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log/30 Day Challenge


01.手を繋ぐ

    170802(privatter:2017-06-25)


    ※R-18
 どうしようもない程の熱を肉体の真ん中に感じる。ぎゅうと身を寄せれば濡れた下肢と肌が擦れ合う。
 確かにここに『いる』のだとこの上なく実感させられる。なのに自分が支配されてばらばらになって無くなってしまいそうで、サンダルフォンはこの行為、この瞬間が苦手だった。
 いや、あるいは渇望しているのか。だって自分はここに『いる』必要なんてない。価値もない。だからせめて支配されてばらばらになって無くなってしまいたい。
 二千年間焦がれた相反する望みが叶う瞬間が、サンダルフォンを突き落とそうとしている。それは恐怖であり歓喜であり――感情に引き摺られた肉体は素直に反応した。己をうちがわから犯す肉をぎゅうと締めつけてしまう。すると更に質量を増した肉に隘路を圧迫されて、かは、と息がこぼれた。
 思考回路が火花を上げて明滅している。がくがくと下から揺さぶられて突き上げられて、上も下も右も左も、自分も相手もわからなくなる。ゾクゾクする。尾骶骨から這い上り背中を撫で上げ、そして脳髄を迸る甘やかな苦痛に喘ぐ。もうすぐ弾けてしまう。自分が自分で無くなって、相手に全て呑み込まれてしまう――目を細めて天を仰ぐ。ああ、と漏れた声は我ながらじっとりとした歓喜を孕んでいた。もうすぐ『いなくなる』のだ。サンダルフォンは行き場のない手を開いて肉体の全てを投げ出して、最高の瞬間に消えようとする。
 ――のに。どこにもいけない手のひらに、少し低い温度が触れた。
「ぁ」
 ぴくりと、体が跳ねる。暴力的なまでの、前後不覚の衝動とは比べものにならない、ほんの些細な接触と反応。なのに砂漠に落ちたひとしずくの水のように沁みて、サンダルフォンの酩酊する思考を覚ましてゆく。更に確たるものにするかのように、低い温度はするりとサンダルフォンの指を開いて搦め捕り、しっかりと囲ってしまう。右手も、左手も、同様に。そうして引き寄せられる。繋がった場所が抉るように動いて震えるが、その肉体ごと受け止められた。
 受け止められたのだ。全てを晒した肌と肌がぴったりと、隙間なんて少しもないぐらいにくっついている。お互いの汗で湿る肌は吸いつくようで、サンダルフォンはこのまま一生離れられないのではないかと錯覚する。支配されるのでもなく、自分が相手に取り込まれるのでもなく、個と個として。それはとても幸せで不幸せなゆめだった。
「――サンダルフォン」
 指と指を搦め合い胸と胸を合わせたまま、そっと顔を寄せられて耳元で名を呼ばれた。またゾクゾクとした感覚が耳から直接吹き込まれて、ゆめを見る脳みそを犯してゆく。真っ白に弾けてしまいそうになって唇を噛み締めた。同時にいかないでと、そんな素振りもないうちがわの彼をきゅっと締めつける。浅ましいだろうか、でもまだもう少しこのままでいたい。終わらないで欲しい。幸せで不幸せなゆめを見ていたい。
 ふと、頬を撫でる感触。寄せられていたつむりが離れて、柔らかな朝日を溶かしたような金の髪が遠ざかってゆく。寂しさに「あ」とこぼした声は、しかしちゅっという小さな水音に吸い込まれた。唇の端に熱が触れる。そのまま目尻にそっと触れられる。
「……泣いている」
 苦しいのか、と問いかけられ、そっと下から覗き込まれた。穏やかな空の色の瞳。吸い込まれそうな、どこまでも遠く世界の進化だけを見つめる尊い眸。そこに情けなく醜いほど、ぐちゃぐちゃに濡れたサンダルフォンの顔が映っている。ここに『いる』。
 苦しい。でも、嬉しい。嬉しくて苦しい。苦しくて幸せ。幸せなことが不幸せ。
 どれもサンダルフォンの感情で、どれも違うような気がする。完璧なこのひとに創られたのに、どうしてたったひとつの問いにすら答えられないのか。役立たずの唇は答えられない代わりに、許されるならと、名前を呼んだ。
「ルシフェル」
「……ああ」
 答えがある。触れ合う相手、創造主たる彼に、二度反旗を翻したおろかなサンダルフォンをコアに還したルシフェルに、許されている。
 声が優しく響いていると、そう思うのはサンダルフォンのあまりに都合の良い勘違いだろうか。それきりの沈黙は先を促しているようで、サンダルフォンは胸を突く衝動のままに声をこぼす。
「ルシフェル、さま。どうか、」
 何を希うのか。許されたいのか。
 相反しことばにならない感情は結局何も言えず、俯いた。不出来な唇の代わりに雄弁に、重なる肌を鼓動が震わせている。
 やがてゆるりと、腰を揺すられた。不意の衝動に高い声が漏れる。頤を上げて喘げば、晒した喉を甘く食まれた。首筋の血管がどくりと脈打つ。一度大きく舐め上げられて、ルシフェルらしからぬ獣めいた所作に慌てて見下ろした。そこには穏やかな微笑があって、じっとサンダルフォンを見つめている。
「いっしょにいこうか、サンダルフォン」
「ぁ……ルシ、ぁ、ふあっ」
 うちがわかの肉がぐっと迫り上がる。サンダルフォンの肉体の奥の奥、迎え入れられる限界まで入り込む。それは支配でも蹂躙でも同化でもなく、どこまでも近くにいたいという衝動のように思えて涙がこぼれた。ぽろぽろと落ちるそれをルシフェルの唇が受け止めて呑み込んでゆく。ことばにならない感情のすべてを、ゆるされる。その事実にサンダルフォンはまた泣いた。
 ルシフェル、と呼べば応えがある。言葉で、唇で、サンダルフォンとひとつになっている場所で。受け止めたくてサンダルフォンも震える肉体を叱咤し、腰を揺すった。受け入れるようにできていないうちがわを、それでもルシフェルのためだけの場所として肉で肉を食む。隘路を緩ませて、絞って、例え浅ましいと嘲笑されたって構わない。人間とは違う、ましてや同性として創られたサンダルフォンに彼を受け入れる機能はないけれど、理屈ではなく原初の欲求として、一番深いところでルシフェルを感じたい。もっともっと、ずっと近くに感じたい。ここに『いたい』。
 求めるまま体ごと擦り寄れば、ルシフェルの唇が寄せられた。己のそれを触れ合わせて応える。
「サンダルフォン……」
 吐息の混じる声で囁かれてそれだけで腰が砕けてしまう。恐らく自分はこのひとに逆らえるようにはできていないのだけれど、そういう制約とは違う、もっとむず痒いところでこのひとに抗えない。とりわけ耳元で囁かれる声はだめだ、体の力が全て抜けてしまう。落ちてしまう前にそうっと、重ねたルシフェルの手のひらを握った。強く握り返されてまた背筋が粟立つ。
 なかはサンダルフォンの感情を汲んで、きゅうううと切なくうちがわのルシフェルを締めつけた。途端にどくんと肉が膨らんで、まだこれ以上先があるのかと目を瞠る。張った嵩で押し広げられて、少しでも緩め受け入れようとサンダルフォンも懸命に呼吸を繰り返した。はくはくと喘ぐ唇を、しかしルシフェルのそれが塞いでしまう。サンダルフォンは拒むこともできず、ぬるりと押し入る舌にされるがまま、口内の全てを差し出す。舌を舌で絡め取られて歯列をなぞられて、口蓋を擽られた後に互いの唾液を混ぜ合わせる。目の奥がちかちかする。サンダルフォンがルシフェルとは別の、サンダルフォンという個体でありながらこうしてひとつに溶け合っている。口のなかを優しく荒らす舌は求められているようで、うれしい。昏い歓喜とは真逆の感情で、いっそこのまま消えてしまえたらとすら思う。
 するりと、手首を撫でられた。確かめるように強く手のひらを握り直される。つうと混ぜ合った唾液を銀の後に変えて、ルシフェルの唇が離れていった。切なく名残を惜しむ間もなく、離れた唇がことばを紡ぐ。空の世界を溶かす瞳に、真正面からサンダルフォンだけを映して。
「サンダルフォン」
「はっ……ぁ、ルシ、フェル?」
 こつりと額が触れ合った。途端、脳内にいくつもの映像が流れてゆく。
 暗いもの、眩いもの、血腥いもの、冷たいもの。これは恐らく、ルシフェルの記憶のようなものだと思う。知らない人間、知った人間、知らない星晶獣、知った天司、原初の星晶獣、幽世のものたち、蒼の少女と赤き竜と特異点の子。不規則に無秩序にノイズを交えながら過ぎ去ってゆく。そして最後に。
「あ、」
 自分がいた。うす暗い研究所の中、ルシフェルを見上げて我ながらまだ幼気な表情浮かべている。明滅して名もなき島の上、怨嗟と、一転して絶望すら抜け落ちた顔でルシフェルを見つめ、光と共に消えていく。
 強く手を握られた。額を寄せられた。サンダルフォンのうちがわに入り込む熱が、一番奥の奥、これ以上は届かないところまでこつんと突き上げた。繋ぎ止めるように。
「君に、ここにいてほしい」
「あ――」
 最後に、光の中で微笑む自分が映って、瞬きと共に消える。
 代わりに、ずっと欲しかったものが。ゆるされるはずはないのに、ゆるしてほしくはないのに、生まれ落ちた時からずっと欲しかったことばが、微笑みが、存在が。ただサンダルフォンのためだけにここにあった。
 穏やかな赦しとはかけ離れた圧倒的な感覚に襲われる。獣のような、とも、暴力的な、とも異なる。例えるならば光だった。どこまでも果てがなく輪郭がないそれに肉体ごと、魂ごと呑み込まれる。中に熱が広がって、押し流されるように達する。
 けれどどこにもいけない自分はどこかに放たれることもなく、確かにここに『いる』。手のひらでしっかりと繋ぎ止められた、ルシフェルのそばに。かつて焦がれた、世界を天秤に掛けてすら望んだ場所に。
 憎悪して生き長らえた二千年を無為にする。わかっている。絶望だと。けれどルシフェルが求めてくれるなら、ここにいてほしいと望むなら、それもまた罰になる。……今はただ、サンダルフォンがすべてを賭けて求めたたったひとことに浸っていたい。不幸せで幸せなゆめに。
 俺も、あなたといっしょにいきたい。答えは声になったのか、ならなかったのか。どちらにしても届いているのだろう。願いを掬い取るように唇を合わせられて、ばさりと広がる六枚羽に包まれた。ゆめもうつつも輪郭を溶かしてゆく中、繋いだ手がサンダルフォンとルシフェルを隔てて、結んでいる。

02.抱きしめる

    170802(privatter:2017-07-03)

 それじゃあ、またな。
 平静を装って告げる。ひと時の別れの寂しさと、また会えるのだという約束への歓喜と、こんな感情を持って『生きている』ことへの違和感と罪悪感と、こそばゆさ。ガラス細工が触れ合うようなさやかな感情たちを覆い隠す。
 そうして背を向けて数日の蜜月を過ごした塒を後にする。やわらかく影の差すコテージからきらきらと光の粒を跳ね返す海に彩られた外の世界へと、一歩踏み出す――はずだったのに。
「サンダルフォン」
 く、と。この男にしては弱々しい力で引かれる。無視することすらできるささやかな足止め。
 なのに無視することができなかったのは、自分が被造物でこのひとが創造主だから。だから抗えないのだ。そうに違いない。そう思いたい。だから頬の熱さも、この男にはそんな必要のないはずの縋るような声と声に砕けそうになる腰も、絶対に自分が悪いわけではない。この男のせいであって、自分に非は一切ないのだ。
 ぐるぐると思考する間を許しと取ったのか、背後からそっと肩を抱かれる。ふわりと音がして外に広がる光のような雫か室内に舞い上がる。なのに実際は真逆で、白い翼に視界を体ごと閉ざされる。すり、と後頭部に何かが擦り寄って、耳元を甘く低い声が掠めた。
「……やはり、帰したくないな」
 嗚呼、本当にやめて欲しい。
 サンダルフォンは心の中だけ嘆いた。とても言葉にすることはできない。星の民に造られた、原初の星晶獣の一体。空の世界を見守り支える天司たちの頂点に在す天司長。至高の存在。進化を司る天司――ルシフェルが、そんな声で。人で言うならば泣きそうな、切ない声で。
 ただひとりサンダルフォンという取るに足らない個に、自分だけに向けて囁いているなんて。天司のなりそこないとしても人もどきの端くれとしても、ルシフェルをひとりのひととして恋い慕うちっぽけな男としても、抗えなくなってしまうではないか。
 うう、と呻く。ぎゅっと、こわれものを扱うように抱き締められる。このまま誘いに堕して永遠にふたりだけでいたい、なんて、このひとの存在する理由を考えるにどんなに自分が、あるいはこのひと自身が望んだって叶うべくもないのだけれど。そういう幻想を見てしまいそうになる。
 けれど今は。今のサンダルフォンには、帰る場所があるのだ。それはここではない。このひとの麾下でも、況してやコアでもない。甘く優しい腕の中でもない。
 笑って送り出してくれた『仲間』たちの顔を思い出して、サンダルフォンは抱き締める腕をそっと外した。抵抗はなく、視界を覆っていた真白い翼もするすると退いてゆく。振り返って見れば案の定、眉を下げて曖昧に微笑む顔がある。
 ルシフェルのこんな顔を見たことがあるのは、永い永い空の世界の歴史の中でも自分だけだろう。一瞬、昏い悦びと優越が胸を掠めて――しかしサンダルフォンはふるふると首を振った。天司とも人ともつかない、ただのひとりのサンダルフォンとして『生きている』今、そういう排他的な感情でこのひとと繋がることはやめたのだ。
「今日には帰ると、団長や他の『仲間』たちと約束した。それに、その……また、こうして逢えるんだろう?」
 少し視線が逸れてしまって、慌てて上目遣いに窺う。ルシフェルは相変わらず憂いた表情をしているが、サンダルフォンの胸に去来する影はもうない。言葉にすればあのお人好しの過ぎる団長やずっと自分を気遣っていた蒼の少女や、不要なまでに世話を焼いてくれたコックたちやら商人やら錬金術師たちやら少女たちやら愛の伝道師やら諸々、彼らの笑顔が光になって満たしてゆくようだった。
 尤も、どれだけ縁や絆と呼ばれるものを結んだとて、サンダルフォンの光の根源はこのひとただひとりなのだけれど。サンダルフォンはルシフェルから分化し、個となり、天司としての役割は持たずとも他との中で『生きる』ための術を見つけた。そういうことだ。
 コテージの飴色の床に、一本の線が引かれている。扉から差す光と、蜜月を育んだ室内の影と。今だけはサンダルフォンが光に立っていて、そしてルシフェルは影から見送っている。
「ならば私も」
 囁くほどのか細い声だった。ルシフェルは少し身を屈め、覗き込むようにしてサンダルフォンを真っ直ぐに見つめてくる。
 気を強く持たなければ。サンダルフォンは思う。また先ほどのように崩れ落ちかけてしまわないように――頑なに誓うサンダルフォンの手がそっと持ち上げられる。
「約束をしてもいいだろうか。またこうして、ふたりだけで過ごせるように」
「ぁ……う、団長の、許可が下りたら」
 取られた手の甲に、指に、唇が落とされる。触れた箇所からぽつぽつと火が灯る、そんな錯覚にぞくぞくする。これはまずい気がすると腕を引こうとすれば、ぺろりと舐め上げられて悲鳴を上げそうになった。
 この数日、もっとずっと深いところで繋がって触れ合っていたのに、手に唇が触れて舐められるだけの行為がどうしてこんなに恥ずかしいのだろうか。サンダルフォンは涙目で口をはくはくさせるぐらいしかできず、するとようやくルシフェルが憂いのない笑みを浮かべた。
「ならば特異点の子が許しが下り次第、また会いに行こう。……サンダルフォン?」
「ぁ、ぅ、や、約束は!」
 サンダルフォンの手を取るべく一歩踏み出したためか、今はルシフェルも光の中にいる。きらきらと、朝の光を映して微笑むルシフェルに堪らなくなってサンダルフォンは無理やり手を振った。離れる瞬間、振り上げた腕のせいでまたルシフェルに影がよぎる――瞬間に、ルシフェルの小指を捕まえた。
 ほんの少し目を瞠るルシフェルを視界の端に押しやって、上等な彫刻のようなルシフェルの手だけを見つめる。捕まえた小指に自分の小指を絡めて、一瞬水仕事で荒れた粗野な自分の指に引け目を感じて、思考は振り払ってぎゅっと指と指を結ぶ。
「な、なめる、とかじゃなくて、こうやってするものだと」
 艇を出る前にドラフの少女に教えてもらった儀式だ。何の拘束力も強制力もない、ほんのままごと。なのに確かに約束が形を持ったのだと実感できて不思議だった。安心した、と言ってもいいかもしれない。
 だからルシフェルにもあのときの自分の気持ちが伝わればいいと、そう思った。
「――そうか」
 だから、だからといって――そんな顔をするなんて。
 花がほころぶ、あるいは光が生まれる。いいやこの表情を例える言葉などサンダルフォンは持ち合わせていない。言葉にはできないほどの表情を、自分が、このひとにさせているのだと。
 仄昏い二千年間の記憶が少しだけ、ちりちりと心の端を焦がす。急に目頭が熱くなって、サンダルフォンは慌てて絡めた小指を強く振った。ドラフの少女が歌うように告げた言葉を真似しながら。
「ゆび、切った!」
「切れたのか」
「違う、裂傷とか切断とかじゃない! 確かに約束した、という意味だ、」
 そうだ、とは惚けた声を漏らすルシフェルに背中を向けながら続けた。
 眼前には開かれた扉と、青く広がるアウギュステの海と、どこまでも続く蒼い空が広がっている。光ある世界、絶えず変化する可能性の世界が。
 それじゃあ、またな。もう一度、途切れてしまった言葉を口にする。平静を取り繕うことはしなかったので少しばかり口早に。今は確かに交わした約束への歓喜だけを持って。ガラス細工が光を通して、無限に光の模様を描いている。そんな心地で一歩踏み出す。
「ああ。また逢いに行く――サンダルフォン」
 ルシフェルの声があるはずのない翼になってサンダルフォンの背中を押した。胸には約束を、瞳の先には明日を持って。
    2017.8.2 up