×
またあいましょう
※ロイヤルパラディン封印で勝手なイメージを押し付けた
騎士王、と、静かに響く声に、アルフレッドは視線を下げた。
かつかつと静謐を叩く靴音。失われた熱を湛えて揺れる赤毛が、薄い陽光を受けてちらつく。平生はまどろむように落ちかけている眼を厳しく眇め、歩み寄る一人の賢者。
「……――バイロン」
報を携えているはずの軍師に戦況を問おうとして、やめた。
バイロンは王であるアルフレッドではなく、先程までアルフレッド自身も見据えていたものを見上げている。声をかけることなど許さない空気がひたひたと背筋を撫で、何より戦況など聞かずとも知れていた。
賢者の視線をなぞるようにアルフレッドも再び顔を上げる。そこには質量を持った闇に絡め取られ、呼吸を、心音を、時を止めた同胞たちが、瞳を閉ざしている。
ロイヤルパラディンのみならず、ユナイテッド・サンクチュアリ全域、ひいては惑星クレイそのものを突如として侵し始めた闇、ヴォイド。聖域の守護者として、アルフレッドを筆頭に騎士団は総力を上げてこの闇に挑んだが、状況は悪化するばかりだった。戦いとも呼べない一方的な蹂躙。騎士たちはひとり、またひとりとヴォイドの前に敗北し、今や騎士団は壊滅状態にあるといってもいい。
不幸中の幸いか、言葉なきヴォイドの意思によるものかは不明だが、倒れた騎士たちは一命を取り留めてはいる、らしい。らしいというのも治療に当たった者たちまでもがヴォイドに侵され、最早救う手立ても知りようがないためである。
ただ生きたまま時を止めたこの状態を、世界樹の巫女は『封印』と称した。
封印された同胞たちを、アルフレッドは苦い面持ちで一人ずつ見つめ――最後の一人で、視線を止めた。 恐らくバイロンも同じひとりを見上げている。
「……救うことが、できるだろうか」
問いではなく、思わず零れたことばだった。
濁った陽光すら飲み込んで、荒れた神殿で蠢く黒。その虚ろの中でさえ映える白皙、揺蕩う亜麻色、ひび割れた兜から覗く、不純の証と蔑まれる耳朶。孤高の騎士、ガンスロッド。
若い騎士たちを逃がすために単身でヴォイドに立ち向かったと聞く。アルフレッドの曽祖父の時代から騎士王に仕える往年の騎士は、何を思いその時を止めたのだろう。そんな彼すらも容易く飲み込んだ闇から、どうすれば救えるというのだろう。
「――それは、アンタ次第だろ」
硬く、尖った声でバイロンが答える。ゆっくりと振り向けば、声と同じ程に鋭い目に射抜かれた。
見つめ合うことしばし。落ちるのは鋼の鈍さ。責めと迷いの視線は賢者の吐息で解かれる。バイロンは部隊の報告がまとめられているだろう書類をぞんざいに放り投げた。舞い落ちる紙片の向こうに、アルフレッドはバイロンの疲れた笑みを見つける。
「状況は報告するまでもなく、絶望的だな。全ての隊が最終防衛線まで後退。追撃で行方の知れなくなった連中もいる」
「……ガルモールは?」
「獣騎士殿は予定通り、ハイドッグ部隊と共に国境線を抜けた。不幸中の幸いだな」
機動力を見込み、ガルモールには各地の騎士への応援を頼んでいる。応援という名目の戦力の温存だ。他の騎士たちが斃れても再起できるようにとアルフレッドが提案し、バイロンが体裁を整えた。実質最後の策といえる。命を下した折、ガルモールの伏せられた顔に浮かんだ苦渋をアルフレッドは忘れられない。
アルフレッドも長く息を吐き、再びガンスロッドを見上げた。最後に交わした言葉は互いに、せめて貴方だけは、と。弱く浮かぶ孤高の騎士の微笑と、それでも揺るがぬ忠義を宿した瞳は、闇に沈んで久しい。
まだ王の役目も己の立場も知らなかった頃から自分を見守っていてくれた、淡い夜明け色。この瞳が閉ざされているのを見るのは、初めてではないだろうか。
指先を宙へと伸ばす。しかして冷えた頬に触れることも叶わない。開かれることのない瞳を、闇がざわめいて遠ざける。
「私は、」
何者をも遠ざけ、拒む虚ろ。飲み込まれれば生からも争いからも遠い。
「ガンスロッドが封印されてよかったんじゃないかと、思っている」
それはある意味、不純と不義の子と謗られながら孤独に戦い続けたガンスロッドの解放にも思えた。封印されてしまえば争いも蔑みもない。安寧の停滞だけがある。
ふんと鼻が鳴らされた。ヒューマンよりも長い時を生きるジャイアントは、睨めつけるようにアルフレッドを見、腕を組む。続けてこんな腑抜けなど見ていられるかと言わんばかりに視線を転じた。ガンスロッドを仰ぎ、常ならば書物をめくる指を無造作に宙へ伸ばす。
「俺はそうは思わない。絶対に」
拡げられた手のひらに、侵す闇を捉えるように。握り込まれた拳のぎちりという音は離れたアルフレッドにもはっきりと聞こえた。
諦観も絶望も振り払ってバイロンが振り返る。熾火のように賢者の髪が揺らめく。いまだ遠い希望の炎に似て、光は騎士たちの王を諌めた。
「アンタがそれじゃ、コイツが報われない。アンタを守るために封印されたコイツが」
「……バイロン」
「アンタのことは心底気に食わない」
名を呼ぶことすら許さないといわんばかりの剣幕で、それでも、とバイロンは続ける。
「それでも、コイツが命を懸けてまで守りたいのがアンタなんだ。最後の最後まで、知恵だけは貸してやるよ」
場の空気を裂いて赤いマントが翻る。もう話すことはないと言外に告げられて、アルフレッドはわずかに力の篭っていた肩を落とした。かつかつと遠ざかる靴音と、燃える赤の背中を黙して見送る。
重々しく扉の閉ざされる音に、もう一度ガンスロッドを見上げ目を眇めた。
「……そうだな。すまない、ガンスロッド」
バイロンはガンスロッドの養父だという。不純と疎まれ王家から出されたガンスロッドを賢者たちが育てたらしい。アルフレッドが生まれる三代前ほどの話であるため、詳しい経緯は分からない。ガンスロッドにもバイロンにも、他の賢者やエルフたちにも尋ねるのは憚られた。
それでもバイロンのガンスロッドに対する物言いやさり気ない振る舞いから、彼が何よりもハーフエルフの養い子を慈しんでいるのは容易に知れた。何よりもアルフレッドに対する厳しい態度がその事実を裏付けている。
であるというのに、彼の前で弱音めいた台詞を零すとは。我ながら絶望的な状況に苛まれているにしても無神経にも程がある。
「お前をここから解放するのは私ではないかも知れないが――最後までお前の、お前たちのために戦おう」
苦い思いを密やかな決意に変えて、アルフレッドも踵を返す。恐らく次にこの場を訪れるのは同胞たちの解放の時か、あるいは自らが封じられる時だろう。
己の靴音ひとつひとつに耳を澄ませながら、バイロンの閉ざした扉を開く。アルフレッドの表情に、もう迷いはない。
かつかつと静謐を叩く靴音。失われた熱を湛えて揺れる赤毛が、薄い陽光を受けてちらつく。平生はまどろむように落ちかけている眼を厳しく眇め、歩み寄る一人の賢者。
「……――バイロン」
報を携えているはずの軍師に戦況を問おうとして、やめた。
バイロンは王であるアルフレッドではなく、先程までアルフレッド自身も見据えていたものを見上げている。声をかけることなど許さない空気がひたひたと背筋を撫で、何より戦況など聞かずとも知れていた。
賢者の視線をなぞるようにアルフレッドも再び顔を上げる。そこには質量を持った闇に絡め取られ、呼吸を、心音を、時を止めた同胞たちが、瞳を閉ざしている。
ロイヤルパラディンのみならず、ユナイテッド・サンクチュアリ全域、ひいては惑星クレイそのものを突如として侵し始めた闇、ヴォイド。聖域の守護者として、アルフレッドを筆頭に騎士団は総力を上げてこの闇に挑んだが、状況は悪化するばかりだった。戦いとも呼べない一方的な蹂躙。騎士たちはひとり、またひとりとヴォイドの前に敗北し、今や騎士団は壊滅状態にあるといってもいい。
不幸中の幸いか、言葉なきヴォイドの意思によるものかは不明だが、倒れた騎士たちは一命を取り留めてはいる、らしい。らしいというのも治療に当たった者たちまでもがヴォイドに侵され、最早救う手立ても知りようがないためである。
ただ生きたまま時を止めたこの状態を、世界樹の巫女は『封印』と称した。
封印された同胞たちを、アルフレッドは苦い面持ちで一人ずつ見つめ――最後の一人で、視線を止めた。 恐らくバイロンも同じひとりを見上げている。
「……救うことが、できるだろうか」
問いではなく、思わず零れたことばだった。
濁った陽光すら飲み込んで、荒れた神殿で蠢く黒。その虚ろの中でさえ映える白皙、揺蕩う亜麻色、ひび割れた兜から覗く、不純の証と蔑まれる耳朶。孤高の騎士、ガンスロッド。
若い騎士たちを逃がすために単身でヴォイドに立ち向かったと聞く。アルフレッドの曽祖父の時代から騎士王に仕える往年の騎士は、何を思いその時を止めたのだろう。そんな彼すらも容易く飲み込んだ闇から、どうすれば救えるというのだろう。
「――それは、アンタ次第だろ」
硬く、尖った声でバイロンが答える。ゆっくりと振り向けば、声と同じ程に鋭い目に射抜かれた。
見つめ合うことしばし。落ちるのは鋼の鈍さ。責めと迷いの視線は賢者の吐息で解かれる。バイロンは部隊の報告がまとめられているだろう書類をぞんざいに放り投げた。舞い落ちる紙片の向こうに、アルフレッドはバイロンの疲れた笑みを見つける。
「状況は報告するまでもなく、絶望的だな。全ての隊が最終防衛線まで後退。追撃で行方の知れなくなった連中もいる」
「……ガルモールは?」
「獣騎士殿は予定通り、ハイドッグ部隊と共に国境線を抜けた。不幸中の幸いだな」
機動力を見込み、ガルモールには各地の騎士への応援を頼んでいる。応援という名目の戦力の温存だ。他の騎士たちが斃れても再起できるようにとアルフレッドが提案し、バイロンが体裁を整えた。実質最後の策といえる。命を下した折、ガルモールの伏せられた顔に浮かんだ苦渋をアルフレッドは忘れられない。
アルフレッドも長く息を吐き、再びガンスロッドを見上げた。最後に交わした言葉は互いに、せめて貴方だけは、と。弱く浮かぶ孤高の騎士の微笑と、それでも揺るがぬ忠義を宿した瞳は、闇に沈んで久しい。
まだ王の役目も己の立場も知らなかった頃から自分を見守っていてくれた、淡い夜明け色。この瞳が閉ざされているのを見るのは、初めてではないだろうか。
指先を宙へと伸ばす。しかして冷えた頬に触れることも叶わない。開かれることのない瞳を、闇がざわめいて遠ざける。
「私は、」
何者をも遠ざけ、拒む虚ろ。飲み込まれれば生からも争いからも遠い。
「ガンスロッドが封印されてよかったんじゃないかと、思っている」
それはある意味、不純と不義の子と謗られながら孤独に戦い続けたガンスロッドの解放にも思えた。封印されてしまえば争いも蔑みもない。安寧の停滞だけがある。
ふんと鼻が鳴らされた。ヒューマンよりも長い時を生きるジャイアントは、睨めつけるようにアルフレッドを見、腕を組む。続けてこんな腑抜けなど見ていられるかと言わんばかりに視線を転じた。ガンスロッドを仰ぎ、常ならば書物をめくる指を無造作に宙へ伸ばす。
「俺はそうは思わない。絶対に」
拡げられた手のひらに、侵す闇を捉えるように。握り込まれた拳のぎちりという音は離れたアルフレッドにもはっきりと聞こえた。
諦観も絶望も振り払ってバイロンが振り返る。熾火のように賢者の髪が揺らめく。いまだ遠い希望の炎に似て、光は騎士たちの王を諌めた。
「アンタがそれじゃ、コイツが報われない。アンタを守るために封印されたコイツが」
「……バイロン」
「アンタのことは心底気に食わない」
名を呼ぶことすら許さないといわんばかりの剣幕で、それでも、とバイロンは続ける。
「それでも、コイツが命を懸けてまで守りたいのがアンタなんだ。最後の最後まで、知恵だけは貸してやるよ」
場の空気を裂いて赤いマントが翻る。もう話すことはないと言外に告げられて、アルフレッドはわずかに力の篭っていた肩を落とした。かつかつと遠ざかる靴音と、燃える赤の背中を黙して見送る。
重々しく扉の閉ざされる音に、もう一度ガンスロッドを見上げ目を眇めた。
「……そうだな。すまない、ガンスロッド」
バイロンはガンスロッドの養父だという。不純と疎まれ王家から出されたガンスロッドを賢者たちが育てたらしい。アルフレッドが生まれる三代前ほどの話であるため、詳しい経緯は分からない。ガンスロッドにもバイロンにも、他の賢者やエルフたちにも尋ねるのは憚られた。
それでもバイロンのガンスロッドに対する物言いやさり気ない振る舞いから、彼が何よりもハーフエルフの養い子を慈しんでいるのは容易に知れた。何よりもアルフレッドに対する厳しい態度がその事実を裏付けている。
であるというのに、彼の前で弱音めいた台詞を零すとは。我ながら絶望的な状況に苛まれているにしても無神経にも程がある。
「お前をここから解放するのは私ではないかも知れないが――最後までお前の、お前たちのために戦おう」
苦い思いを密やかな決意に変えて、アルフレッドも踵を返す。恐らく次にこの場を訪れるのは同胞たちの解放の時か、あるいは自らが封じられる時だろう。
己の靴音ひとつひとつに耳を澄ませながら、バイロンの閉ざした扉を開く。アルフレッドの表情に、もう迷いはない。
- 2013.1.16 x 2013.1.17 up
戻