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黄昏マリッジブルー
悠久の古都マク・アヌ。
この『世界』に降り立った者が須らく立つ黄昏の街。初心者向けサーバーのルートタウンであり、キャンペーン用のNPCが多いため行き交うPCも比例して多い。そして行き交う数多のPCに紛れて、錬金地区にその二人はいた。
この街と同じ黄昏の名を冠した、今はなき旅団の元メンバー。白の錬装士と黒の呪療士は並んで夕暮れの海を見ていた。
「あのさ、志乃」
「うん?」
錬装士――ハセヲの呟きに、呪療士・志乃は視線を海から傍らの少年に向けた。
ハセヲは相変わらず海を眺めながら呟く。
「どうやったらオーヴァンと結婚できるかな……」
「……したいんだ、結婚。オーヴァンと」
「ああ」
黄昏の海を眺める横顔はPCながら至極真剣、でも口から飛び出す台詞はM2Dのスピーカーが壊れたんじゃないかと思わず疑ってしまうようなもので、志乃は既視感を覚えた。いつ、どこで、と思考を巡らせ、ああ今現在話題に上っているオーヴァンその人だ、と思い至る。真面目極まりない顔で突然とんでもないことを言い出す、当にオーヴァンだ。
そんなところは似なくてもいいのにと内心呟きつつも、志乃は言葉を重ねた。
「『The World』で、だよね?」
『ハセヲ』が『オーヴァン』と結婚する相談にならまだ乗れるが、『三崎亮』が『犬童雅人』と結婚する相談にはさすがに乗りかねる。志乃にできるのはせいぜい養子縁組か海外に飛ぶかの選択肢を啓示することのみ。2017年の日本でも同性同士の結婚は法律上不可能なのだから。
一応の志乃の確認に、やはり海を見つめたままハセヲは頷いた。
「ああ。……リアルでも、できるならしたいけど」
「そっか……」
返答はありがたいことに、是。後半の台詞は無視することにする。
「結婚式イベント、やればいいんじゃないかな。もちろんオーヴァンが帰ってきたら、だけど」
『誓い』のグリーティングカード、持ってるんでしょと続ければ、ハセヲは再び頷いた。頷いたが、持ってるけど……と歯切れの悪い返事が付随する。志乃は小首を傾げ、そのまま視線だけで先を促した。
ハセヲはちらりと夕暮れ色の水平線に見える島を見た。結婚式イベントの舞台であるイ・ブラセル。ここから見える王者の島はただのテクスチャだけれど、イベントが発生すれば港のNPCに話しかけることで辿り着ける特殊な場所。
ハセヲが欄干に身を預け、眼下の海を見下ろす。そのポーズからは、集音マイクで拾えなかったのだろう小さな溜め息が聞こえそうだった。
「オーヴァン」
「うん」
「受け取って、くれるかな。……グリカ」
惚気られているのだろうかと、志乃は一瞬眩暈めいたものを覚えた。
或いはそれは眩暈ではなく、嫉妬だったかも知れない。
かつてはオーヴァンのことが好きで、今はハセヲのことが好きなんだと思う、いつだったかハセヲにもらったグリーティングカードにそう返信したのは紛れもなく志乃自身だ。
けれど、誰がどう想おうと――志乃が、ハセヲが、オーヴァンが、誰をどう想っていようと、ハセヲとオーヴァンの想いが通じ合っているのは間違いない。そこには志乃どころかアイナでさえ介在する余地はない。痛みの森の最奥でハセヲはオーヴァンに会ったと言う。それが何よりの証拠だ。あの時パーティーに参加していた志乃は、会えなかった。
嫉妬しているのかも知れない。けれど結局のところ、志乃は、ハセヲがオーヴァンがということではなく、ハセヲもオーヴァンも大切に思っているし、何より自分の感情と立場に納得していたので。
いつものように微笑を浮かべた。
「言ったよね……『私は見ていたから』って」
「……うん」
「オーヴァンがハセヲをロストグラウンドに連れ込んで無理矢理×××とか、旅団があったときは@HOMEで誰もいないのをいいことに×××とか、私は、見ていたから」
「……うん」
「大丈夫、オーヴァンはハセヲのこと好きだよ」
リアルだったら即座に捕まるだろうストーカー行為やセクハラやその他諸々を思い返す。歪んでいても間違っていてもほとんど狂気でも、愛が行き過ぎちゃったからこそストーカーはストーカーなのである。
そんなオーヴァンが『誓い』のグリーティングカードを拒むだろうか。いや、拒むはずがない。むしろ嬉々として受け取るだろう。嬉々としているオーヴァンなど想像できないが。
「そっか……そうだよな」
「うん。ウェディングドレスだって喜んで着てくれると思う」
志乃はちょっとだけウェディングドレス姿のオーヴァンを想像してみた。…………純白のウェディングドレスに煌めくサングラスがとても不気味だ。瞬時に想像図を打ち消す。夢に出てきたらどうしよう。
いっそハセヲが着てくれればいいのだけれど、などと思うが。
「似合うだろうな、オーヴァン」
「………………………………そうだね」
PCながらこの上もなく幸せそうなハセヲの笑顔に、志乃はとりあえず相槌を打つに留めた。ここで美的感覚の違いについて議論してもしょうがない。
志乃の内心などつゆ知らず、ハセヲは欄干に預けていた身を起こし視線を合わせてくる。
「ありがとう志乃。俺、今日はもう落ちる」
「オーヴァンのお見舞い?」
「うん――」
ログアウトコマンドを実行したのだろう、転送の光がハセヲの体を包む。
落ちる寸前にハセヲの発した言葉が、志乃の耳と、メッセージウィンドウに残った。
「早く戻ってきて俺と結婚しろって、言ってくる」
ハセヲの姿が消え、しばし無言で立ち尽くしていた志乃だが、周囲から流れ込んでくる膨大な量の会話ログにハセヲの迷言が流されきった頃になってようやく笑みを漏らした。
先ほどハセヲがそうしていたように欄干に身を預け、きらきらと夕陽に煌めく海を見つめる。
「ハセヲってば……それじゃリアルでプロポーズ、だよ」
一人呟いてオーヴァンの眼鏡のように輝く海をひとしきり眺めてから、志乃はワープポイントに向かう。
エリアに行って、オレンジ色の花のアイテムを探そう。
もしあればウェディングドレスにあまりにも似合わないあのサングラスの不気味さを軽減することができるかも知れないから。
花言葉もちゃんと確認しないとね。
そしてその後時間があるなら、オーヴァンの入院している病院に行ってみようとも思った。
ハセヲの言葉でオーヴァンが目を覚ましているかも知れない。そんな単純なものでもないと思うけれど、『呼びかけが大切だって看護士のお姉さんが教えてくれたのー!』と、タビーが言っていたし。
なによりオーヴァン自身が予想外に単純だから、ひょっとするとひょっとするかも。
心持ち軽い足取りで志乃はマク・アヌの雑踏に姿を消した。
この『世界』に降り立った者が須らく立つ黄昏の街。初心者向けサーバーのルートタウンであり、キャンペーン用のNPCが多いため行き交うPCも比例して多い。そして行き交う数多のPCに紛れて、錬金地区にその二人はいた。
この街と同じ黄昏の名を冠した、今はなき旅団の元メンバー。白の錬装士と黒の呪療士は並んで夕暮れの海を見ていた。
「あのさ、志乃」
「うん?」
錬装士――ハセヲの呟きに、呪療士・志乃は視線を海から傍らの少年に向けた。
ハセヲは相変わらず海を眺めながら呟く。
「どうやったらオーヴァンと結婚できるかな……」
「……したいんだ、結婚。オーヴァンと」
「ああ」
黄昏の海を眺める横顔はPCながら至極真剣、でも口から飛び出す台詞はM2Dのスピーカーが壊れたんじゃないかと思わず疑ってしまうようなもので、志乃は既視感を覚えた。いつ、どこで、と思考を巡らせ、ああ今現在話題に上っているオーヴァンその人だ、と思い至る。真面目極まりない顔で突然とんでもないことを言い出す、当にオーヴァンだ。
そんなところは似なくてもいいのにと内心呟きつつも、志乃は言葉を重ねた。
「『The World』で、だよね?」
『ハセヲ』が『オーヴァン』と結婚する相談にならまだ乗れるが、『三崎亮』が『犬童雅人』と結婚する相談にはさすがに乗りかねる。志乃にできるのはせいぜい養子縁組か海外に飛ぶかの選択肢を啓示することのみ。2017年の日本でも同性同士の結婚は法律上不可能なのだから。
一応の志乃の確認に、やはり海を見つめたままハセヲは頷いた。
「ああ。……リアルでも、できるならしたいけど」
「そっか……」
返答はありがたいことに、是。後半の台詞は無視することにする。
「結婚式イベント、やればいいんじゃないかな。もちろんオーヴァンが帰ってきたら、だけど」
『誓い』のグリーティングカード、持ってるんでしょと続ければ、ハセヲは再び頷いた。頷いたが、持ってるけど……と歯切れの悪い返事が付随する。志乃は小首を傾げ、そのまま視線だけで先を促した。
ハセヲはちらりと夕暮れ色の水平線に見える島を見た。結婚式イベントの舞台であるイ・ブラセル。ここから見える王者の島はただのテクスチャだけれど、イベントが発生すれば港のNPCに話しかけることで辿り着ける特殊な場所。
ハセヲが欄干に身を預け、眼下の海を見下ろす。そのポーズからは、集音マイクで拾えなかったのだろう小さな溜め息が聞こえそうだった。
「オーヴァン」
「うん」
「受け取って、くれるかな。……グリカ」
惚気られているのだろうかと、志乃は一瞬眩暈めいたものを覚えた。
或いはそれは眩暈ではなく、嫉妬だったかも知れない。
かつてはオーヴァンのことが好きで、今はハセヲのことが好きなんだと思う、いつだったかハセヲにもらったグリーティングカードにそう返信したのは紛れもなく志乃自身だ。
けれど、誰がどう想おうと――志乃が、ハセヲが、オーヴァンが、誰をどう想っていようと、ハセヲとオーヴァンの想いが通じ合っているのは間違いない。そこには志乃どころかアイナでさえ介在する余地はない。痛みの森の最奥でハセヲはオーヴァンに会ったと言う。それが何よりの証拠だ。あの時パーティーに参加していた志乃は、会えなかった。
嫉妬しているのかも知れない。けれど結局のところ、志乃は、ハセヲがオーヴァンがということではなく、ハセヲもオーヴァンも大切に思っているし、何より自分の感情と立場に納得していたので。
いつものように微笑を浮かべた。
「言ったよね……『私は見ていたから』って」
「……うん」
「オーヴァンがハセヲをロストグラウンドに連れ込んで無理矢理×××とか、旅団があったときは@HOMEで誰もいないのをいいことに×××とか、私は、見ていたから」
「……うん」
「大丈夫、オーヴァンはハセヲのこと好きだよ」
リアルだったら即座に捕まるだろうストーカー行為やセクハラやその他諸々を思い返す。歪んでいても間違っていてもほとんど狂気でも、愛が行き過ぎちゃったからこそストーカーはストーカーなのである。
そんなオーヴァンが『誓い』のグリーティングカードを拒むだろうか。いや、拒むはずがない。むしろ嬉々として受け取るだろう。嬉々としているオーヴァンなど想像できないが。
「そっか……そうだよな」
「うん。ウェディングドレスだって喜んで着てくれると思う」
志乃はちょっとだけウェディングドレス姿のオーヴァンを想像してみた。…………純白のウェディングドレスに煌めくサングラスがとても不気味だ。瞬時に想像図を打ち消す。夢に出てきたらどうしよう。
いっそハセヲが着てくれればいいのだけれど、などと思うが。
「似合うだろうな、オーヴァン」
「………………………………そうだね」
PCながらこの上もなく幸せそうなハセヲの笑顔に、志乃はとりあえず相槌を打つに留めた。ここで美的感覚の違いについて議論してもしょうがない。
志乃の内心などつゆ知らず、ハセヲは欄干に預けていた身を起こし視線を合わせてくる。
「ありがとう志乃。俺、今日はもう落ちる」
「オーヴァンのお見舞い?」
「うん――」
ログアウトコマンドを実行したのだろう、転送の光がハセヲの体を包む。
落ちる寸前にハセヲの発した言葉が、志乃の耳と、メッセージウィンドウに残った。
「早く戻ってきて俺と結婚しろって、言ってくる」
ハセヲの姿が消え、しばし無言で立ち尽くしていた志乃だが、周囲から流れ込んでくる膨大な量の会話ログにハセヲの迷言が流されきった頃になってようやく笑みを漏らした。
先ほどハセヲがそうしていたように欄干に身を預け、きらきらと夕陽に煌めく海を見つめる。
「ハセヲってば……それじゃリアルでプロポーズ、だよ」
一人呟いてオーヴァンの眼鏡のように輝く海をひとしきり眺めてから、志乃はワープポイントに向かう。
エリアに行って、オレンジ色の花のアイテムを探そう。
もしあればウェディングドレスにあまりにも似合わないあのサングラスの不気味さを軽減することができるかも知れないから。
花言葉もちゃんと確認しないとね。
そしてその後時間があるなら、オーヴァンの入院している病院に行ってみようとも思った。
ハセヲの言葉でオーヴァンが目を覚ましているかも知れない。そんな単純なものでもないと思うけれど、『呼びかけが大切だって看護士のお姉さんが教えてくれたのー!』と、タビーが言っていたし。
なによりオーヴァン自身が予想外に単純だから、ひょっとするとひょっとするかも。
心持ち軽い足取りで志乃はマク・アヌの雑踏に姿を消した。
- 次の日病院に行ってみたら、何事もなかったかのように復活しているオーヴァンがいました。
2007.4.18
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