした 幾度も繰り返し少しでも乱れる度に叱責を食らいつつ身に覚えさせられた仕草だ既に本人の意思を離れていてタイミングを誤ることも過剰に音を立てることもないだしやる気のなさは伝わるのか隣に立つ渚の胡乱な気配だけは感じた 脇を小突くどころか視線を滑らせることすら許さない空気を凛は今この時だけありがたく思う内心はこんな意味のない形骸化したお出迎えなどさと終わてしま外から見た姿勢さえ崩れていなければ何を考えていようと個人の勝手である快晴だろうが嵐だろうが新規着任の度に空の下に立たされてお行儀よくゆたり登庁する提督を出迎えさせられるこの時間のなんと無駄なことか 儀礼未満の習わしに無理矢理意味を見つけるならこの時間を越えることで指揮官が変わるということか前任の提督は采配に危うさのある端的に言えば無能な男だ扱いづらいと悪名を馳せる自分はまだしも軍司令部の要求を存分に満たした性能を持つ渚を危険に晒したような愚図だあれよりも使える人間ならばいい 曲がりなりにも歓迎の場で凛は不遜な思考にどぷりと浸りながら上官となる人間が通り過ぎる瞬間を待つ門よりも玄関に近い位置に並んでしまたせいで待つ時間がやたらと長く感じられた元来じとしているのが苦手な性分もあて息が詰まる滅多に着ない帝国海軍軍服の詰め襟が拍車をかけているし白いリンネルはさらさらと肌に触て落ち着かないいつものジ丨ジに着替えて走り込みにでも行たほうがまだ有意義だと凛はつくづく思 苦痛に忍ぶ凛に応えたものかようやく花道をゆく軍靴の音が近づいてきた 茫洋と開ける凛の視界に白い影がするりと滑り込む肩章やら袖章やら凛の着用しているものよりずと装飾の施された軍装に身を包んでいるのは例に漏れず男だ 背丈は凛と同じぐらいだろうか軍帽のつばから覗く前髪は艶やかな黒壇色でまばらに散た髪の隙間に青い瞳が透けている意志の強そうな輝きを秘めた瞳凛は見咎
められない程度に密かに息を呑んだ 海だ 海をつかまえて閉じ込めている 凛が畏怖する生と死の塊ではないとずと幼い頃に憧れたうつくしく凛を迎えてくれる母の優しさで揺れる海が瞳に揺れている 水面に光が差す前ばかりを向いていた名前も知らない男が凛を見ている鮮やかな青に閉じ込められる
 ︱︱りん
 まだ聴いたことなどないはずの声が凛の名前を読ん 提督を先頭とした列は凛の前を過ぎと庁舎の中へ消えていくすうと真直ぐに伸びる背が完全に見えなくなり観音開きの扉が重厚な音とともに閉ざされることでようやく直立していた艦たちに自由が許される緩やかな脱力と新たな司令官への好奇とで鎮守府に静かな喧騒が戻てきた あれだけ待ち侘びた自由な時間が戻ても尚凛はその場で立ち尽くしていた 本当に声が聞こえたのだろうか唇が動いただけだのだろうかそれともまだ完全に疲労の抜けていない凛の呆けた頭が見せた勘違いなのだろうか凛は新たに岩鳶鎮守府の提督となたあの男のことなど知らない見たこともないし名前だてまだ聞いていない声なんてもの他だ けれどあの一刹那確かに男と凛の何かが交差した あの男は艦である松岡ではなく凛をとして見ていた 知るはずのない凛の名を確かに呼んだのだ︱︱ち凛ちどうしたの凛ちぼ丨としてもう終わたよ 小首を傾げて見上げてくる渚に適当に頷いて返すのくるくると動く目にようやく非現実から引き戻された気分だ 地に足がついていることを確かめるように凛は上等な靴底で路面を擦る白昼夢とか何かに化かされていたととにかくそんな気分だ今ここにいるのが自分自身だと何故だか確かめたくな 凛ち 凛の素行を見咎めて足元を注視していた渚が再度顔を上げる 自分たちの名前だそれは強いて例えるなら人であることを指していて艦を運用する人間たちは基本的に呼ばない名前だ彼らにとて凛たちはでもでもなく公的には駆逐艦松岡駆逐艦葉月なのだ だから今の渚のように凛をと呼ぶ者は限りなく少ないもちろん凛たちの人格を認め正式な場でなければ親しみを込めて名を呼んでくれる人間も大勢いるしかしそれは公にはない自分たちが勝手に名乗ているものだからこちらから直接名を教えない限りありえない属艦の一覧を見たところで艦としての名しかそこにはないのだ同じ艦同士だて直接の面識がなければ艦名しか知らないのだから提督たちなら尚更のことだお前あの新しい提督のこと知てるかさあ初めて見る人だと思うけどでもなんかかこいいよね まだ閉ざされたままの扉に熱い視線を向けながら渚は弾んだ声で答えた
 渚も知らないのであれば彼の口から伝わたということも考えにくい仮に渚から凛の名前を聞いた者がいたとして更に他の誰かに凛の名で話を持ち出すこともそうないだろう渚の他に松岡ではなくの名を持ち出す者は︱︱一人だけいるにはいる 凛は眉間に皺を寄せたまま考えを巡らせ結局頭を振て終わりにした凛の勘違いの可能性の方が高いのだにあの提督が凛の名を知ていたとして艦名でなく呼ばれる理由もないた頭のついでに詰め襟の中に押し込められた首をぐるりと回す部屋戻ると待てよ凛ち 締め切られた正面玄関を横目に凛は宿舎の方へと足を向けた堅苦しい真白い軍服など汚してしまう前に着替えるに限る渚の軽快な足音が後ろに続いた

 早に脱いでしまた軍服を凛は半刻もしない内に再び着る羽目にな駆逐艦松岡出頭致しました 名を告げて挙手の礼を取れば本日着任したばかりの提督は椅子に座したまま緩く片手を挙げる凛は両腕を後ろに回し軽く足を開く姿勢を取る 主が交代したばかりの執務室には最低限のものしか置かれていない資料の詰また飾り気のない棚がいくつかと簡素な作りの洋服掛けしりと構えた執務机そして部屋の隅に大きめの段ボ丨ルがたた一つ段ボ丨ルは持ち込まれたばかりで提督の私物が詰まているのだろうまだ荷解きもされていない そんな質実ばかりが目立つ部屋にあ主となた人物は一際鮮やかだ白い軍服は汚れ一つなく遠目に見ても糊が利いているのが分かる正装なのだから当たり前なのだが目の前の男はそんな当たり前を更に清冽に着こなしていた重たげな胸章すら彼の胸では涼やかに輝いて見える 何よりも瞳だ凛の心を一瞬で射抜いたあの青い瞳 室内のためか軍帽は机上に置かれていて先程よりもはきりと男の目が見えた澄んだ海の色をしたギヤマンの瞳には凛しか映ていない二人きりの執務室で机を挟んで対面しているのだから当然だ当然なのに頭の芯がじんじんと痺れたような錯覚にとらわれて落ち着かない 対面の男にじと見つめられていたと凛が気づいたのはかなりの沈黙を置いて提督が口を開いた時だ︱︱覚えてるか 勘違いのように聞こえた声よりもずと低くと澄んだ声だ 凛が聞いていた声とは少しちがう あの時の声よりももう少し大人びているような︱︱はあ 自分の中に生まれた齟齬に気を取られている内に凛の頭だけはきちんと言葉を受け取そして唐突な切り出しに疑問で返したしまたと思うも遅い凛の口は勝手に既にぽかんと開いて不敬でしかない声を上げてしまている 動揺に強張る凛の顔が男の青い目に映ている海の色が僅かに和んだいい今は俺とお前しかいないし半分私用みたいなものだです 慣れない敬語に舌先がもつれる正式な場ならともかく鎮守府において司令官と艦の関係は案外と緩い艦名ではなく個人の名前を親しみを込めて呼ぶ提督がいることもその一つだ提督に懐いた艦が執務室を我が物顔で出入り
したて咎められやしないし大きめの机を持ち込んで提督と何人かの艦が食事や間食を共にしている場面だて見たことがある元より敬語が浸透しない程度には気安い関係なのだ凛がそんな関係を築いた人間が今までいたかどうかはともかくとして とにかくそんな緩い関係が半ば認められていたとしてもだ渚あたりならばともかく初対面の上官相手にいきなり普段の口調で話せるほど凛は朗らかにできていない どうするべきかと口篭れば提督は微かに嘆息したと指を伸ばして机上の書類を捲るお前の性能諸元と艦歴を見させてもら 意味不明な切り出しから私用みたいなものという言葉に気を抜いていた凛は僅かに身を強ばらせた 凛の艦としての性能は新しい士官が着任する度にまず話題にされる通過儀礼のようなものだそれが凛にとの誇りで針の筵に似た苦痛だと眉間に力を込める最大速力40.9航続距離は第一戦速で6,000帝国海軍一の速力を持ちながら航続力も失てない加えて五連装魚雷発射管三基十門雷撃能力も申し分ない理想的な高速駆逐艦だなありがとうございます 喉の奥で苦い塊がつかえている無理やり飲み下し凛は心にもない礼を述べる 恐らく凛の性能褒めたのであろう男にこちらの内心を察した様子はない恐らくというのは男の視線は書類に向けられたままだし声の調子も水を打たような静けさを湛えているからだ 書類を捲る手がひたりと止まる男の青い視線が再び凛を捉える思わず唾を飲んだ来るこれだけの性能を有していてこの艦歴は何だ 自分の力不足だ他の言葉を凛は持ていない他の理由など口にできない いけないとは分かていながら凛は視線を逸らしてし視界の端を過ぎた新任提督の逃げを許さない色が鋭く刺さる けれどこれは当然だ凛は責められるべきで新たに凛に采配を振る人間なら疑問に思て然るべきことでして沈んでいた僚艦たちの痛みと冷たさはこんなものではない随分前の単艦での輸送任務は間違いのない働きだが降ほとんどの作戦で敗走それどころかお前以外の艦は大規模破損もしくは全滅昨日帰投したばかりらしいがこれもお前が唯一の生き残りで間違いないなはい だから凛は朝海に花を投げに行 戦地はもとずと遠い南の海でて投げ込んだだけの花が届かないこともこの行為に何の意味もないこともよく分かているそれでも守れなかた仲間たちを思うと凛は花を捧げずにはいられないのだいつもいつ 基本的に凛たち駆逐艦は対潜と対空を担い司令塔である旗艦や艦載機を有する空母大火力を備え艦隊戦の主力とも呼ばれる戦艦を護衛する役目を持つ凛の速さは誰かを守るための速さだ高速で水上を駆け敵艦の撹乱と確実な殲滅を遂行するのが凛の設計思想だ なのに凛はいつも誰も守れない 速さだけ凛の傍らに残その速さが凛を縛ていく 艦隊を守れず単独で帰投する凛を影で疫病神と呼ぶ者がいることは知ている就役時にはあんなにちやほやしてきた軍の人間たちが今は速いばかりで扱いづらい艦だと凛を認識していることも性能ばかり抜きん出て役に立たないと思われていることも他の艦たちから距離を取ら
れていることも全部弁明はないのかありませんすべて自分が至らなかたせいです 言い切対する男を真直ぐに見返したこの答えが全てだと示すために 男は凪いでいた今朝花を投げた海よりもずと澄んで輝く青で凛を見返している 凛は海の底を覗きながら同じだけ海に見返されているような気持ちになこの海はやはり恐ろしいものではないむしろ心地良く懐かしいものだ懐かしいとはそうか 過ぎる言葉は疑問になる前に静かな声に遮られるけてごとりと椅子が引かれる音しなやかな仕草で提督が席を立つ硬い軍靴の音と共に三歩で間を詰めて凛の真正面で立ち止ま 海の色が近い近すぎて胸の奥がざわざわする それでも凛は視線を逸らさない丹田に力を入れるし低い位置にある男の瞳を受け入れる今日からは俺がお前たちのお前の指揮を執る 新しく提督になたばかりのまだ名前の知らない男はと告げる提督としての決意を語ているのだろうか けれど凛には男の言葉がと違う意味を持ているように思えてならない着任早まだ荷物も解いていない時分に凛一人だけを呼び出したその理由もここにあるのだろうお前は俺の指示の全てに従え常に傍にいろお前の持てる限りの速さで泳げそうすればあの時のいや 青の中を小さな影が泳いだ影はぐるりと渦を巻いてと大きな形を取る 今現在向かい合う凛の姿がそのまま瞳に映ている見たことのない景色見せてやる それは俺がお前に言た言葉じないのか 凛は瞠目し動揺する俺がお前にとは何だ これは凛ではないそしてこの男でもない別の誰かの台詞だ確かあいつのそうだ俺がこいつにだからお前ももう一度見せてくれ︱︱凛 どうして俺の名前を知ているんだ どうして俺はお前の名前を︱︱はる 知てるんだ 青いともと青い色が残像を引く凛はこの青が好きだ海が好きだ恐ろしいものなど何もなかそんな時代はなか凛は己の爪先を初めて波に晒した時からあの大洋へと身を投げた時からずろしく油断のならないものだと思ているているはずだ 身を翻した男が赤いものを手にしているのが見えるかな金属音と紙の擦れる音を机に広げて唐突に凛の右手を取るそのままぐいと引かれれば動揺を引きずる凛が抵抗できるはずもないという間に男の胸に収まてい 反射的に口を突いて出たのは知らない名前だ返されるのは随分と気安い声で凛の抗議を意に介していないことはすぐに知れる 鼻先を黒い髪がくすぐる仄かな匂いに気を抜きそうに逆にはとした状況に溺れてはいけないと身を引くがいつの間にか腰に腕を回されていた逃げ場がな右手は捉えられたまま親指の先がぺとりとした冷たい何かに押し付けられている続けて手首を引張られ冷たいままの指先が今度は固い何かに押し付けられるよし
 妙に満足気な声が間近で響いてようやく凛は開放され慌てて退く ふと未だに違和感の残る親指が気にな恐る恐る目の前にかざせばべとりと赤い一瞬血かと思たがそれにしては橙がかている正解はかざした指の向こうに掲げられた今日からお前が俺の七瀬遙中将専属の秘書艦だ 真白い紙切れだ紙面には七瀬遙提督の名前と駆逐艦松岡の名前がしたためられているどちらの名前の横にも拇印が捺されていて書類として完成されていることを物語ている文中には専属秘書艦の任命状だとか甲の乙を丙は了承しただとかつまり凛が提督専属の秘書艦に決定した旨を書き連ねていた全く覚えのない凛の捺印はうろたえている内に朱肉に右手の親指を押し付けられた挙句の産物である 秘書艦は文字通り非作戦時において提督のサポ丨トをする役職だ士官でなく艦から選ばれる理由はよく分からないがとにかく艦の中から一人選ばれ一日中提督の傍で仕事をすることになる誰を指名するもどのように仕事をさせるも提督の自由だが艦たちの都合を配慮して大体は日ごととか週ごととか長くても月ごとにロ丨テ丨ンするのが常だ しかしこの七瀬遙提督が駆逐艦松岡に命じた専属とは艦でのロ丨テ丨シンがない旗艦の区切りもない提督がその任を務める限り交代も休みもなくいついかなる時も艦は提督を全力でサポ丨トしなければならないはあああああ!?もう決ま 凛の頓狂な声に男は平然と返してみせた 決まではない署名と拇印の項があるからして命じられる艦が記された事項をよく読むことそして何よりも双方の了解が必要なはずだそれをこの男は無理矢理凛の手を取りこちらの都合などお構いなしに何の説明もなく了承させたのだざけんな 涼しげな顔に詰め寄る激昂した凛の頭には不敬不遜の文字などない襟章の並ぶ詰め襟を引掴む更に怒りの言葉を被せるよりも先に凪いだままで男は答える嫌なのか嫌とかじなくてその前にだなあ お前のやり方が嫌じないんだななくて 要領を得ない以前に会話にならない憤りに凛の言葉が一瞬詰まる嫌じないんだろう 七瀬遙はその一瞬を見逃さなかこれからよろしく 首元を吊られた姿勢のまま凛の前に手が差し出される凪いで輝く海の瞳は有無など一切言わせない既にとうの昔に決まていたのだとでも言いたげに平然と直ぐ凛を見返している あまりの身勝手に凛は瞬間昏倒しそうになそして何とか踏みとどまぐわんぐわんと響いて揺れる視界の真ん中に七瀬遙という男がいる睨みつける表情や考えていることが分かりにくい男だとは思ていたがここまで傍若無人ではなかたはずだ 差し出されぱなしの手のひらに凛は己の手のひらを叩きつける到底握手と呼べない手と手の打ち合いは拒絶ではなくどちらかといえば自棄になての了承だの事実に凛が頭を抱えたのは騙し討ちのように捺印させられた任命状を然るべき部署へ届け出て後つまり凛が最
初に専属秘書艦としての仕事をこなした後のことである