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美しきは無自覚なり

    ※一部小説設定

「美しくないわ」
 立体映像の少女の、ほとんど口癖と化している台詞である。
 まず『美しい』という感覚からして希薄なジョセフにしてみれば、美しくないと言われても「そうか、美しくないのか」と思うのが精一杯の反応だった。尤も口にすれば彼女のプライドを刺激し、甲高い声で喚かれるのは目に見えているので心の内に留めておく。
「最近の貴方はちっとも美しくない」
 口癖に更にそう付け足して、エレアは腕を組み唇を尖らせた。内心はいざ知らず外見では何の反応も示さないジョセフに苛立った故の行動、でもないだろう。エレアとてジョセフの寡黙さは今に始まったことではないと知っている筈だからだ。言うなれば腕を組む仕草は気高い彼女に似合いのポーズである。
 美しさに対するジョセフの意識の低さは常人以下であるが、エレアのそれは人並みを二つ三つほど飛び越えているようである。なにかにつけて「美しい」「美しくない」と口走り、しかもその『美しい』の基準に人と異なる点が少々見受けられるのだからまたややこしい。人の姿でいるより悪魔と化したジョセフのほうが美しいと言い張るのだからその点は明らかに理解しあえないところだろう。
 とはいえ、自分のことではあるが別段不愉快に思うわけでもなく、そもそも気にも留めないのがジョセフ・ジョブスンである。エレアの言う『美しくない』ものが自分自身であったとて、また「そうか、美しくないのか」と内心で頷く程度だ。逆にあの忌まわしい姿を『美しい』と評されても「そうか、美しいのか」と、それで終わりである。
 しかし――見ている。ガルムに登載された端末、そこに揺らめいて映るエレアは画像の乱れに紛れてちらちらとジョセフを盗み見ている。盗み見ている、というポーズだ。話の相手をしろということなのだろうか。
 ジョセフはとりあえず、手中のナイフと聖母の形を成し始めていた木片を傍らの木箱の上に置いた。次いでエレアに視線を返してみる。
「なぁに? 言いたいことでもあるの?」
 言いたいことがあるのはそちらだろう、そう思ってもやはりジョセフは口に出さない。代わりにエレアの自尊心を迂回するような言葉を選ぶ。
「……最近はデモニアックを相手にする機会も多い。この姿より変身した姿でいることのほうが多いくらいじゃないかと思うが」
 それきりジョセフは黙り込んだ。
 エレアは流麗なラインを描く顎に人差し指を当てて眉根を寄せた。しばらくジョセフを黙って見つめ、やがて肩を竦める。エレアの姿は単なる立体映像である筈だが、実に器用な動きだった。
「貴方でも冗談を言ったりするのね。それとも本気?」
 ジョセフは今度こそ沈黙で返した。エレアがジョセフに望んだのは話に乗ることまでなのだから、意図も読めないままそれ以上言葉を重ねる必要はない。
 エレアはジョセフの読みどおり沈黙を受け流し口火を切った。確かにあの姿は美しいのだけれど、今はその話じゃなくて。腰に手を当て、いかにも不満げな表情でエレアはジョセフを見据える。輪郭がちりりと揺らめいた。
「行動の話よ。堕ちかけてるところを助けようとするし、選ぶ隠れ家はどこも陰気だし、極め付けにいつまでも子守に興じたりして」
 望みある者が単なるデモニアックへと変わりゆくのを黙って見過ごすなどジョセフの性分からしてできないことであるし、XATに姿を知られた今隠れ家として選べる場所は限られている。エレアとてその点は承知していた。今更「美しくない」と取り沙汰すことではないのである。
 しかしそう、ジョセフの『子守』。こればかりはエレアには解せなかった。無関係な人間を巻き込むまいと気絶するほどの怪我を自ら負うようなジョセフが、いつまでも一人の人間の傍にいるのだ。感染の危険がないとも限らないのに、この行動。矛盾しているとエレアは思う。
 そして恐らくはジョセフ自身も思っている。だからエレアは「美しくない」と声を上げるのだ。そして一度美しくない点が見つかれば、気にしていなかった部分まで目に付いてしまう。
 ジョセフとエレアは仲間でも味方同士でもない。「今は敵ではない」という程度の関係で、利用し合っているといってもいい。そもそも立体映像を台詞に沿わせて動かす『エレア』はこの場ではないどこかにいて、ジョセフも『エレア』も直接互いと見えたことなどないのだ。
 エレアはジョセフに情報や意見を提示して、あちらへこちらへと指を差している。ジョセフはエレアから情報を得ときに意見を受け入れ、彼女の指を差すほうを向く。それだけの関係だった。
 それはつまりジョセフの行動が美しかろうが美しくなかろうがエレアには一切関係ないということでもある。「隠れ家が陰気」など最たる例だ。実際エレアがそこで寝起きするわけでもないのだから単にジョセフのみの問題である。
 それでも目に付くのだ。エレアは腕を組んだ。目に付いて仕方ない。行動するのはジョセフだが行動が目に付くのはエレアで、どうにかしたいと思うのもまたエレアである。
 己の行動の矛盾に気付いているジョセフはエレアの言葉に返すこともできず沈黙していた。それがまた目に付いて仕方ない、そう思ったエレアは少しの間動きを止めた。
 やがて、そうね、と。考え込むような姿勢でエレアは声を上げる。
「ジョセフ、こっちへいらっしゃい」
 こっち。ジョセフはゆっくりと瞬いた。ジョセフとエレア――正確にはジョセフの腰掛ける木箱と、エレアの姿を投影している端末、それを登載するガルムまでの距離は僅かに三歩ばかり。歩み寄るというほどのものでもないが黙したままジョセフはエレアに従い、通常のバイクであればタンクキャップに相当する部分を見下ろしながら立ち尽くした。そこにはジョセフの姿を見上げるエレアの姿の浮かび上がっている。
 エレアの指示の意図が読めず、ジョセフはやはり黙っている。握り拳大サイズのエレアはひらひらと、招くように小さな手を振った。にこりともせず柳眉を軽く寄せているが、機嫌を損ねているというより考え込んでいるようにも見える――エレアの表情と『エレア』の感情が一致していればの話だが。
 もっと近寄れということなのだろうか。エレアの手招きに誘われるようにジョセフは長身を屈めた。
 ジョセフの目と鼻の先にエレアの姿が揺らめく。
 エレアはほんの僅か首を傾けた。
 ジョセフはただ見つめる。エレアが目を瞑りまるで背伸びをするようにして身を寄せても、ジョセフの唇に熱も感触も息遣いもなく、ただ映像でしかないエレアの唇が重なっても。
 しばらくの後、エレアからゆっくりと身を離す。もういいのかと漠然と思いながらジョセフも背を伸ばした。
「どうかしら?」
 そう問うエレアの表情は先ほどと同じ、考え込むものである。台詞もほとんど自問自答の体であったが、エレアの瞳はまっすぐジョセフを捕らえていた。
 問われたジョセフはといえば、今の行動が何であったのか、エレアが何を求めて問うているのかも分からない。ランプの灯りを鈍く、しかし艶やかに照り返すガルムへと視線を彷徨わせた後、
「……今のが、『美しい』のか」
 辛うじてそう呟いて、ジョセフはエレアを見返した。
 果たしてジョセフの返答が的確なものであったのか、エレアは優雅に腕を組んだ。美しさというものはそれ自体を作り出すのではなく、作り出したもの、或いは作り出すという行為そのものから滲み出るものだとエレアは思っている。
 では、今の行動は? エレアは心の内で問い、答える。エレア自身と、そしてジョセフへの回答でもある。
「そうね、今の行動に美しいも美しくないもないのだけれど」
 エレアは顔を上げた。ジョセフもエレアを見ている。
 ジョセフの『美しくない』行動が目に付いて仕方のないエレアであったが、かといって美しく振舞えと言いたいわけでもなかった。もちろんデモニアックとの戦闘においては惜しみなく美しい姿を見せ付けて欲しいとは思っているが、それとは何かが――具体的に何とはいえないが、何かが異なる。エレア自身美しくないジョセフに何を望んでいるのか、己がことながら分からなかった。
 なのでエレアは感じたことをそのまま口にする。
「貴方の美しくなさに対する不満が、ほんの少し解消されたぐらいかしら」
 そうか、不満だったのか。ジョセフは内心で呟く。
 己の心の声に何故かすとんと落ちてくるものを感じ、同時にこれもまた口にするべきではないなとジョセフは自らに諭した。口にすればエレアのプライドを刺激するだろう。どうしてそう思うのかは分からない。
 しかしそれでも「そうか、不満だったのか」で終わらせてしまうのがやはり、ジョセフ・ジョブスンであった。