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ハツカネズミ.

 言葉がひっそりと頭の片隅に佇んでいる。自己を主張しているわけでもないし思考の阻害になるわけでもない、けれどもひんやりとした重い空気をまとって、ひっそりと。気付かれないように自然に、空気のように、佇んでいる。
 ――裁定者は誰の救いにもならない――
 ――勘違いするなよ、君はもう被害者じゃない――
 ――特権を許された加害者だ――
 知っている、そんなことは。
 被害者じゃない。都市を森に食わせた瞬間、更に以前、人を殺めたあの瞬間から自分は加害者だ。
 知っている。知っているはずだ。なのに、
「――……」
 石柱にもたれる。服越しに石の冷たさが浸透してくる。過熱しかけた(……過熱しかけていた?)思考が常温を取り戻す。
 ……知っているはず、なのに。なんだろう、唯一自分を護っていた何かを取り上げられてしまったような、この薄ら寒さは。
 自分は何者だ? 被害者? 加害者?
 ――違う。
 掌の中に幾つかの種。ゆっくりと握りこんで、開く。
 自分は、裁定者、だ。
 裁定者だ、吐息だけで呟く。
 裁定者でいい。それ以上は求めない。被害者でなくてもいい。加害者なんて澄ましたような飾り言葉も要らない(裁定者はそんな小奇麗なものじゃない) 人間、であることすら求めない。
 女も男も子供も、nk以外の人間は嫌いだ、どうでもいい。世界への憎悪を吐き出せるのは快感ですらある。都市が森に消える度に、人間も減っていく。あの昏い快感。
 自分は裁定者だ――
「……――シオン?」
 不意に落ちた声に顔を上げる。距離にして数歩先に見慣れた人影がふたつ。靑と、足元にあの小うるさい子供。靑が訝しげに、子供はちょこちょこと近付いてきた。
「どうした? 調子悪い?」
「……別に」
 石柱から背を離し、覗き込むように合わされる目から視線を逸らす。――今度は逸らした先で、くりくりした大きな瞳にじっとりと睨みつけられた。目が合った瞬間、大きな瞳の持ち主たる子供が例によって例の如く噛み付いてくる。
「セイがしんぱいしてるのに」
「……だからなんだ」
「セイがしんぱいしてるのにシオンは平気なふりするんだ」
 ロウラン、と子供の名前を呼んで、例によって例の如く靑が間に入った。靑はしゃがみ込んで子供と目線の高さを合わせる。
「セイはシオンにやさしいのに、シオンはぶあいそーなんだもん」
「た、確かに愛想はよくないけど……シオンは悪いやつじゃないだろ?」
 でもいじわるはする、という子供の声は耳に入らなかった。
 靑は優しい。構う必要もない自分のことを気にかけている。けれど。
 ――ここまで完全な裁定者は初めてだ――
 「誉めてるんだ」と言った。「シオンの『資質』には頭が下がる」とも。
(『裁定者』は『人殺し』と同義だろうに)
 完全な人殺しだと言われたのだと思った。皮肉として受け取ろうとして、けれど靑はそんなつもりで言ったようではなかったから(実際セネガ・リリスで人殺し呼ばわりされたときに、靑は憤っていたような気がする。俺に向けられた言葉なのだから、靑が憤る必要なんてないのに)『裁定者』という言葉は宙に浮かんだ。
 靑は裁定者をなんだと思っているのか。
「だからっ」
 普段より更に大きい声に意識が引き戻される。思わず視線を向けると、子供がまっすぐにこちらを見つめながら喚いた。
「セイはやさしくてセイで、シオンはいじわるでシオンなのっ!」
    (ぐるぐるぐるぐるぐるぐるまわる、思考はハツカネズミ)
    2007.1.1