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ひかりのなまえ

 淡い光に視界が霞む。更にゆっくりと星の中心へと落ちてゆくから、上も下も右も左もよく分からなくて。
『私の視た未来が僅かでも覆されるとは――……』
 今までに幾度も聴いた声に顔を上げた。人のような形を取る光――第七音素の意識集合体、ローレライ。師の戒めから解かれたそれを縛るものは何もない。ただそれが望んだとおり、あとは遥か高みの音譜帯へと昇るだけ。
『驚嘆に、値する――』
 光が、昇る。
 長い長い尾を引いて、雲を裂いて、空へと。
 きっとこの様子は、オールドラントに住まう全てのものに見えているだろう。
 自分もまた光になる。
 師との戦いと、ローレライの解放で消費された第七音素。レムの塔で瘴気を中和したときからずっと避けようがないと決まっていたけれど。
 自分の体から光の粒子が昇ってゆく。アブソーブゲートで見た記憶粒子のようだと思った。雪のように、ゆっくりと、雪とは違って空へと落ちてゆく。
(こんなきれいなものになるなら、それもいいかもしれない)
 みんなと交わした約束は、守れそうにないけれど。
 淡い光に視界が霞む。更にゆっくりと星の中心へと落ちてゆくから、上も下も右も左もよく分からなくて。
 淡い光に意識が遠のく。体が薄れて境界が曖昧になるから、自分も他人も世界もよく分からなくて。

 ただひとつ。

(あ)

 腕に抱きとめた。

「アッシュ――……」
 光溢れる視界の中で、落ちてゆく重い瞼を僅かばかり持ち上げる。狭い視界に真紅の髪が鮮烈に飛び込んできた。許し難いものを灼く、焔の紅。聖なる焔の光に――自分が奪ってしまった彼の本来の名に相応しい。
「……お前に返すよ、ぜんぶ」
 奪い続けてきた暖かい陽だまりを。
「聞こえてるんだろ? 『ルーク』」
 自分の体から光が零れるたびに、アッシュが死んでから流れ込んできた温かい『なにか』も零れていく。そして冷えていたアッシュ――いや、『ルーク』の体が熱を取り戻しているようにも感じられた。
 自分が彼から奪ったものを、少しでも返せているだろうか?
「……ふざけるなよ」
 自分と同じ、だけどもっと低い声。同時にもう感覚もない、それどころかかたちすらない腕の中で『ルーク』がゆっくりと身を起こした。落ちゆく譜陣にしっかりと立つ。同じ高さにある深翠の瞳に、光になってゆく自分が映る。
 それだけで、なんだかもう。
「……泣いてんじゃねぇ、屑」
「だっ、て、」
 いい加減淡い光で霞んでいる視界なのに、滲んできた生温い水のせいで更に見えづらくなる。もうこれがさいごだから、消えてしまう前に目の前の彼をしっかりと見つめていたいのに。オリジナルだとかレプリカだとか、そういうのを抜きにしてようやく対等に向かい合えるのに。水を拭おうと思ったけれど、動かす腕の先は光になって消えてしまっていた。
 だからといってこの水は止められない。
 だって。だって。
「嬉しい、からっ……」
「……何がだ」
「約束するの、嫌いだって言ってた、けどっ……あのとき、約束してくれたっ……そんで、いま、約束っ……守ってくれた、からっ…」
 守れなかったとき嫌だからなんて理由で指切りもしなかったような奴なのに、あのとき約束してくれた。迫る神託の盾の兵士たちに、武器も持たずにひとり立ち向かいながら。

 『……約束しろ! 必ず生き残るって! でないとナタリアも俺も……悲しむからなっ!』
 『うるせぇ! 約束してやるからとっとと行け!』

 そして約束どおり、生きている。今こうして目の前に立っていて、その瞳に自分を映してくれている。
「……嬉しいなら泣くな」
 腕が伸ばされる。もう光になってしまった自分の腕に代わって、流れ落ちる水を拭ってくれた。ほんの少しだけ視界が良くなって、彼の顔が視える。らしくない彼の行動に、えへ、と思わず笑みを零すと、泣きながら笑うなと言われた。なんだかおかしな気持ちになって、涙も笑いも止まらないまま抱きついた。抱きついたといっても、彼の体に回す腕も最早ないから、身を寄せたというべきかもしれない。
 突き飛ばされるかとも思ったが、予想に反して彼は無言で立ち尽くしていた。それをいいことに、彼の肩に顔を埋める。真紅の髪が頬に触れた。
 重なり合った胸から、ふたつの鼓動が聴こえる。とくんとくんと、同じリズムで刻まれるそれは、やがて混じり合い重なり合い、ひとつの鼓動に変わっていった。
「……聞いてたろ、さっきの。お前のもの、ぜんぶ、返すから」
「テメェは聞いていなかったようだな。『ふざけるな』と言った筈だ」
 言っている意味がわからない。小首を傾げながら顔を上げると、さまざまな感情が渦巻く翠瞳に迎えられる。お前は、と目を合わせたまま、
「お前は、誰のレプリカだ」
「……俺はお前の――『ルーク』の、レプリカだ」
 答えると彼は“ルーク”の名に複雑そうに苦い顔をしたが、そうだろうと低く呟いた。
 次いで、ふわりと。
 温かな腕の中に抱きこまれた。
「お前は俺のレプリカだ。……俺のものだ」
「……『ルーク』――」
「俺のものは全部俺に返すんだろう。……だったら、消えてんじゃねぇ」
 さっき自分が抱いていたときは冷たかった腕が、温かい。音素と元素に還っていく体に滲む温かさに、収まりかけていた涙が再び零れてきた。
 こんなことを、彼に言われるときがくるなんて。
 自分は彼にとって、父を、母を、許嫁を、居場所を――すべてを奪った憎いレプリカである筈なのに。
 消えるな、なんて。
「……えたくない……消えたく、ないっ……」
「……消えるな」
「でもっ……ムリ、だから……ごめッ……」
「ムリじゃねぇ」
「もっ、と……皆と……アッシュと、生きたかった……」
 零れる涙すら光に変わっていく。
 一層きつく抱きしめられる。
 怖い。悲しい。寂しい。けれど彼の腕の中にいることが
「……うれしい」
「ルーク」
「ありがとう……アッシュ――……」
 もう、見えない。なんの感覚も、ない。
 だけど自然と笑みが零れた、気がした。……自信はないけれど。
 さいごに口をついて出た言葉は、彼に届いただろうか?

アッシュ――……だいすきだよ……





 それが、





 さいご。





「……ルークっ……」
 腕の中に抱いていた脆弱な存在は、光の粒子になって滲むように溶けていった。ルーク、ともう一度、自分のものであるはずの名を呟く。
「名前も……お前のものだろうがッ……」





 聖なる焔の光。
 そんな美しい名前は、自分には相応しくない。
 光になって消えていったあいつにこそ相応しくて、
 あいつに生かされた自分は、聖なる焔の燃えカスで十分だ。