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※この話は番外編ではなく本編中盤の話です
※そのまま本編に組み込まれる可能性があります




「遊星、なんだかひさしぶりだね」
 出会い頭、ブルーノはそういって朗らかに笑う。
 ブルーノと顔を合わせるのは、いや、遊星が大学に来るのはあの怒涛の一週間以来なのだが、ブルーノのいうところの“なんだかひさしぶり”よりもずっと日が経っているような気がしてならない。間違いなくキョースケが転がり込んできたせいだろう。家でレポートを仕上げていただけの日々を送っていたにしては一日の密度が濃ゆすぎた。
「この間は本当にありがとう、助かったよ。遊星の方はレポート終わった?」
「ああ、さっき提出してきた」
 遊星の家庭事情など知らないブルーノとの会話は、いっそ平穏だと思えるほど日常的だった。
「さっきかあ。惜しいな、先に会ってれば見せてもらったのに」
 遊星とブルーノは研究室こそ違うものの、学ぶ分野は非常に近い。だからこそ遊星は寝食を忘れてブルーノの研究を手伝ったのだし、少し思うところが違えばブルーノと同じ研究室に進んでいただろうと遊星も自負している。今になってブルーノと同じ研究室に進んでいれば、と思うこともあるにはあるが、やはり違う所属で学んでいるからこその発見もお互いにある。
「データならあるが、見るか?」
「わ、見る見る!」
 あからさまに落胆した様子から一転、ブルーノは顔を綻ばせた。実にわかりやすい変化に苦笑しつつ、遊星は肩にかけていたカバンからメモリースティックを探し出しブルーノの手元に置いた。
 ついでにカバンも下ろしてブルーノの前の席へと置き、財布だけを尻ポケットに押し込む。
「何か買ってくる。その間に見ていてくれ。気になる点があったら教えてもらえると嬉しい」
「わかった、いってらっしゃい」
 ブルーノの返答は明快だが、既に自分のパソコンにメモリースティックを差し込んで画面に見入っているあたり聞いているかどうか怪しいものがある。
 特に問題があるわけでもないだろうと、遊星は券売機の方へと踵を返す。普段は自動販売機で飲み物ぐらいしか買わないので、何を買うかでしばらく悩んだ。カレーライスやうどん、ラーメンなど、いかにも大学の食堂らしいメニューがお手頃価格で並んでいる。キョースケならきっと目を輝かせて、遊星以上にあれこれ悩むに違いない。
 今日はジャックと一緒に家にいるはずだが、昼は何を食べるのだろうか。またカップラーメンだろうか……クロウには及ばないまでも、既に母親の気分である。
 そんな自分を複雑に思いながら、遊星は無難に日替わり定食なるものを選ぶ。数人が並ぶカウンターで券を出せば、あまり待たされることなく日替わり定食を受け取ることができた。作り置きらしい唐揚げが少し冷めていそうだが、食に関しては食べることさえできればいい、ぐらいの遊星である。気にすることなくトレイを抱え、ブルーノの元へと戻った。
 あらかた遊星のレポートに目を通し終えたのか、齧り付くように見入っていたモニタからブルーノが顔を上げる。
「あ、遊星おかえ……珍しいね、遊星が定食を頼むなんて」
 言葉を遮るほど驚くことだろうか。遊星は黙って席につく。
 確かに大学の食堂を食事のために利用したのは初めてではある。昼食ぐらい抜いてしまっても問題ないとも思う。ここしばらくキョースケと一緒に家に引きこもり正しい食生活を送っていたことは確かだが、たった数日で昼食をとることが習慣となりつつあるのだろうか。いろいろ釈然としない。
 幸いにもブルーノの興味は食事をする遊星から遊星の書き上げたレポートへと戻ったらしく、それ以上の言及はない。代わりに興奮を隠し切れない様子でモニタのレポートを指さした。
「遊星、いいねこのレポート。すごくおもしろいよ」
「ブルーノにそういってもらえると心強いな」
 箸を付ける前に手を合わせ、まず味噌汁から啜ってみる。……クロウの味付けのほうが好みだ。
「個人的に詰めたいところはあるけど……遊星、いっそこっちの研究室に来ない? 遊星のところより人も少ないし」
 考えることは同じとでもいうべきか。既にお互い聞き飽きた軽口だが、ブルーノの台詞にはひとつ聞き慣れない話があった。
「人が少ない?」
「あれ、遊星は知らない?」
 ブルーノにとってはさして珍しい話でもないのだろうか。遊星が椀から顔を上げれば、むしろブルーノのほうが目を丸くしている。
 在学中の学生皆が皆自分たちほど熱心に勉学に励んでいるわけではない。それは遊星も知っている。ならばこそ希望の研究室がない学生は適当にばらけ、どの研究室も所属する学生の数に大きく差がつくことはないはずだ。
 更に付け足すと、ブルーノの研究室は世界的に有名な研究者が籍を置いていたことがある。どちらかというと競争率の高い研究室だと思っていたのだが違っただろうか。
「ていっても、僕も噂とか疎いほうだしこっちの研究室に入ってから知ったし、遊星が知らないのも無理ないかもしれないけど」
 困ったように頬を掻いて、ついでに食堂内を窺うように視線を巡らせて、ブルーノはほんの少し声を潜める。
「うちの研究室、問題児っていうか……ちょっと変わった学生がいてさ。あんまり大学には来てないみたいなんだけど、おかげで皆敬遠してるらしくて」
「変わった?」
 高校生でもあるまいし、大学では学生同士が常に同じ行動をしているわけではない。多少苦手な人間がいたところで愛想笑いで誤魔化すのが大学で、それが社会に出ることに繋がるのではないかとも遊星は思う。少し性格や行動に問題があったところで、そこまで大袈裟に避けられるものだろうか。
「大学内でも傷害とか放火とか、犯罪レベルでいろいろやらかしてるらしくて」
「……そんな学生がいたら退学になるんじゃないのか」
 遊星の考えを見透かしたように、ブルーノは苦笑してみせた。
「いくら遊星でも、KCぐらいは知ってるよね?」
「ああ」
 世情に疎い遊星といえど、シティからサテライトを含む大都市、ネオドミノシティを実質牛耳っているKCの名を知らないわけがない。特に最近はキョースケがテレビをつけっぱなしにしているせいで、KCの提供でお送りします、やら、KC今夏のニューカラー・ニューフェイス、やら、嫌というほど耳に入る。
「そこの……息子?なのかな、詳しくは知らないけど関係者らしいんだよね。噂だけどKCから圧力がかかって、退学にできないとか聞くけど」
「権力ってやつか」
 セキュリティと同じく黒い噂の絶えない企業ではある。イメージからして犯罪に手を染めた身内を庇いそう、と思わないでもない。逆に見切りそうな気もするが、など名前だけはよく聞く大企業に無責任に思いを馳せる遊星に、ブルーノがすいと顔を寄せる。
 次にブルーノが口を開いた瞬間、遊星は口元に運びかけていた唐揚げを取り落とした。
「遊星は聞いたことない? 鬼柳京介っていうんだけど」
 今ブルーノは“鬼柳京介”といったか。
 鬼柳京介。京介、きょうすけ……
「――“キョースケ”?」
「知ってるの?」
 机に転がる唐揚げから遊星へと視線を転じ、ブルーノは目を瞬かせている。遊星は箸を中途半端に構えたまま、妙な引っ掛かりに眉を顰めた。
 姓はともかくとしてありふれた名前だ。少なくとも“遊星”よりは多い名前だろう。同一人物ではないか、などと推測するにはあまりに当てにならない。当てにならないのだが――近年、KCという企業がここまで大きく影響力を持つに至ったのは、なぜだった?
 遊星たちのガレージで気ままに振る舞うキョースケは、名前こそありふれているが、一目見て特異だと思えるものがなかっただろうか。遊星もクロウも真っ先に思った、オーダーメイドのカスタムカラー、あの髪と目の色はどうだ?
 不思議そうにこちらを見つめるブルーノに、なんでもないと遊星は曖昧な態度で返す。ひとまず気を取り直してもう一度口をつけた味噌汁は、なぜだか味がしなかった。