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    2005.4.28(clap)

 部屋に戻っても、案の定シンはいなかった。
 レイはすぐに心当たりの場所―医務室へと向かう。
 入り口の壁に、女性の衛生兵がもたれかかっていた。レイが視線を向けると、彼女はちいさく首を縦に振り、そっとその場から離れた。
 レイは臆することなく室内に入る。医師もいないらしい。
 もっとも、今の医務室に好んで居座るような者はいないだろう。――たった一人を除いて。
 目的のベッドに近付くと、やはりシンはそこにいた。
 床にぺたんと座り込み、上体をベッドに預けて静かな寝息を漏らしている。
 ……やっぱりな。
 諦めたような溜め息をついて、レイはベッドに横たわる人物に視線を移す。
 患者用の寝巻きに身を包んだ少女。今は落ち着いているのか、呼吸は安定している。
 自分のよりは少し濃い金髪。あどけない寝顔。
 どこも自分たちコーディネイターとも、ナチュラルとも変わらないように見えるが……。
「……エクステンデッド、か」
 先ごろ見た連合のラボを思い出して、レイは目を伏せた。
 気が動転していてしっかりと研究所内を見てはいないが、あの悪夢のような光景は、封じ込められていたレイの記憶をおぼろげながらも呼び覚ました。
 ――自分と彼女でどこが違うのか。
 思考が袋小路に突き当たる。ギルがいてくれれば何か分かったかも知れないが、ないものをねだってみても仕方がない。
 自分の足元が崩れていくような状況での唯一の救いは、ある意味この少女だ。
 彼女がガイアに乗って現れなければ、シンはレイの心配をしただろうから。
 シンにラボでのことを訊かれるのだけは避けたい。訊かれてもレイ自身答えられないし、シンに心配されたくない。
 これ以上シンの心労を増やすわけにはいかないのだ。たださえギリギリの精神状態のシンだから。
「ん……」
 ベッドに身を預けて眠るシンが、小さく声を漏らす。起こして部屋で寝させようかと一瞬思ったが、そっとしておくことにした。代わりに使っていないベッドに畳んで置かれていたシーツを持ってきて、シンの肩に掛ける。
 どうにも定まらない、混迷した状況の中で確実にレイに言えることが、たったひとつだけあった。
 眠るシンの耳元に唇を寄せ、長めの前髪をさらりとかき上げてやりながら。
「安心しろ……お前も、お前の守りたいものも……俺が守ってやるから……」
 命に代えても、きっと。
 露わになったシンの額に唇を落としてから、レイはそっと立ち去った。


「……イヤだよ……」
 またステラと二人きりになった医務室に、小さなシンの声がぽつりと零れた。
「レイも一緒じゃなきゃ……」
 悲痛な呟きは、もちろんレイの耳に届かなかった。

燃える涙

    2005.5.1(clap)

 全員が退避した艦橋に、トダカはたった一人で佇んでいた。
 もう火の手はすぐそこまで回ってきているが、熱さも感じなければ、計器が破裂する音も聴こえない。ただ目の前に迫るものだけしか感知できなかった。
 ――ZGMF―X56S『インパルス』
 混乱した戦況なので分かりづらくはあったが、今日の戦闘でもこの機体は凄まじい戦果を挙げていた。オーブ艦隊のほとんどがこのMSに墜とされたのだ。
 今自分がこうして立っている、このタケミカズチも……
 怒れる紅き鬼神と化したインパルスが、ゆらりと対艦刀を振り上げる。
 よく落ち着いていられるな、と場違いなことを考えて――ああ、と思い至った。
 MSを透かして、あの子の姿が見えたからだ。
(――君か)
 二年前の連合によるオーブ解放作戦。あのとき自らの目の前で、最愛の家族を亡くした子ども。
 停戦までのほんのいっとき、自分が引き取っていた少年が視えた。
(また……泣いているのか……?)
 いつも真夜中に、悪夢に脅かされて、飛び起きて……
 プラントに渡ってからも、そうだったのだろうか。誰か傍についていてくれただろうか。
 怒りと憎しみを撒き散らすインパルスを見て、どうしてそう思ったのかは解らない。けれどあの子が泣いている、という確信はあって。
「もう泣くな……シン――……」
 抱きとめるように伸ばした腕が、その涙を受け止めることはなかった。




「レイっ! レイ、大丈夫か!? ルナはっ……」
「俺なら心配ない。ルナマリアはまだ治療中だ」
 帰艦したシンは、まっすぐにレイの元に駆け寄った。言葉通りレイにはたいした怪我もないらしく、シンはとりあえずほっと安堵の息を吐いた。
「――シン」
「何? あ、俺なら全然怪我とか……」
「いや…」
 レイの指が、シンの頬に伸びる。
「……どうして泣いている?」
「え?」
 言われて自分の頬に手をやれば、確かに濡れていて。
「え……? あれ……なんで……」
 留まることなく涙が溢れて、視界がぼやけてくる。
「くそっ……なんだよコレっ……止まれ、よぉっ……」
 目元を擦っても擦っても止まらなくて、しまいには目が痛くなってきて。




 なにかを失くしたときの、痛みに似ていた。

forMyBrother

    2005.5.11(clap)
    ※MONOPOLISTICその後(妄想に妄想を上塗り)

 蒼穹の下、補給の完了したミネルバがゆっくりと出航する。
 小高い丘の上から、キラはぼんやりとそれを眺めていた。
 ごうっと音を立て強風を巻き起こしながらMSが頭上を通り抜けても、まだぼんやりと。
 やがてミネルバの艦影が小さくなり、背後で微かに足音が聞こえた。
「……会わなかったのか?」
「……うん」
 足音の主の声に、キラはようやく振り向く。
「わざわざありがとう、カナード」
「礼を言うくらいなら自力で来て自力で帰れ」
 風になびく黒髪をうるさそうに掻きあげながら、カナードはフンと鼻を鳴らした。
「だって、フリーダムで来たら目立つじゃない。ザフト基地近いし。カナードは別に国際指名手配されてないでしょ? それにヒマそうだし」
「ドレッドノートでも充分目立つがな。あとヒマは余計だ」
 大体、ドレッドノートも元はザフトの機体だというカナードの呟きは無視する。
「――で、こんなに手間をかけて潜入しておいて、どうして会わなかった?」
「……話すことないと思ったんだよ」
「何のためにここまでしたんだ……」
 らしくなく溜め息をつくカナードを、キラは軽く睨んだ。
 内心は僕がアスランと会わなくてよかったとか思ってるくせに……
「別にまったくムダってわけじゃないもん」
「ほう?」
「レイに会えたから」
 からかうようなカナードの笑みは、キラの一言で皮肉の笑みに代わった。
「忌まわしいメンデルの血だな」
「せめて同郷出身ぐらいにしといてくれない?」
 ごく最近まで自分の出生に関して何も知らなかったキラには、カナードの皮肉は効果的過ぎた。顔を伏せて、なんとなく問いかける。
「――カナードは、まだ僕のこと……」
「それはない」
「……ない?」
「ああ」
 キラが顔を上げると、珍しくカナードは微笑んでいた。普段険しい顔つきのカナードの笑顔が、キラは好きだった。
「『きょうだい』だからな」
「……うん」
 僕らは同じものを持って生まれたから。
 きっとレイも、『きょうだい』なんだろうなとキラは思う。
 人の業を背負った、僕らはきっと『きょうだい』。
 ……世界を憎んで散った、あのひとでさえ。
「……アークエンジェルに帰るぞ」
「うん。パシリご苦労さま」
 振り向いてドレッドノートへ向かうカナードの後に、キラはちいさく笑いながら続いた。

僕に言えることは、ひとつしかないから

    2009.9.28(memo)

 もう表に出ることはできないけれど、せめて影から彼女を支えてやりたいと思う。要約するとそういう話だったのだけれど、彼がちらちらと気まずげに視線を逸らしたり含んだ言い方をしてみたりするものだからなんだか無駄に話は長かった。
 僕と彼を繋ぐテーブルの上には、ピカピカ新品のIDカード。証明写真に写っているのは間違いなく彼の顔だけれど、その他の情報は全部彼ではない、適当に架空の誰か。
 ちょいとカードを摘んで、じっと見つめる。じろりと視線を走らせて持ち主の名前を読み上げる、もちろん心の中で。アレックス・ディノ。誰それ。視界の端では彼がギクリと顔を強張らせたようだった。別に深い意味はなかったんだけどな、そんなにビクビクされると意味もなく腹が立つ。何を考えてるかなんて手に取るように分かってしまう。僕に対して後ろめたいんだ。もっかい言うけど腹が立つ。別に後ろめたく思う必要なんてないのに、なんでそんなふうに思うの。こんなにご機嫌伺いみたいにして僕に話しかけるぐらいなら、決める前に話してくれればよかったのに。じゃなかったら、最初から、やめておけばいいのに。
「そう」
 とりあえず僕は一言口にした。いちいちびくつく彼がほんとに鬱陶しい。馬鹿。そんなの君の気持ちの問題じゃないか、思うようにすればいいでしょ、僕の気持ちも彼女の気持ちも放っといてさ。ほんと馬鹿。
 対面する彼の行動全部、いっそ存在そのものにまで苛立つわけだけれど、確かに彼女が心配なのは僕も同じだった。だから、
「カガリを守ってあげてね」
 そう付け足して、笑った。嫌味なく笑えているはずだ。だってこれは本心だもん。
 心底ほっとしたような拍子抜けしたような、またそんな顔をする彼に限界まで腹が立ったけれどしょうがない。他に僕に何が言えるっていうの。アレックス・ディノさんはひょっとしたらどっかで彼女を庇って死んじゃったりするかも知れない。そんなことがあったらこれが最後の会話になりかねないんだから。無駄なケンカで終わりたくないじゃない。
 こうして彼はこの家を出て行って、僕はひとつ大人になった。でもこれだけは言わせてほしい、心の中でだけど。アスランの馬鹿。ヘタレ。

立てられた爪さえいとしい

    2017.6.6(memo)*2017.8.2up

 うそつき。
 夜の、宇宙の闇にほのかに灯って消える声。
 レイは光を見上げる。声の主を彼自身たらしめる怒りも苛烈もない、遠い遠い星の瞬きほどに微かな色だけを宿した瞳があった。ベッドヘッドの薄い明かりに透かし見れば、そこには溶けて滲むようにレイ自身が映っている。認めると同時にレイの視界は閉ざされた。
 同時に、唇によわい熱が。消えてしまった声を押し込むように舌が。
「ん」
 受け止める。うそつき。その通りだ、俺はうそつきだ。本当は黙っていただけなのだけれど、きっとうそよりたちが悪い。俺の存在はもっとずっと酷いもの。悪夢そのものだ。
 口移しされた、うそつき、を飲み下す。舌先はあまりの甘美に痺れすら覚えていた。初めてのときのようにぎこちなく動かして寄越されたうそつきの代わりを返す。ぬろりと絡め取った舌はやはりよわく熱を孕んでいて、そしてレイの舌先に残るよりもずっとずっと、むせるように甘い。
 この甘美に溶けてしまえたら。ふ、という鼻を抜ける吐息に、膝の上で細やかに跳ねる肢体に思う。うそも、思考も、未来も、二人が二人である輪郭も全て溶かしてしまえたなら。……幻想でしかないのだけれど。自嘲の笑みすら触れ合う唇に摩耗して消えてゆく。
 はあ、と息をこぼしたのはどちらだったか。唾液が銀の糸を繋いでぷつりと切れる、瞬く。そうやって絶対に埋まらない距離が開く。膝に乗り上げる体は、重なる箇所は確かに熱を持っているのに。
 俺がうそつきだから。
 俺が俺であって、俺じゃないから。
 うそつき、なんて言葉じゃ足りない。裏切りだろう。
 彼を彼たらしめる怒りは。判決を待つ罪人のように見上げる。赤い光はほのかに瞬いて、二人の部屋というちいさな宇宙に消えていく。この宇宙に俺が存在していられる時間はあとどれほどだろうか、怒りが死を断じて下されるとしても、きっと意味がない。それほどの時間しか残っていない。
 果たして審判者は、あるいは共犯者だったはずのシン・アスカは何も言わない。手酷い裏切りへの責めが、消え入るようなうそつき、だけなんてことはないだろう。なのに――なのに彼を彼たらしめる怒りは見えないほどの水底に沈んでいるようだった。辛いことや悲しいことしかない戦いの最中、すっかり削られて丸くなって、今はただ波に転がされている。
 俺にだけは、憤っていいのに。レイはそう思う。そうして欲しい、とも思う。でなければ自分には、シンに思われるだけの価値もないのだと思ってしまう。例え事実であったとしても、きっとそれは悲しいし寂しい。
 シンの指がつっと持ち上がる。己の首に巻きつく幻想にレイは目を眇める。しかしトリガーを引き続けるだけの指は首ではなくレイの肩へと伸びた。躊躇いに揺れてとどまる。触れる寸前の距離が寒々しい。
「お前の発作」
 ふと、ここに来てやっと、シンが言葉らしい言葉を発した。相変わらず見上げる赤にはほのかな明かりが揺れている。
「大丈夫なんだよな、しても」
 しても、が指している行為は明白だった。照明の落ちたふたりだけのちいさな宇宙だ。レイはベッドの上で足を伸ばしていて、シンはレイの膝の上に乗っている。今まで幾度も繰り返されたお互いの小さな死、あえかな絶頂をシンは案じている。
「すぐにどうこうなるようなら、レジェンドには乗っていない」
「そっか。……そうだな」
 また、うそつき。
 すぐに、ではない。発作に予兆はなくいつ起きるかわからない、少なくとも身体運動に誘引されて起こるものではない。レイの命が尽きるまでにもまだ少し時間はある。ただそれだけ。ずっとレイがシンを欺いてきた、全ては語らないといううそ偽り。
 それでもシンはわずかばかり安堵した様子でレイの肩に触れた。手のひらがそのままするりと滑り、肩から背中に腕が回る。頬にシンの柔らかい髪が触れ、肩に顔を埋められているのだと触れた温度から気づく。隙間がないぐらいぎゅうぎゅうにくっついて、揺れていた指先はしっかりとレイの肩甲骨あたりに縋りついていた。まるで存在を、生きていることを確かめるように。
「うそつき」
 今度ははっきりとした声だった。同時にぎゅっと背中に回る指先に力が込められた。既に互いの肌を晒し合っていたのであれば、きっと血が出るぐらいの痕がついていただろう力で。
 レイは眉をひそめることすらしない。代わりに、ああと。初めて己の生を嘆いたような、そんな気分になった。
 うそつきに、憤って欲しいなどと。でなければ価値がないようで悲しい、寂しいなどと。
 傲慢だ。人は。俺は。養い親やもう一人の自分の顔が脳裏で瞬いて消える。代わりにまっくらな心を埋めるのは、シンのかすかな嗚咽だった。この艦で、このふたりきりの宇宙を共有してから今まで、何度も何度も聞いた慟哭の声。家族を亡くし、慈しんだ少女を亡くし、悪夢に引きずり込まれて叫ぶ声。
 レイはそっとシンの背に触れる。毀れものを扱うように、いつか失われる姿を尊んで。震える体を抱きしめる。甘やかな死のような、ぬばたまの髪に鼻先を埋める。
 傲慢だ。俺という死にゆく者の。なぜならばうそつきに手を引かれて、誘われて、愛されてしまって愛を返して、そうしてさいごにはひとり残されてしまうシンの方がずっと寂しくて、悲しい。そう信じることが今のレイにはできる。
 できるのに、失われる自分の命を惜しいと。少しだけ思ってしまう。
 シンの背を、髪を撫でる。更に強く、強く、背に爪を立てられる。いっそ肉のずっとうちがわ、心に、魂に、傷跡が残ってしまえばいい。誰かではない俺である、レイ・ザ・バレルの生きた証になる。傲慢にも願いながら、レイはシンとともに刹那の宇宙に沈む。