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相当侵食されていると思う、心の奥の奥まで

 珍しい客にジェイドは譜眼を眇め、口の端を笑みのかたちに持ち上げた。椅子に腰掛ける相手の前に紅茶の入ったカップを差し出し、向かいの席に座る。
「珍しいですね、貴方が私を訪ねてくるなんて。それともガイのほうですか?」
 後者である可能性が高いが、生憎とガイは所用でグランコクマを出ている。しかし目の前の相手は首を横に振った。赤い長髪が微かに揺れる。
「そういうわけでもない。単に顔を見に来ただけだ」
「貴方ほどの身分の方が?」
「父上の許可は取ってきた」
 あとジェイドにそう言われると気持ち悪い。
 言って眉間に皺を寄せながら、相手は紅茶のカップに口をつける。苦笑しながらジェイドも自分のカップに口をつけ、一口。ソーサーにカップを戻し、
「貴方が戻ってきてから三ヶ月、ですか。調子はどうです? ルーク」
 タタル渓谷に目の前の相手――ルークが姿を現してから三ヶ月。ルークを知る者は皆彼の生還を喜んだものだが、本人は控えめに笑みを浮かべるだけだった。
 そして三ヶ月を経た今でもわからないのは、目前の彼が誰であるかということ。誰が尋ねても、彼は「自分はルーク・フォン・ファブレだ」と答えるだけで、結局明確な答えは得られなかったのだ。なので本人の述べるとおり、周りの者たちは彼を「ルーク」と呼んでいる。
「特に変わったことはない」
 ルークもカップをソーサーに戻す。
 仕種を見ても口調を聞いても、彼が『ルーク』なのか『アッシュ』なのかは判らない。今更どちらなのかと考えるのももう意味のないことなのかもしれないが、『ルーク』と『アッシュ』は完全同位体でありながら全く異なる存在であったし、ジェイドが唯一と言っても差し支えなく理解できなかった『死』を身近に感じさせたのは、『ルーク』だった。
 そして何より、本人たちが自らの存在を主張し合い、違う人間だからこその感情をお互いに抱いていたはずだ。
「……三ヶ月」
 ルークがぽつりと漏らし、ジェイドは散漫になっていた注意をそちらに向ける。しかしルークの視線は窓に向けられており、翡翠の瞳には遠く譜石帯を映していた。己に深く関わった、ローレライが昇った場所。
「経った。ローレライを解放してからはもっと経っている。けど俺は変わらず、ローレライは余計なことをしたと、思っている」
「……何故です?」
 ああきっとこの話をしに来たのだなとジェイドは思った。そうでないとしても、彼がこの話をできるのは自分だけだ。ティアやガイやアニスやナタリアには到底話せないだろう。
「大爆発が起ころうと起こるまいと、俺達は生き残れる状況じゃなかった。今俺がここにいるのは、ローレライのお陰だろう」
「折角生きているのに、それが余計なことだと?」
「ああ」
 はっきりと頷き、譜石帯からジェイドへと視線を戻す。
「俺の中にあいつがいるとしても、俺とあいつがひとつになったんだとしても、意味がないんだ」
 結果として、奪い合ったひとりぶんの陽だまりに、二人ともがいる。
 それでは駄目なのだろうと、ジェイドも思っていた。ティアやガイやアニスやナタリアなら、生きていることを喜ぶべきだと言うのだろうが。
「俺は俺で、あいつじゃない。あいつはあいつで、俺じゃない。二人じゃないと、意味がない」
 同じであって違うから。異なる存在だから。だから抱いていた感情があった。
 今のルークをして『ルーク』と『アッシュ』の二人ともが生き残ったのだと言えるとしても、同じ体に二人が存在している限り、その感情の行き着く先はない。
「……ローレライは本当に余計なことをした。こんな風になるなら、いっそ二人とも死んだままでよかった」
 ひとりでは、愛し合えない。
 ルークはカップを覗き込んだ。オレンジ色の紅茶に映るのは『ルーク』でも『アッシュ』でもない、彼だけだろう。
 フォミクリーを、この状況を生み出した過去の自分を激しく呪いながら、しかしどうしようもなく、ジェイドはただカップに残る紅茶を飲み干した。
    2006.4.16(好き過ぎる7のお題)