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ささやかな足場の定義付け

 もうすぐ結婚するんです、と言う客の顔を、ギャラガーは通りすがりざまにちらりと見た。
 カウンター席に座るのは二人の男女で、共に幸せそうな表情を浮かべている。カウンターで話を聞く店主も、穏やかな表情で頷いていた。
 人類<ヒューマン>にはよくある光景だ。
 ふいにテーブルの脚の影から子供が二人顔を覗かせた。男女の子供はギャラガーの足元をすり抜ける。夕食には遅く、呑むにはまだ早い時間のレストラン兼バーにあって目立つ彼らは、先程のカウンターに座す客のもとに駆けていった。足元に擦り寄る子供たちと男女二人の様子を見るに、どうも親子らしい。
 奥のテーブルに料理を運びながら、なにげなく会話を窺う。どうも男女はどちらも子連れらしい。いわゆるバツイチというやつか。
 自分には関係ないし、縁もない話だ。ギャラガーは指示されたテーブルに辿り着くと、にこりともせずにお待たせしました、と客に告げ――
「……何やってんだギャラガー。ミリタリー・サービスからウェイターに転職か?」
 聞き慣れた声にぎょっとしてテーブルの客を見下ろす。席に座っているのは訝しげな表情で自分を見上げるリボーだった。何故フォート・アジール駅領<ステイト>から遠く離れたこの駅領にリボーがいるのか。というか何故こうもタイミング悪く顔を合わせるハメになるのか。世の中とはとことん不条理だ。
「なんでここに……」
「近くまで仕事に来てたんだよ。原生種退治<トライブス・バスト>。お前こそ――」
「……人生、ままならないね」
 リボーに皆まで言わせず、ギャラガーは僅かに頬を引きつらせてテーブルに料理を置き、足早に立ち去ろうとする。
 が、リボーはギャラガーの服の裾を掴み、逃亡を阻止した。
「おまえ、それで逃げられると思うなよ? 最近妙な仕事ばっかしやがって――」
「ちょっと、これでも僕勤務中なんだから」
「つって逃げる気だろ。おれァこれでもお前を心配して言ってんだぞ」
 ギャラガーがリボーを振り返ると、真摯な瞳に迎え撃たれた。しばらく視線を交わすが先に屈したのはギャラガーで、溜め息をついてやや俯くと諦めきった口調で、
「……もうすぐ仕事が終わるから、説教するならそれからにしてくれない?」
「おう、待ってやらぁ。どうせ今夜はベンチで夜明かしだからな」
「じゃあ食べ終わったら店の裏口で待っててよ」
 おう、というリボーの返事を背に、ギャラガーは空になったトレイを持ってカウンターへと戻る。
 男女と子供たちの姿は、もうなかった。


 店の制服を脱ぎ、いつものスリーピースに着替えたギャラガーが店の裏口に出ると、壁に背を預けてリボーが佇んでいた。「おう、来たか」と呟くと壁から背を離し、ギャラガーの正面に立つ。
「……それで?」
「それでもなにも、お前最近らしくない仕事ばっかだろ。マフィアならまだしも、今日なんか既にミリタリー・サービスの仕事じゃねぇじゃねぇか」
「……いろいろ事情があるんだよ」
 シャキーラ相手にカジノで大負けして多額の借金を作り、以来彼女のいいようにあちらこちらで働かされているとは到底言えない。
 リボーに言及される前に、ギャラガーは口を開く。
「ねぇリボー。リボーはどうして僕のことを心配するの?」
「あ?」
 なんとも言えない表情でリボーはギャラガーを見つめるが、すぐに鼻を鳴らして夜空を仰いだ。
「そりゃ、『家族』だからに決まってんだろ」
 予想通りの返事だ。
 リボーと対照的に、ギャラガーは足元に視線を落とす。
「『家族』っていっても、いろいろあるよね」
「なにがだ?」
「さっき店に来てた客、見た?」
「……いや」
 人類<ヒューマン>はとにかく分からない。自分たち《U.L.T.I.M.A.T.E.》と違ってごく自然に本当の家族を持てるのに、つまらないこと、ささいなことで別れては、次の家族を見つけて穴を埋めてしまう。そんなにあっさりしたものばかりではないとわかってはいるが、見ていてどうにもやりきれない。
 ギャラガーがそう零す。しばらく返事はなく、不審に思って顔を上げると闇色の瞳がギャラガーをの美貌を覗き込んでいた。
「……お前、新兵卒訓練場<ブーツ>時代が懐かしいのか?」
「……どうだろね」
 曖昧に濁すギャラガーは、《大戦》の頃を脳裏で反芻していた。懐かしいには懐かしいのだが、あの頃に戻りたいかと問われれば、わからないとしか答えようがない。腰の後ろのフローベルゲが、ほんの少し重みを増したように感じた。
「でも『家族』ってそんなもんだろ――」
 ふっと、リボーが和やかな笑みを浮かべた。辺りの町並みをゆっくりと眺める。
「本当の家族っつったって、自分じゃない以上そいつは他人だ。他人ならソリが合わないことだってあるだろ。逆にいえば他人でも、本当の家族以上になれるってことだ。本当のとかそうじゃないとか、下らねぇぞ」
 少なくとも、と続ける。今度はいつも通りの不敵な笑みで。
「おれにとってお前は最高の家族だ。お前もそうだろ?」
 下らない――
 どうして忘れていたのか。自分だってとうの昔に分かっていたのに。四年という月日は、思考を鈍らせるのに充分な時間だったらしい。
 ギャラガーはかすかに頬を硬直させた。いつも通りの、リボー以外にはわからないような微笑み。
「……そうだね、チーフ」
「からかってんのか、てめぇ」
 笑いながらリボーは相手の肩を軽く拳で殴った。当然のことながら、ギャラガーはなんの痛痒も感じない。
 それが、ずっと変わらない、リボーとギャラガーという『家族』のありかた。
「で」
 依然として笑みを浮かべたまま、リボーは口を開いた。
「なんでお前はこんな仕事ばっかしてんのかな?」
「……………………」
 ギャラガーの笑みらしからぬ笑みが消える。代わりに騙されなかったか、という焦りの表情が浮かんでいた。
「家族に隠し事はなしだろ? ギャラガー」
「……家族だって他人なんだろう。黙秘する」
「……こういうときだけ自分にいいように解釈する気か、おまえは?」
 そのあとしばらく、リボーとギャラガーの口論の声は止まなかった。