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ああっ煉獄龍っ 小っちゃいって事は便利だねっ


そのいち

 無音で見つめ合ってしばし。立ち込めていた白い靄とも、煙ともつかないものが完全に晴れてもまだ暫く。自分よりも少し低い位置にある瞳は丸く見開かれていて、そこに映る自分もまた信じられないという顔をしていた。状況を知らない人間が見れば指をさして笑うだろう。二人して驚愕の表情を突き合わせている姿は滑稽としかいいようがない。
 喜劇のような時間を破ったのは、対する鬼柳の声だった。
「ええと……ジャック、だよな?」
 瞳の位置に対して、発する声は近頃耳に馴染んできた声よりも高い。ことりと首を傾げる幼い仕草に、肩口で揃えられた銀の髪が揺れた。元よりくたびれていたシャツを持て余す白い首筋と、晒された鎖骨が眩しい。
 そうだ、幼く折れてしまいそうに細いのだ。
 ジャックの前の鬼柳京介は、今は遠い記憶の中にしかいないはずの、ゼロ番、と呼ばれていた姿でそこにいた。

 事の起こりはささやかなものだった。暇に任せて鬼柳がジャックにデュエルを申し込んできたのだ。
 誓うともなしに約した再戦をこんな形で果たすつもりかと憤りもしたが、鬼柳の姿を見るに確たるものではなく、本当になんでもなく、何気なく、デュエルを楽しみたいという思惑が透けていた。我ながら機嫌もよかったので、戯れに鬼柳の望みに付き合ってやったのだ。
 D・ホイールどころかデュエルディスクすらも使わない、机上で拡げられるカードゲーム。故にフィールも何もなく、淡々と互いの内戦略と計略が折り重なっていく。単純にして複雑な駆け引き。
 戯れであっても無論手は抜かなかったが、カードを捲っている最中、ふとジャックは気づいたのだ。王者としての責務を背負う前からの馴染みである鬼柳と、ただ戯れるだけのデュエルをするのは初めてだと。
 V・S・F・Lにいた頃のデュエルは無論、本当の目的はさておくとしても、フィール発生装置の完成のためのものだった。ジャックにとってはその目的すらも意味はなく、ひたすらに勝利を求めるためのデュエル。唯一、鬼柳を相手にしたときだけは駆け引きや勝敗の危うさを楽しいと感じたものだが、それも勝利のためという前提があってこそだ。
 しかしこのデュエルはそうではない。勝ち負けなど関係ない、とはいわないが、鬼柳の望みに付き合ってやっているというところが大きい。ジャックは鬼柳をじっと窺う。ジャックの視線にも気づかず、ドローしたカードを確認する動作に、伏せられる鬼柳の長い睫毛。なんとなく、感慨深かった。
 とはいえ前述のとおり勝利を譲る気は毛頭なく、数ターンの後にジャックは鬼柳のライフをゼロにするべく攻撃を宣言する。もっと幼い時分に、このような戯れのデュエルを楽しみたかったものだ。らしくもない郷愁を一筋だけ混ぜ込んだレッド・デーモンのダイレクトアタック。チェーンして発動した鬼柳のトラップ、煉獄の零門――しかしカードを捲り、発動が宣言されるに留まらなかった。
 何の機器も用いていないはずのフィールドに、強烈に吹き荒れるフィール。ソリッドビジョンではなく実際に立ち込める白い何か。
 そして白が薄れる向こう側に召喚されていたのはモンスターではなく――冒頭の通り、幼い姿をした鬼柳だったのだ。

 ジャックはまじまじと眼前の鬼柳を見つめる。瞳や髪の色も、頬を縦に走るマーカーの位置も、折れてしまいそうな細い体躯も全て、記憶の中の鬼柳に相違ない。うわあ、ジャックでっかくなったなあ、などとのんびり呟いている様も、聡い割にお人好しの透けていた鬼柳に重なる。
 ひとまずデュエルに関しての未知の現象はヤツを詰問するに限る。ジャックは広げていたカードをまとめてデッキホルダーに突っ込んだ。ジャックの挙動を目で追って、ようやくカードの存在に気づいたらしい鬼柳が物珍しそうに自分のカードを手に取るが、無視して襟元を引っ掴んでやった。うえ、と非難めいた声が上がるが当然無視する。そんなことより服のサイズはそのままに体だけ縮んだらしく、このまま襟を掴んで引きずっていくと服だけすっぽ抜けてしまいそうなことが問題だ。
 眉間に皺を寄せ、ジャックは鬼柳の腹に腕を回して抱え上げる。荷物のように持ち上げられた鬼柳がじたばたと抵抗し騒ぎ立てるが、哀れなほど貧弱な抵抗だった。昔の鬼柳はこんなに頼りない体つきだったのか。ちらりと鬼柳を見下ろせば、振り回される少年の手中で煉獄龍のカードが閃いていた。
    2013.2.12 x 2013.2.14 up

そのに

 真白く素っ気ない検査着は、ゼロ番、と振られてこそいないものの、研究所にいた頃を思い出させて気に食わない。
 着せられた当人は服よりも室内が気になって仕方がないらしく、どこかそわそわとした様子だった。対面する白衣の大人にきちんと向き合い年齢にしてはしっかりとした受け答えをしているのだが、答えを書き留めるべく大人が視線を下げた隙にちらちらと室内を窺う様子が見て取れる。
「……で、どうなんだ」
 マジックミラー越しに二人のやり取りを睨みつけたまま、ジャックは傍らの男に問いかけた。
「どう、とは?」
 涼しげな声が答える。ジャックの苛立ちを汲んだ上でのものならばなかなかに性格が悪いものだが、答えた男は平生からこの調子なので更にたちが悪い。綺麗に髪を撫で付け、シワひとつないスーツをかっちりと着込んだ義父に、ジャックは露骨に舌を打った。
「結果だ。まさかあれだけ検査をしておいて何一つ分からなかったとでもいうつもりか?」
 デュエル中突然小さくなった鬼柳を抱え、義父レクスの元に詰め寄ったのが半日ほど前だ。フィール発生装置開発だの決闘竜だの、デュエルにまつわるおよそ怪しげなことはこの男が絡んでいる。即座にそう判断しての行動だったのだが、当のレクスは興味深そうに鬼柳を一瞥した後、身体検査やら画像診断やら片っ端から受けさせる始末。こちらから問い詰める間もなかった。小さくなったことで耐久力も当時程度まで低下したのか、初めは抵抗や疑問の声を上げていた鬼柳も今や大人しくされるがまま、記憶検査という名目の質問攻めを食らっている次第である。
 皮肉を混ぜて促せば、レクスはふうと息を吐いて笑みをこぼした。
「すべて判断に必要な検査です。煩わしいのであれば貴方が最後まで付き合う必要はなかったのですよ、キング?」
 空々しい。ジャックは包み隠さず不信をぶつける。
「今のアイツを貴様らに任せたら、何をされるか分かったものではないからな」
 レクスは微かに肩を竦めてみせる。入室してきた研究員らしき男からデータ端末と書類を受け取り、流れるように続ける。
「仮にも私の息子になるかもしれなかった人間です。無体なことはしませんよ」
 それこそ息子を諭す親の体だが、ジャックの不信と苛立ちを煽るばかりである。今の台詞はそうでない人間であれば保証はしないとも取れるし、何より身寄りのない子どもを集めてモルモットにしていた時点で何を言おうと信用に値しないのだ。
 ここでいくら罵ろうが毒を吐こうがレクスは意に介さないだろう。なのでジャックは黙って鬼柳に視線を戻す。長い長い質問の時間がちょうど終わったところらしい。鬼柳はほっとした様子で、相手に頭を下げてパイプ椅子から降り立った。検査室の様子を受けて、レクスと他の研究者たちも観察室から出て行く。ジャックも最後に続いて部屋を出た。
「直に結果はお伝えします。彼と一緒にロビーで待っていてください」
 レクスを含めた研究者連中は結果を討論する必要があるのか、向かいの別室へと向かう。白衣とスーツの背を一瞥し、ジャックは鬼柳のいた検査室の出入り口へと歩を進めた。鬼柳のいた検査室の出入り口は面倒なことに廊下をぐるりと回った先にある。
 リノリウムを叩く鈍い己の靴音がしばし。やがてぱたぱたと軽い足音が重なる。ちょうどジャックが曲がり角に差し掛かったあたりで、音は不規則に途絶えた。同時に勢いをつけて銀髪の頭が飛び込んでくる。
「ぶっ! ご、ごめんなさ……」
「鬼柳」
「あ、ジャック!」
 案の定、鬼柳だった。ジャックの腹の高さで、まるいラインを帯びた顔が弾かれたように見上げてきた。
「そんなに急いで走るな」
「ようやく全部終わったっていうから、嬉しくてつい……ごめん」
 しょげた様子で頭を下げて鬼柳はジャックの隣に並んだ。随分と低い位置にある銀のつむじを見下ろして、ジャックははあと息を吐く。嬉しくて思わず駆け回るなど、まったく子どものすることだ。当時の鬼柳もそうだっただろうか、それとも急にこうなったせいで余計に目につくのか。
「ロビーで待っていろ、だそうだ。聞いているか」
「うん、さっきのオッサンが最後に言ってた」
「なら行くぞ」
 鬼柳の返事は待たず、先に立って歩き出す。あ、と小さな声が上がって、また軽い足音がジャックの後ろに続いた。
 無駄に長い廊下に、重さもリズムも異なる足音が響く。それが妙に気になって、ジャックはちらりと後ろを窺った。銀色の頭がぴょこぴょこと着いてきている。鬼柳の視線は前下方、つまりジャックの足のほうに注がれていた。妙に必死な様子で、窺うジャックにも気づかない。
 視界には浮き沈みしてついてくる鬼柳の頭。耳には異なる足音。そこでふと思い至って、ジャックはわずかに歩く速度を緩めた。
 重さは相変わらずだが、少しずつリズムを揃える足音。ひょこひょこ跳ねていた頭は、少し間を空けてジャックの斜め後ろに並ぶ。俯きがちだった鬼柳の顔がそろりと上げられた、ところで目が合う。
「なっ、なんだよ!」
 途端、鬼柳の顔が真っ赤に染まった。
「……いや?」
 ジャックが返せば、何笑ってるんだよ!という声と共に赤みが増した。
 目が合った瞬間の鬼柳の表情は、あからさまに綻んでいた。揃わず小走りで追っていた歩幅が揃ったことが、どうも嬉しかったらしい。
 ジャックから視線を逸らして、鬼柳が頬を膨らませる。なんでそんなにでっかくなってんだよ、などとぶつぶつ続けられる呟きがいやに耳に心地よく、ジャックはふっと笑みをこぼした。
    2013.2.21

そのにいてんご

 直に伝える、などといっていたレクスが姿を表したのはかなり後のことだった。職員が運んできたオレンジジュースを鬼柳が飲み干し、残っていた氷も半分以上水になってしまった頃合いである。
「お待たせしました、キング」
「まったくだ」
 人一人が楽に座れる程度の距離を開けて鬼柳の隣に座すジャックは、じろりと義父を睨みつけるだけに留める。待たされたのはこちらであり、そもそもこの男に改まる必要もなかった。ジャックに反し暇に任せて興味の赴くままあたりを見渡していた鬼柳は背筋を伸ばす。わずかに緊張した面持ちだが、そもそもこの鬼柳はレクスのことをどう思っているのだろうか。
 ささやかなジャックの疑問をよそに、レクスはジャックたちの対面の席に腰掛けた。
「さっそく本題に入りましょうか。これまでの検査で判明した被験体0番……いえ、鬼柳京介の状態ですが」
 懐かしくも忌まわしい実験台呼ばわりをジャックは視線で制する。言い直したということはジャックの剣呑な空気に気づいてるのだろう。だというのに相変わらず食えない微笑を浮かべたままで、ジャックはそれが気に入らない。
「まず、この少年が鬼柳京介本人であることは間違いありません。研究所に残されていた各種データと完全に一致しました」
 研究チームの解散と同時に、研究に関わるデータのすべても破棄し隠蔽に走ったものだとばかり思っていたが、後生大事に保存していたらしい。
「そして記憶に関してですが、研究所での貴方との最後の決闘……の、半年ほど前程度、といったところですか」
「フン、貴様の本性が露見する前か」
 ジャックの皮肉にもレクスは苦笑で返すだけだった。鬼柳はといえば目を瞬かせ、ジャックとレクスを見比べるばかりである。
 研究所の実態を知る前だというならば、レクスの元に駆け込んでからこれまでの鬼柳の態度も頷ける。この状態になった鬼柳が最初に口にした言葉は、ジャックがジャックであることを確かめるものだった。記憶との歳を確かめていたのだろう。
「身体データも当時のものと一致します。記憶・身体ともに研究所時代まで退行したか、あるいは当時の彼と今の彼が入れ替わってしまった……といったところでしょうか」
 非科学的な、と罵ることは簡単だが、今のジャックにはできない。決闘竜だの闇の瘴気だの、およそ決闘に関しては常識で計り知れないことが起こりうると理解している。鬼柳がカードの効果を発動した瞬間に小さくなってしまった、その瞬間をジャックは現に目撃しているのだ。しかもそのカードはまさに決闘竜の一枚、煉獄龍オーガ・ドラグーンときた。
 ジャックは傍らの鬼柳を見る。随分と低い位置にあるまるい頭はすっかり俯いていた。細い膝の上では白い拳が握られている。
「結局現状も推定、原因も不明、戻る方法も分からんということだろう」
「手厳しいですね。無論、継続して状態を把握し、解決に努めたいと思っていますよ」
「あれだけ検査検査ときてこの程度の結果ならば、当たり前だな」
 長時間拘束されただけで、何も進展しなかったのである。努めたいなどと戯言を、という言葉は口にしなかった。どうせ意に介さない笑顔で返されるだけだ。
 代わりにジャックはソファから立ち上がる。鬼柳が顔を上げるよりも早く腕を掴んで立ち上がらせた。視界の端に目を丸くする鬼柳を捉えながらレクスへと宣言する。
「だが貴様らに鬼柳を預けるつもりはない。こいつは俺が引き取る」
「それは……」
「え? ジャック?」
 手を引いて歩き出そうとするが、レクスとジャックを見比べる鬼柳はたたらを踏んで留まった。無理に引けば折れそうな身体つきに、文句のありありと浮かんだ表情。
 ジャックは煩わしさを息を吐いて逃す。腕から手を放せば鬼柳はすかさず身を引くが、やすやすと逃がすジャックではない。腰に腕を回して引き込み、勢いのままに肩に担ぎ上げた。
「ちょっ、ジャック、下ろせ……!」
「黙って大人しくしていろ、落ちるぞ」
 肩口での動きが止まる。ついでに口を噤んだようだった。
「確証足りうる用があるのならば取りに来い! 俺たちはもう行く!」
 振り向きもせずレクスへと捨て置いて、ジャックはさっさと歩き出す。これ以上付き合うなど時間の無駄でしかないし、どうせ解明もできないだろう。ならば自分でも別口から心当たりを探してみるべきだ。
 何よりもまず、レクスの元に鬼柳を預けるのも事態の解決を任せきりにしておくのも気に食わないのだ。ジャックは鬼柳を抱え直し、まとわりつく研究員を視線で制して出口へと歩いた。
    2013.3.6
    2013.5.29
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