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SH-log


どうせなら愛してると叫べば良い

「何、この馬鹿。何やってんだ?」
 石畳に転がる体を爪先で蹴飛ばした。
「ぅ、るせ……」
 鈍く呻いて、血に濡れた髪の隙間から眉間に皺が寄る様が見て取れる。もしかしてこいつ。蹴飛ばすついでにろくに動きもしない体を転がした。ブーツの爪先に血がついて、今度はイヴェールが渋面を作る。ブーツが汚れたのが癇に障った訳ではない、とは言い切れないが、眉間の皺の大半は転がったローランサンの腹から石畳までべっとり広がる血のせいだ。
「これ、お前の?」
 掠れた声が半分、と呟いた。半分はローランサンが腹から大サービスでダラダラ垂れ流してる血で、もう半分は返り血ということだろうか。視線を滑らせればローランサンの掌中にはいつもの、古風な、黒い剣。月光に目を眇めれば黒い刃にべったり付着した何かがさらに黒を濃くしている。何か、というか、誰かの血だろうが。
 さてこの馬鹿をどうするか。腕を組んで見下ろしてもローランサンはひゅうひゅう息をしながら見上げるだけで何も言わない。しばらく見つめ合って、正しくは睨み合って、溜め息で沈黙を破ったのはイヴェールだった。
「なんで一人で片付けようとした?」
「……おまえなんか来ても、役に立たねーじゃん」
「ふぅん。それは認めてやるけど」
 確かにイヴェールは体を使うことに関してはからっきしだ。握力と腕力になら自信はあるが大雑把な性分で、この稼業で一番大事な手先の器用さというものがない。自分でもわかっているからローランサンと組んで仕事をしている。だから否定はしない。そういう性分だといい加減ローランサンも理解しているだろうが、このふてくされたような物言いは嫌味のつもりなのかもしれない。血ィ流しすぎていろいろ吹っ飛んだか。
 それじゃあ。腕を組み直してもう一度、イヴェールは長く息を吐いた。
「今。なんで助けてくれって言わない?」
「っ……お前にそんなこと言えるわけねーだろ!」
 地面に転がったまま吠えて、傷が痛んだのかローランサンは体を丸めた。それでも顔だけはイヴェールを見上げている。目の鋭さもそのままだ。
「だから、なんで」
「自分の胸に手ェ当てて訊いてみろ! お前に頼みごとして俺はロクな目にあったことがない!」
 ついに痛みも忘れたか、ローランサンは肘をついて上体を起こした。この分なら肩を貸す程度で帰れるか。でも血の処理が面倒だな、もうしばらくはこの街に留まるつもりだから跡を辿られても困る。
 後処理の煩わしさと方法について思案しながら、ついでにイヴェールは答える。胸に手は当てなかった。
「じゃあ別の言い方すればいいだろ」
「知るか、そんなもん! 俺はお前に助けてもらおうなんて思ってねーよ!」
「俺はお前を助けようと思ってるんだけど。お前が死んだら困るし、そうじゃなくても俺は結構、」
 とりあえず適当なところに移動するかと血まみれの腕を掴めばローランサンは抵抗するように体を強張らせるが、単純な力比べならイヴェールの方が有利だった。そうでなくても怪我で弱っているローランサンの抵抗など問題にならない。無理矢理引っぱり上げて立たせる。
「お前のこと可愛がってるんだけど?」
「死ね」
「だからそろそろ分かれよ、ローランサン」
「聞けよ、おいッ……傷触んな馬鹿!」
 ローランサンの喚き声を右から左に流して肩を担ぐ。こいつは本当は、俺に対してもっと傲慢になっていいのに。それを俺が許すか許さないかは別にして。助けてなんて殊勝な台詞は端から期待していないからきゃんきゃん喚くならせめて、一言ぐらい――
「そっちのがありえないな」
「いッ……てぇぇぇ! だからそこ、傷口だって言ってるだろうが馬鹿イヴェール!」
 嘆息して、イヴェールは探り当てたローランサンの傷口を全力で押してやった。

きらきらのお星様に耐えられない

 レオンはじっと空を見上げる。小さな窓の中、濃い藍色にちかちか、星。はーっと、長く息を吐けば白く濁る。
「殿下、早くお休みなさいませ」
 後ろからカストルが声をかける。レオンは空を見上げたまま、ぷるぷると首を横に振った。一瞬横を向いたちいさな顔の、これまたちいさな鼻のてっぺんが真っ赤になっているのを見て、カストルは寝台の上の毛布を手に取った。
「ならばせめてこれを羽織ってください」
「……なぁ、カストル」
「はい」
 カストルが背後からそっと肩に掛けた毛布を、ちいさな手で引っぱりあげながら、それでも空を見上げたままレオンは呟いた。呟くように、続けた。
「あの子たちは、どこへ行ったのだ?」
「殿下、それは――」
 カストルは言いよどんだ。主君に対しこんなことはあってはならないのだが、幼いレオンに真実を告げることなどできない。だからレオンの母親は、王妃イサドラは涙を流しながら唯一になってしまった我が子にこう告げたのだ。あの子たちは死んだのです、と。それが今日の昼間のことだった。
 それにこの雷神域の嗣子は聡いのだ。神託、忌み子、微かに耳に入っているだろうそのことばの意味を正確には知らずとも、それらが何であるかに薄々気づいているし、昼間告げられた事実が真実すべてではないと解っている。
「いや、」
 夜に沈む沈黙を掻き消したのは、問いを発した本人だった。まだまだ高い子どもの声が、その幼い声には似合わない哀愁を混ぜ込んで流れる。
「詮無いことを言ったな。今のは忘れてくれ」
「は……しかし」
「あの子たちは、」
 くるりと窓に背を向けるレオン。小さな背中で、羽織った毛布は王者の威厳でたなびいた。
「もういない。それでいいんだ」


 自らに言い聞かせるように呟いて、それを最後にあの子たちの話はしなくなった。
 あんなに健やかに眠っていた妹と、あんなに元気に泣いていた弟が、たった一日会わないうちに亡くなってしまったなんて信じられなかった。それでも私には語れない事情があるのだと、カストルの態度に確信したから、以来口を閉ざした。口を閉ざしただけだ、今でも私は考える。
「カストル――」
 戦場ではぐれてしまった腹心の部下の名を、気づいたら口の中で転がしていた。びりびりと痺れる手に無理矢理力を込める。雷槍の刃に青白い光が迸る。
 真っ直ぐに正面を見据えれば黒い剣を両手に携えた男。紫が混じる白銀の髪が、戦場の土埃にふわりと舞った。どこかで見た、淡い色。
「あの子たちは、どこへ」
 私と同じ、神の眷属かも知れないと、言ったのはカストルだった。
 誰にも届かない問いは、対する狼将の紫眼に吸い込まれてとける。いつか見た、懐かしい色に。
 アメティストスが走る。構えた雷槍と噛み合う黒い刃は、あの日見上げた、あの日目を逸らした夜空の色に似ていた。
    2013.02.09 up