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キューソネコカミ(前)

    ※そらに散らせ~で貰った薬を捨てなかった場合(凍結中)

 ――よく考えたらこれはチャンスではないのか。


「……で。結局どうしたいんだ、アンタ」
 バルドは胡乱な目をして、いつもに増してどうでもよさそうに問うた。縞模様の尻尾もだるそうにゆらゆらと揺れている。
 胡乱な目でどうでもよさそうに問われたコノエ自身、バルドの態度は至極当然だと思う。夕食の準備に忙しい宿屋の厨房――と言ってもコノエとコノエの闘牙以外の客などいないに等しいのだがそこはそれ――にいきなり押しかけてきて、一方的に一匹の猫を陥れる話を持ちかけられたのだから。
 しかし今しかチャンスはない。陥れようとしている猫、すなわちコノエの闘牙たるライが丁度出かけている今しか。コノエは尻尾でぺしりと床を叩き、手にした小瓶をバルドの眼前に突きつける。
「だからっ、ライに出す果実水にっ、この薬をっ、入れたいっ」
「はぁ……」
 至って真面目に、且つ台詞の区切りに熱意を込めてコノエは厨房に押しかけた目的を伝えるのだが、バルドは呆れたような納得したようなただ勢いに圧されただけのような、とかく気のない返事をしてコノエが突きつけた小瓶を手に取る。
 毒々しいピンク色に目を眇め、コルクの蓋を開けて匂いを嗅ぎ、また蓋を閉めて、コノエに小瓶を返してきた。
「『そういう気分になる薬』ねぇ……なんかやばい薬なんじゃないのか?」
「大丈夫だ。たぶん死にはしないから」
「おいおいおい……」
 数日前、コノエは偶然再会した娼婦の猫に半ば押し付けられるようなかたちでこの薬をもらった。
 最初のうちはこんなとんでもないもの、と捨てようと思っていたのだが、ふとこれはライの鼻を明かすチャンスではないのかと気付いたのだ。つまり――この薬を使えば、与えられる感覚に翻弄されるコノエとある程度の余裕で以って組み敷いてくるライという常の図を逆転することができるのではないかと。
 もちろんコノエにライを組み敷くつもりはない。今の関係も納得の上甘受している。しかしコノエだけが翻弄されるという状況には、雄としてのプライドが反抗したくなる時もある。主に意地の悪い言葉で弄ばれ、ライの鼻っ面に爪を立ててやりたいと思う時だが。なんだかんだ言って、コノエはライの余裕を崩してやりたいのだ。
 ライが寝台で余裕を失う状況など、発情期かコノエが予想外の行動に出た時ぐらいしかない。発情期ですらライは余裕のある態度を装っているし、最近コノエは予想外の行動に出ることができない。コノエが動く気配を見せれば、ライはすぐさまコノエを押さえ込んでしまう。常に主導権を握りたがるライらしいと言えばライらしいのだが、だからこそ余裕のないところを見てみたい。
 そういうわけで薬に秘められた可能性に気付いたコノエは、まずは薬の安全性を確認した。捕まえた鼠に数滴飲ませて様子を見たがこれといった変化はなかった。『そういう気分になる』かどうかは別にして、とりあえず危険はないらしい。
 次に薬を使う機会を窺った。この薬がどういったものであるかはライも知っているので、そのまま飲ませることは不可能。そもそも慎重すぎるほど慎重なライだから、薬の正体を知らずともまず飲まないだろう。ライが口にする食事か飲み物にこっそり仕込むということも考えたが、ライを前に気付かれることなくやってのける自信がコノエにはない。
 ならばやはり、ライのいない隙にやるしかない。丁度今がそのときだ。相変わらずバルドの料理には決して手をつけないライだが、果実水だけは口にするし、厨房から出された料理ならコノエが細工をしたなどとは微塵も思わないだろう。
 恐らく――いける。
「それにやばいも何も、『そういう気分になる』って時点でやばいだろ」
「……やばいな」
「だったら、問題ない」
「いやあるだろ」
 バルドは相変わらずローテンションな態度で、コノエはむっとして腕を組む。意図せず尻尾が左右に振れる。
 早くバルドを説得しないと、ライが帰ってきてしまう。
「アンタはライに出す果実水にこの薬を入れるだけでいい。簡単だろ?」
「そりゃ簡単だが……その薬を飲んで効き目があったとしてだな、もし俺がアンタの悪事に加担したのがバレたらどうなる? 絶対とばっちり食うだろ」
 そんな割に合わない話はごめんだと言わんばかりにバルドはコノエに背を向けた。
 コノエはすっと目を細める。これで話を打ち切るつもりか――いや、背を向けられたのはむしろ好機だ。手を伸ばす。
 伸ばされたコノエの手は、迷わず、
 むぎゅっ!
「~~~~ッ!!
「頼む、アンタだってライの鼻を明かしてやりたいだろ?」
「きゅッ……急所押さえといて何が『頼む』だッ!」
 バルドは掴まれた尾を取り戻そうとしているらしく、縞模様がぴこぴこと動く。コノエは決して逃がすまいと握り込んだ手に更に力を込めた。振り向いたバルドの表情が歪む。
「……今やるしかないんだ。アンタがライの果実水にこの薬入れるって約束してくれたら放す」
「そりゃ脅迫だろうが! ……ったく、お前さん、あいつと行動するようになってから性格悪いの感染ったんじゃないのか?」
「それは誰のことだ」
 唐突に。
 聞き覚えのある声が割り込んだ。
 背後から聞こえたその声にコノエの背筋がさーっと冷えていく。振り向いてコノエに顔を向けていたバルドは声の主を否でも視認する形になっている。強張ったバルドの表情で声の主を改めて確認する羽目になる。
「コノエ」
 声が名前を呼んだ。微かな威圧を滲ませて、こちらを向けと。滅多なことでは呼んでくれない名前をこの猫はこんなときに限って呼んでくる。
 腿に柔らかいものが触れた。自分の尻尾が足の間に入り込んで、恐怖を表している。たぶん耳も下がっているだろう。それでもコノエはゆっくりと振り向いた。振り向かないでいるほうが怖い。
 迎え撃ったのは、冷たい色の目と、同じくらい冷たい笑みだった。コノエはいびつな愛想笑いを浮かべ、震える声を搾り出す。
「ラ、ライ……」
「誰の何に何を入れるか、もう一度言ってみろ」
「ぅ……」
 バルドの尻尾を放し、手にした小瓶を背後に隠そうとする。が、大股で歩み寄ってきたライに手首を掴まれ、あっさりと阻止された。
 毒々しいピンク色を目にし、ライは目を細める。口元に笑みを浮かべたまま呟いた。
「この間の薬か。まだ持っていたのか?」
「う、るさいっ。手放せよ……!」
 掴まれた手を取り戻そうと力を込めるがびくともしない。ライはフンと鼻を鳴らすと、コノエの手首を引いて出口へと向かう。ふと足を止め、解放された尻尾をさすっているバルドを振り返った。視線に気付いたバルドはライの左目を半眼で見返す。
「……言っとくが俺は被害者だぞ」
「わかっている」
「ならなんだ。なんか用か」
 何か言いたげな視線をバルドはめんどくさそうに見返し続ける。言外にお前らの事情――むしろ情事と言ったほうが適切だが――に巻き込むなという雰囲気を漂わせているが、ライは気にせず口を開いた。一瞬、手首の痛みに眉根を寄せるコノエを見下ろして。
「夕食も明日の朝食もいらん」
「はぁ? お前は普段から俺のつくった飯食わないだろ」
「俺じゃない。コイツの分だ」
 コイツ、と言われてコノエはぴくりと耳を動かした。……果てしなく嫌な予感がする。
 コノエの嫌な予感は続くライの言葉で確信に変わった。
「明日の昼までベッドから動けなくなるだろうからな。……昼食もいらんか」
「えぅう!?
「行くぞ馬鹿猫」
 奇声を上げてぎょっとするコノエをライは有無を言わさぬ力で引き摺っていく。
「……頼むから、他の客に迷惑になるほど声出すなよ」
 出口へと消えた二匹に、バルドは憔悴しきった様子で届きようのない呟きを漏らすのみだった。
    (俺の宿、最近あいつらの愛の巣になってないか…? 怖ッ!)
    2006.11.13