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それは、光の中に

 目を刺した光は今思えば金の髪に照り返された陽光だけではなかったのだろう。
 海馬瀬人がその男を見たのは学校の裏門にほど近い倉庫の裏手だった。定番、あるいは陳腐といえるその場所はだからこそ確かに人目につきにくい。授業中であればまず近寄る者はいないし、そもそも不穏な場所であると知れ渡っているため平穏無事な学生生活を望む真っ当な生徒は一層忌避する場所だった。自ら近寄る者は真っ当でない生徒かよほどの愚か者である。
 授業中にそこを通りかかった海馬は別のベクトルで前者だった。通りかかった経緯が申し訳程度に学生の務めを果たすレポートを教師に提出するべく、人目を引かない裏口に車を着けさせたため、という時点でイレギュラーである。そもそも海馬には無法者の溜まり場である事実に頓着する理由がないといえばそれまでだ。
 海馬自身は全く以て気にならないのだが、正門に車を着けると他の生徒の気が散じるらしい。恐々とした様子でそれとなく教師に苦言を呈されて以来、海馬は裏門に車を待たせて校内に入ることにしている。その日も仕事の移動の合間にレポートを提出しに来、車から一人降りてそこを通りかかった。
 そして、その男を見た。
 まず音だった。怒りと恨みが籠る声に、鈍い音。硬く尖る音。暴力による音だとすぐに知れた。だがその程度で足を止める海馬ではなく、スケジュールを円滑にこなすために足早に校舎へと向かう。足を止めたのは暴力の中に『ムトウ』という声を聞いたためだ。
 もし暴力の渦中に海馬の予想する『ムトウ』がいたら。海馬は眉根を寄せる。唯一の好敵手だと認める武藤遊戯は易々と弱みを見せる男ではないが、それはにおいての話である。更に考えるに海馬が好敵手だと認める武藤遊戯ではなく、甘さが鼻につくもう一人の武藤遊戯であるとすれば。つまらない面倒に巻き込まれ決闘に支障をきたすような怪我でもされたら。海馬は黙して声と音のする方向へ足を向ける。
 倉庫の向こうには十数の人影があった。いずれも押し並べて品のない厳つい顔を晒し、表面が歪に凹んだ金属バットや使い込まれた感のある木刀、高校生の玩具にしては過ぎたナイフなど、一般に凶器と呼ばれるものを転がしている。つまり十数の人影は得物を手放し、ぴくりともせずに地に転がっていた。
 僅かに瞠目して更に視線を転じれば、片手で足りる程度の人影が円になって一人を囲んでいる。この時点で武藤遊戯の姿がどこにもないことは把握していたが海馬は校舎へと足を向けられずにいた。
 円を描く人影の向こうに金色が見える。ちくりと目を刺す金。それは剣呑な空気を呑んで笑っていた。
「――で?」
 遊戯の名前まで出して何がしたいって?
 聞き覚えのある声だった。しかし誰の声だったか、記憶を探るが一向に一致しない。海馬が記憶探る間にまた怒声が上がり、金色を囲んでいた頭がひとつ動く。瞬時に沈む。崩れた円の向こうで金色は嗤っている。
 更に怒声が上がり、残りの影が一斉に動いた。怒声は金色の名をなしているようだった。ふらりと金色が傾いで顔面への拳を流し、勢いを殺せない足元を爪先で崩しついでに肘で沈める。その動作にまた声が上がる。城之内。立て直せないほどに崩れた体を蹴り飛ばしてもう一人を巻き込む金色。今、城之内と言ったか。淡々と暴力をいなす金色が城之内だと。
 城之内と呼ばれる男はふうと息を吐いて頭を振る。金色が散って目を刺した。ちかちかと、ちくちくと目を刺す。舞った長めの前髪が元の場所に納まる頃、そこに立っていたのは確かに城之内克也だった。
「……げっ」
 聞き覚えのある犬の声で海馬の名を呼ぶ。なるほど好敵手である武藤遊戯の金魚のフン、城之内克也だ。こちらを姿を認めてバツの悪さと嫌悪と驚愕を少しずつ混ぜたような表情は先程の金色と酷く乖離している。
 ……本当に城之内だったのだろうか、あるいは本当に城之内なのだろうか。
 城之内だと思われるそれはまとわりつく駄犬の表情に切り替えて海馬に詰め寄る。ただし常の勢いはなく、どことなく警戒心という距離を置いている。海馬に対してなのかこの状況に対してなのか、転がした無法者の山を踏み越えてくる姿からは判断がつかない。
「ジュウヤクシュッキンってやつですかぁ社長様? つーかなんか用でもあんのかよ」
 こんなとこによぉ、と続けるが海馬にはきゃんきゃんと子犬が吠える声に聴こえる。今はもういつも通りのただの駄犬だった。
「……通りすがっただけだ」
 なのに己にしては歯切れ悪い口調になってしまったのは目の前の金色が輪郭を滲ませて見えたからか。
 城之内は胡乱な視線を隠しもせずに海馬をひとしきり眺めた後、短く鼻を鳴らしてするりと横をすり抜ける。すり抜けざま、思わず呼び止めてしまったのは目に刺さったまま抜けそうもない光の残像のせいだ。
 城之内は足を止める。海馬も城之内に向き合う。思いがけない近さで向かい合い、この犬の顔をこんな風にまじまじと見たのは初めてではないだろうかと思い至った。
「貴様」
「あ?」
「貴様は、誰だ」
 微かな風が横切った。砂埃の混ざったそれが相対する男の金色を弱く掻き混ぜる。浮き上がった前髪の下で口元は歪み瞳の蜂蜜色がどろりと溶け出す。
 発した海馬本人にも理解できない質問に城之内は訝る。そう思った。だが城之内だと思われる男は訝りもせず、城之内克也にしては歪な表情で答えた。その表情は敢えて分類するなら笑顔と呼ぶのが相応しいのかもしれない。
「いつも勝手な呼び方してんだろ」
 俺が誰かなんて、今更。
 揺れる金色が目に痛い。残された言葉が干渉を許すものなのか拒否するものなのか分からないまま、海馬はただ目を刺した光を抜くことを考えた。
    2011.8.15 (始まる物語。あるいは恋)