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アステリズム主義的恋愛革命

 ――それは運命を描く光条レイ




「んっ……ちょっ、レイっ……」
 どこか艶を帯びた制止の声が上がり、レイはひたりと動きを止めて腕の中に視線を落とした。熱い体を愛撫するレイの掌から逃げるように身を捩り、腕の中の声の主――シンが、薄闇にあっても際立つ紅の瞳でこちらを見上げてくる。
 非難めいて潤んだ瞳に相手の言わんとすることを見出しつつも、レイは「どうした?」と嘯いた。
「どうした、じゃないだろ分かってるクセにッ……も、いい加減にしろって…!」
 もう充分だろ、などと言う姿はこちらを煽っているようにしか見えない。停止していた手の動きを再開しつつ、レイは先ほど掴んだばかりの情報を吐息と共にシンの耳に吹き込んだ。
「明日のことなら気にするな。休暇だそうだから」
「……マジ?」
 微細な刺激に耐えていたシンは、瞑っていた目をゆるりと開いた。至近に迫る熱を帯びた碧眼を期待を込めて見返し、降って沸いた吉報の真偽を問いただそうとする。ここのところ戦闘続きでろくに体を休める暇もなかったから、当然の反応だろう。
 不機嫌さをすっぱり忘れたらしいシンの耳朶を食みながら、レイも機嫌よく――ついうっかり、機嫌よく答えた。
「ああ。ギルから通信があった」
「………………………………議長から、ね」
 シンの瞳が一気に温度を下げた。刺さるような視線を受けてようやくレイは自らの失敗を悟ったが既に遅く、棘を含んだ台詞が可愛い恋人の桜色の唇から零れる。
「それなら明日は休暇で間違いないな。なんてったって『ギル』からの情報だし?」
「あ、ああ……」
「上陸許可も出るだろうし……楽しみだなぁー遊びに行くの。でもヨウランたちに付き合うのって体力いるんだよなぁ」
 うろたえるレイを尻目に、シンは明日の予定を勝手に組み上げていく。ヨウランの名前にレイは瞬間反応を示したが、紅の瞳が「他の男の名前を先に出したのはそっちだろ」と言って燃えているのを見て口をつぐんだ。
「そういうわけだから、明日のためにも俺もう寝たいんだけど。レイ、自分のベッドに戻ってくれる?」
 さりげなく、しかし有無を言わせない力強さで自分を抱きこんでいる男の腕を押しやりながら、シンはにっこりと微笑んだ。何か言おうとレイは口を開くが、しかしシンの笑顔の威圧に抗することかなわず、ひとこと、
「……はい……」
 とだけ呟いて、熱の燻ぶる体を持て余しつつ自分の冷えたベッドに引き下がった。



「っはよーシン! 聞いたか? 今日休暇だって!」
「はよーヴィーノ。聞いた聞いた」
 昨夜の出来事を引きずり、微妙な緊張感を保ったのままの食堂に入ったシンとレイに、飼い主を見つけた忠犬のような素早さでヴィーノが声をかけてきた。手招きで請われるままにテーブルに着くと、相棒のはしゃぎっぷりに呆れた様子でヨウランがヴィーノの隣に座っていた。
「上陸許可も出たしさ。な、今日どうする? 一緒に遊ぼ……」
「やめとけよヴィーノ。シンはレイと二人っきりで出かけるに決まってんだろ。それか一日中部屋に篭りっぱなし」
 ひょいと肩を竦めたヨウランの言ったこと、特に後者は、まさしくレイの理想の休暇の過ごし方だった。普段ならここでヨウランの台詞を肯定して、即座にシンへの遊びのお誘いを断るところなのだが。
 レイがちらりと隣に座る恋人に目をやると、全身から『レイはちょっと黙っててオーラ』が滲み出していた。昨夜先にギルの名前を出した負い目もあって、大人しくオーラに当てられておくことにする。なんだかとっても痛い。
 レイが沈黙を守っているのを横目で確認して、シンは口を開いた。
「いや、俺も行くよ。久しぶりにゲーセンとか行く?」
「やぁった、マジ? あ、でもレイは……」
 目を輝かせつつも、ヴィーノはちらりと無言のレイに視線をやった。妙に元気がないようだが、蒼い双眸が「何様のつもりで俺のシンに声をかけている大体なんだその頭はケチャップでもぶちまけたのか」と言わんばかりに睨みを効かせているのを見、慌てて目を逸らす。
 自分と対照的に不機嫌なオーラを放つレイを、ヴィーノたちに気付かれないよう肘で小突きながら、シンは笑顔で返す。
「休暇なんてこれっきりかも知んないし、最後に皆で遊んどきたいじゃん。ってことでレイも行くよな?」
「………………………………ああ」
 血を吐くような思いでレイは答えた。なんというか絶望的状況。自分の軽率さを呪ったとて、後悔先に立たずだ。
「おはよー四人とも」
「なぁにーアンタたち。朝っぱらから盛り上がっちゃって…ひとり陰気なのがいるけど」
 シンと、人目がないところで壁に頭をぶつけたいほどの自己嫌悪に駆られるレイの背後から声がした。振り向くと朝食のトレイを持ったホーク姉妹が立っていた。ひとつのテーブルに座れるのは四人までなので、二人は隣のテーブルに陣取る。
「別にいいじゃん盛り上がったってさ」
「ま、わからなくはないけどね」
「ルナたちは今日どうすんの?」
「あたしたちは買い物よ。当然でしょ」
「今日逃しちゃったら、次はいつ行けるかわからないもんね」
 互いに頷くホーク姉妹。二人――特にメイリンの瞳に狩りに出る獣のような光を見てしまい、シンは僅かに身を引いた。果たしてどこにどう使ってどのような効果が得られるのか、シンには到底理解できそうもない化粧品類を買う気なのだろう。
 姉妹から滲み出るハンターの気配に気圧されつつも、ヨウランとヴィーノは頑張って誘いをかけてみる。
「俺たち今日四人で出かけるんだけどさ…」
「ルナたちも行かないか?」
「四人? 珍しいね」
 メイリンがトーストにバターを塗りつつ小首を傾げる。レイがヨウランたちと一緒に行動するのが珍しいのだろう。妹と逆にルナマリアのほうは、意地の悪い笑みを浮かべてレイを見つめる。
「だぁからレイはご機嫌ナナメなのね。でも『シンを他人に触らせたくない病』のレイがこーゆー状況を許してるってことは、昨夜何かシンの気に障るようなプレイでも強要したのかしら?」
「していない。大体シンは嫌がっていても、最終的にはどんな要求でも呑んでくれるぞ」
「……レイ? いい加減にしろよ?」
 全開の笑みで拳を固めながら、シンが囁くように呟いた。体を強張らせながらレイは押し黙り、ルナマリアは2人の様子を実に楽しげに見やりながらコーヒーカップに口をつける。
「こんなに楽しいレイが見れるんなら、あたしは行ってもいいかな」
「えぇぇえ、お姉ちゃん本気? 二人で出かけようって約束したじゃない!」
「別にアンタ一人で行けばいいでしょ」
「うー……」
 姉の冷たい返事にメイリンは頬を膨らませる。買い物には行きたいが、一人で出かけるのはイヤだ。むくれるメイリンの心中を察し、ヨウランが慌てて妥協案を提示する。
「だったらさ、俺たちもメイリンの買い物に付き合うから、それから皆でゲーセンとか行こうぜ」
「そうそう、メイリンだって一日中化粧品とか服とか買うわけじゃないんだろ?」
「……うん、そうだね……」
 実は1日中買い物をする気だったのだが、さも当然と言わんばかりのヴィーノの口調に、メイリンは黙っておくことにした。ひとりで買い物なんて虚しすぎるし、それならヨウランの妥協案に乗ったほうがよっぽどマシだ。最低限の買い物ぐらいはできそうだし。
「んじゃ、今日は六人で出かけるってことで決定な!」
「メシ食い終わったらゲートに集合ってことで!」
 先に朝食を終えたヨウランとヴィーノは、意気揚々と席を立った。暗澹とした気分のレイには、「野郎四人で遊ぶようなハメにならなくてよかったー!」という彼らの思考が手に取るようにわかる。ぬか喜びだぞお前ら。ルナマリアもメイリンもお前らみたいなのは完璧に興味の範囲外だ。
 とよっぽど言ってやりかったが、どう考えても八つ当たりなので止めておいた。結局は昨夜、シンの気に障ることを軽々しく口にした自分が悪いのだから。
 溜め息をつきながらレイは温くなったコーヒーを啜る。シンの微妙な表情には気付かなかった。



 女の子って本当にこういうキラキラしたもの好きだよな。マユもおもちゃの指輪とかネックレスとか好きだったし。ヒカリモノが好きなんて、ひょっとしたら世の女の子は皆カラスの生まれ変わりなんじゃないだろうか。
 ぼんやりとシンは考えるが、無論そんなわけはないだろう。ホーク姉妹だけでなく、男のヨウランたち、あまつさえ物事に興味を示すことが少ないレイまでもが魅入ってるんだから、人類すべてがカラスの生まれ変わりなのかも知れない。あ、なんか更にありえなくなった。
 視線の先、シンから少し離れたところで戦友たちが張り付いているのは、宝石店のショーウィンドウだった。高そうな白い布のうえに色とりどりの宝石たちが王者の風格すら伴って鎮座し、ショーウィンドウの中だけは雑然とした町の中で孤高を保っている。
「誕生石載ってるよ、誕生石」
「ホントだ、あたしは七月だから…ルビーね」
「あ、俺も七月」
「えー、ルビーの象徴は……『情熱・愛情』……なんかヨウランには合わないよなぁ」
「んだと! お前だって…十二月、トルコ石かラピスラズリだから『成功』か『健康・高貴』」
「『健康』以外合ってないよね」
「メイリンだって『健康』以外合ってないだろー!」
「パールかムーンストーン……『健康・無垢・長寿・富』『知性・思考力』……確かにヴィーノの言う通りね。特に『無垢』とかアンタに合ってないわ」
「ちょっとお姉ちゃん! それどういう意味っ!?
「なんかこーゆーのって面白いよな。レイは……誕生日わからないんだっけ」
「ああ」
「じゃ、シン。シンって何月生まれだっけ?」
「え? 九月……」
 不毛な会話だなと思いつつ輪から外れていたシンは、唐突に話題を振られ反射的に答えてしまう。
「九月……サファイアか」
「シンはどれも合ってないな」
「あ、ホント」
「確かに」
「シンに一番縁遠い言葉ばかりだな」
「ってなんだよ! レイまでンなこと言って……」
 全員一致で頷かれると、さすがに気になる。シンはずかずかと近寄り、レイとヨウランの間からショーウィンドウを覗き込んだ。
 小さな白いプレートに、洒落た金の飾り文字で誕生石について書かれている。九月の欄には……

『九月サファイア……誠実・慈愛・人徳』

「ってどういう意味だよお前らっ!」
「だぁってぇ、全然シンには合わないじゃない?」
「お前自分で自分のこと、誠実で慈愛と人徳を兼ね備えた人間だと思ってるか?」
「ぐっ……」
 ルナマリアとヨウランの台詞に言葉を詰まらせる。確かに否定できない要素が自分には多い。
 苛立ち紛れにショーウィンドウの中の自分の誕生石を睨みつけるが、サファイアはシンの様子など知らぬ気に煌めいている。その蒼さがふと……
(レイの瞳のいろ、だ)
「シン? なに魅入っちゃってんの?」
「さっきまで俺らのこと呆れた目で見てたクセにな」
「え、あ、別にっ……てか、もういいだろっ! さっさとメイリンの買い物行こうぜ」
「そうだね」
「だな。時間ももったいねぇし」
 メイリンが頷き、腕時計に目をやりながらヨウランが歩き始めた。ヴィーノも相棒の後に続き、ルナマリアが更にその後を歩く。シンも数歩踏み出すが、つと気が付いてその場に留まった。振り向けば、レイがまだショーウィンドウに魅入っている。
「レーイ、行こうぜ」
「ああ……」
 返しながらも、レイはウィンドウの前から離れようとしない。仕方なくシンは恋人の傍に引き返し、半ば呆れつつ美しい横顔を覗き込んだ。
「まぁだ見てんの? ひょっとしてレイって、カラスの生まれ変わり?」
「違う。と思うが。ただ……」
 レイは急にシンの肩を抱き寄せた。突然のことにシンが頬を赤らめる間も与えず、先ほどからずっと目を奪われていたもの――ルビーを視線で示した。
「お前の瞳の色だと思ってな。サファイアよりずっと似合う」
「……レイってバカ? ずっとンなこと思ってたワケ?」
「ああ」
 恥ずかしげもなくレイは頷き、シンはなにごとか文句を言おうと口を開きかけるが、溜め息をつくに留まった。代わりに視線を隣のサファイアに移す。
「……けど俺、サファイアも結構好きかも」
「そうか?」
「うん。レイの瞳と同じ色だもん」
 ちらりと隣を窺うと、レイはサファイアの瞳を軽く見開いていた。そしてふっと微笑み、シンを更に抱き寄せる。ちょうどシンの耳元に触れたレイの唇が、密やかに言葉を紡いだ。
「俺たちはなかなかいい恋人同士みたいだな」
「はぁ? 急になに言ってんだよ? ってか、ベッドの上で他のオトコの名前出すようなヤツはいい恋人とは言えないぞ?」
「……それはそうだが」
 シンの糾弾を軽く咳払いをしてかわすレイ。気を取り直して再びショーウィンドウに視線を向ける。
「お前は知らないだろうが、ルビーもサファイアも元は同じものだ」
「そうなの?」
「ああ。コランダムのうち赤色のものはルビー、他のものはサファイアに分類される」
「ふぅん」
 話のどのへんが『いい恋人同士』にかかるのかさっぱりわからないシンは、気のない声を上げる。構わず続けるレイ。
「そしてルビーとサファイア――いくつかある色の中でもブルーカラーとバイオレットカラーだけは、カボッション・カットにすると」
「カボッション・カット?」
「山型のカットのことだ。とにかくそうすると六本か十二本の星条の光――アステリズムが見られる。この光の線は運命、信頼、希望を示すと言われているそうだ」
「……うん」
 美しいレイからそんな話を聞かされると、なんだかすごく神秘的に思える。ショーウィンドウの中の宝石ではなく、今度は滔々と語るレイにシンは魅入っていた。
 視線に気付いたらしいレイが、穏やかな表情でシンを見つめ返した。サファイアの瞳にシンが、ルビーの瞳にレイが映る。思わずシンはどぎまぎするが、あんまりにもレイの瞳が綺麗で、目を逸らせない。
「……星彩効果(アステリズム)が見られるのは、俺とお前の瞳と同じ色の石だけだ。それこそ『運命』を感じないか?」
「……………………レイ、言ってて恥ずかしくないか? そのセリフってかなりクサいんですけど」
「そうか?」
 平然としてレイの放った赤面ものの台詞に耐え切れず、シンは倒れこむように相手の腕に身体を預け、腕で顔を覆う。今の自分は耳まで赤くなっているに違いない。発言者はレイなのに、どうして俺がこんな恥ずかしい思いしなきゃなんないんだ?
「ちょっとレイ、シン! なにイチャついてんの? 置いてくわよ!」
 二人の遅れにようやく気が付いたらしいルナマリアが、呆れた様子で叫んだ。残る三人も同じような表情でこちらを振り返っていた。
 シンは身を起こし、深々と溜め息をつく。「レイのバカ」と呟いてから、おもむろにレイの手を取ってルナマリアたちと正反対の方向に駆け出す。
「おい、シン!?
「悪いヨウラン! 俺たちやっぱ2人で行くから!」
「えぇっ!?
 どこか非難めいたヴィーノの声にも背を向け、シンは特に行くあてもない町の中を駆け抜ける。手を引かれていたレイが隣に並び、笑いながら「休暇なんてこれっきりかも知れないから、最後に皆で遊びたいんじゃなかったのか?」と言った。
 皮肉ったようなレイの言葉に、シンは子供っぽい仕種で舌を出して返す。
「レイのセリフの恥ずかしさに免じてだよ!」
 自分だって本当は、二人っきりで出かけたかったんだとは到底言えない。
 代わりにレイの手をぎゅっと握り直して。
「それに『運命の恋人同士』って、こーゆー感じなんじゃないか?」
「……そうだな」
 開き直ったシンの笑顔に、レイも笑みを返した。




 ――ルビーとサファイアの瞳に、同じ光条が煌めいている。
    企画に寄稿していたもの。
    2005.9.19