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As opposed to a flat spin

 ちょっと次の地区の調査に行ってくるぜ!と鬼柳が一人で出かけていったのは昼前のこと。鬼柳は妙に抜けているところがあるし、近頃は制覇した地区のチームの残党に恨みを買うことも多いから心配だったのだが、引き止める間もせめてジャックを連れてけ!と声をかける間もなかった。
 とはいえ鬼柳が勢い出かけていくことは珍しくもなく、追いかける必要もないだろうと判断してクロウは結局アジトにとどまった。 案の定無事に鬼柳が帰ってきたのは昼を大きく回った頃、クロウが子どもたちとトランプに興じ、遊星が熱心にデュエルディスクを弄り、ジャックが暇そうに壁に寄りかかっていた時分である。
「よー、待たせたな! すっげー土産があるぜ!」
 などと満面の笑みで告げながら帰ってきた。手には大きな紙袋を抱えている。
 『すっげー土産』発言につられた子どもたちがわらわらと鬼柳に駆け寄る。投げ出されたトランプをまとめ、クロウも渋々そちらへ向かった。鬼柳の感覚はたまに、そして大いにずれていることがある。大事な子どもたちがとんでもない『すっげー土産』を掴まされでもしたら大変だ。ちなみに遊星は工具を片付けていて、ジャックは壁に背を預けたまま胡乱げに鬼柳と子どもたちを眺めていた。鬼柳への期待のなさがよく見て取れる。
 子どもたちに囲まれた鬼柳はしゃがみこみ、紙袋に手を突っ込んでいた。もったいぶった仕草で袋の中身を掻き回し、鬼柳早くしろよ! と野次られている。本人は子どもたちに尊敬されていると勘違いしているらしいが、小さな足に脛を蹴って急かされてもまだ信じ込んでいるのだから偉いものだ。
 クロウの感心を知る由もなく、心ゆくまで焦らしたらしい鬼柳はようやく袋から手を引っこ抜く。その手にはサテライトではあまりお目にかからない有名メーカーの菓子袋が握られていた。子どもたちの歓声が上がる。
「すげー鬼柳!」
「もらっていいの?」
「おう、一人一袋ずつはあるからな。取り合いせずにちゃんと分けっこしろよ!」
 子どもたちはもう用はないとばかりに容赦なく鬼柳を押しのけ、菓子袋を見定め始めた。果たして自分の扱いの悪さに気づいていない鬼柳は尻餅をつきながら満足そうに頷いている。
「どうしたんだ、あれ」
「いや、ちょっとした……顔なじみに会ってよ、いらねーっていうからもらってきた」
 淀みを含んだ答えに、クロウはふぅんとだけ返した。
 鬼柳はサテライトの裏側や流通に通じているらしく、配給では足りない分の食料やデュエルディスクの必要パーツをどこからか調達してくる。今回の菓子も品自体は可愛いものだが、恐らくはそういったクロウたちには言いにくい類の相手から仕入れたのだろう。
 どうにも危なっかしい繋がりに引っかかりを感じないでもない。しかし鬼柳が仕入れてくる食料やパーツがなければ今の生活が成り立たないのも事実で、何より純粋な好意によるものなのだ。責められるものではない。
 自分を納得させてクロウはため息をついた。そのまま冗談めいた笑いを混ぜて鬼柳を小突く。
「しっかしガキ共にわざわざ土産なあ。俺たちの分はねーのかよ?」
「ふふん、すっげー土産っつっただろ?」
 予想外に鬼柳は胸を反らして答えた。今の今まで気づかなかったが足元にもう一袋置いていたらしい。歌い出しそうな陽気さで紙袋を抱え上げる。鬼柳の重たそうな挙動に、ガチガチというガラスの触れ合う音が重なった。ようやく関心を持ったらしい遊星とジャックもクロウの傍らまで寄ってきて、何が出てくるのかと視線を注いでいる。
「じゃっ! じゃーん!」
 夢中で菓子袋を空ける子どもたちと変わらないテンションで鬼柳が取り出したものは、
「…………酒ぇ?」
「そう! すげーだろ!」
 きっちりと封をされた瓶から微かな芳香もしないが、ラベルやずんと重たい風体から酒であると見て取れる。濃い茶や緑のガラスの曲面に、訝しげに覗き込むクロウたちの顔が映っていた。ラベルには物々しい書体で品名が書かれているが、読めたところでどういう酒なのかは予想もできない。
「なんか全然しんねーけどよ、結構いい酒らしいぜ!」
「なんでそんなものをくれたんだ?」
 尤もな遊星の疑問には「それはお前、俺の人徳ってやつだ!」と納得のいかない答えが飛んできた。元より流出先を探る気もなく、クロウは酒瓶を睨みつける。その数五、六本。うち一本はジャックが取り上げてしげしげと眺めていた。
 さすがは鬼柳などと呟いている遊星を背に鬼柳が首を傾げる。
「なんだよお前ら、食いつき悪ィな」
 この貧困を体現したようなサテライトで、アルコールを薄めたものでない酒が手に入るのは珍しい。紛れもなく稀少品であり、この上ない嗜好品だ。それはクロウも知っている。
「いや、お前の好意はありがたいんだけどよ。俺たち未成年だし」
 しかし同時に、あるかなしかの法律というものも、残念なことに知っていた。隣のジャックもクロウの言葉に頷いて、そっと瓶を袋に戻す。遊星も迷わず頷いていて、あの優しくも厳しい育て親の教育は行き届いているなあとひしひし実感した。
 対して鬼柳は目と口を丸く開く。クロウ、遊星、ジャックとは異なる環境で育ってきた鬼柳には理解できないのだろう。実際クロウも自身が鬼柳の立場であれば同じ反応を返しただろうと思う。二十歳未満のいわゆる未成年の飲酒は禁止、などという法は、このサテライトにおいてシュールとしかいいようがない。酒にも煙草にも手を出さずに成人を迎える人間がサテライトにどれほどいるのか、間違いなく少数だろう。
「……じゃあお前ら、飲まねーの?」
 驚きと逡巡の末に吐き出された鬼柳の言葉に再度頷く。
「悪ぃとは思うけどよ」
「酒は二十歳になってからと刷り込まれている」
「もし破ったことが知られたらと思うとな……」
 図ったようにリズムの良いクロウたちの返答に、また鬼柳は閉口する。
 こちらの動向など気にせず菓子を分け合う子どもたちを見やり、クロウたち三人を見やり、紙袋と酒瓶を見やり。また最後にクロウ、遊星、ジャックの目を一人ずつきっちり同じ時間見返して、鬼柳はかくりと項垂れた。
「じゃあ、俺も飲まない」
 下を向いたまま座り込み、瓶をひょいひょい袋に収めていく。消沈した様子の鬼柳に、遊星が慌てたように声をかけた。
「折角鬼柳が貰ってきたものなんだ、俺たちに構わず飲んでくれ」
「いや、一人で飲んでもつまんねーしさ」
 しゃがみ込んだままの鬼柳が顔を上げる。遊星とやり取りをする様に、ふとクロウは疑問を抱いた。そもそも鬼柳は未成年なのだろうか。何度か酔いどれて帰ってきたこともあるので飲酒経験はあるだろうが、前述のとおり飲酒と年齢の相関はサテライトには存在しない。
 上背はジャックほどあるし、自分より年上だとは思うが……そこでクロウは思考を止めた。鬼柳を追求することはやはり躊躇われた。
「しかしお前らえらいなあ、二十歳になるまで酒もタバコもやらないってさ」
 酒瓶を収めた袋を抱え、鬼柳は立ち上がる。風が吹けば飛ばされそうな、普段の抜けた様子には少し遠い笑みを浮かべていた。
「しっかりした教育受けてんだなあ」
 思わずクロウは口を開きかける。なんだよその顔。
 しかし声にするよりも早く、ジャックが反駁した。
「しっかりした、などというレベルではないぞ。アレは」
 ジャックはほんの少し青ざめた様子で、組んだ両腕を摩っていた。クロウたち三人の中で一番馬鹿をやらかして叱られたのはジャックだ。なんせ頭でっかちな子どもだったので、やることなすことが真っ先に目についたのだろう。
「だから、そんなにいいものでもない。教育とやらは」
「そっかぁ?」
 鬼柳は苦笑する。ジャックはといえば、喉に何かがつっかえたような顔をしていた。クロウと同じように、鬼柳のらしくない顔にいいたいことがあるのだろう。けれど鬼柳はこれ以上の言葉を苦笑で拒絶する。
 酒を抱えてくるりと入り口に向かう鬼柳を、どうにか引き止めたのは遊星だった。鬼柳のジャケットの端をつかまえて名前を呼ぶ。
「やっぱり飲もう、鬼柳。俺たちで」
「……だーめだって」
 そんなことさせたらお前らの育ての親に申し訳ないからよ、などと殊勝なことばが引き継いだ。
「この酒売っちまってさ、うまいもん買ってきてみんなで食おうぜ!」
 遊星が次の台詞を見つける前に、鬼柳はぐるりとこちらへ向き直る。にやりと笑って大仰に紙袋を抱え直した。うまいもん、の一言に、それまで菓子で手一杯だった子どもたちが耳聡く声を上げる。喜ぶ子どもに適当な笑顔を向けながら、鬼柳はまた「ご馳走だぞ、期待してろ!」と胸を張っていた。
 遊星もジャックも微かに苦い表情を浮かべている。恐らく自分も同じ顔をしているのだろうと、鬼柳の笑みを眺めながらクロウは思った。いつもの馬鹿の顔にしか見えないが、ひょっとしなくても自分たちは鬼柳に気を遣わせたのだ。それはなんとなく、そしてずっとクロウが感じている踏み込んではいけない鬼柳の領域に酷く近いものがある。
 クロウはまた溜め息をつく。鬼柳はこの話を終わりにしたいのだ。だから諦めと無常感は、続ける言葉でどうにか打ち消した。
「売りに行くのもいいけどよ。お前、次の地区の調査とやらはどうしたんだ?」
「……へ?」
    2013.2.20 (大騒ぎとは裏腹に)