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MONOPOLISTIC

 ミネルバが修理・補給のため最寄のザフト軍港に立ち寄った日、そのささやかな事件は起こった。


「お帰り、レイ」
「ああ」
 夕食を終えて自室に戻ってきたレイに、キラは読んでいた本を閉じてベッドの上からにこやかに声をかけた。
「……………………キラ」
「うん?」
「どうしてお前がここにいる!?」
「え?」
 レイのベッドに座ったまま読みかけの本を開いていたキラは、目を丸くしてレイを見上げた。
「驚いてないから別に気にしてないのかと思ったけど」
「そんなわけないだろう!」
 あまりにも自然にキラが声をかけてきたから、気付くのが遅れたのだ。そうでなければどうしてアークエンジェルにいるはずのキラがミネルバの自分の部屋にいるのに、驚かずにいられるのか。
「レイの無表情って、ちょっと考えものだよね」
「キラ……話を逸らすな」
 レイがキッと睨みつけると、キラは苦笑しながら口を開く。
「ミネルバのセキュリティシステムにハッキングしてね……」
「方法はいい。理由を話せ、理由を」
「理由なんて……そんなの……」
 キラは溜め息のような息を吐くと、ベッドから立ち上がってレイに抱きついた。男にしては細い体つきだが、いくらか会わない間にキラのほうが少しばかり背が高くなっている。
「恋人に会いに来たに決まってるでしょ?」
「キラ……」
 困惑しながらも、レイはキラの肩を抱いた。
 そのとき。
「レイ……?」
 ぎくりとしてキラから手を離し、抱きつかれたままの体勢で声のほうを振り向く。
 レイの名前を低い声で呼んだのは、完全に忘却の彼方に追いやられていたシンだった。キッと眦を吊り上げ、射殺さんばかりの勢いでこちらを睨みつけている。
「あ、いや、これは……」
「誰、そいつ?」
 レイの言い訳めいた(実際言い訳だが)台詞を遮り、無感情に問いかけるシン。軍艦、しかも自分の部屋に、私服の見知らぬ人物がいるのだから、当然の質問だ。ただしこの場合、レイには事務的でない質問の回答も要される。
 つまり、浮気の現場を押さえられたときのような回答が。
 それが分かっているレイが珍しくあせっているうちに、当の見知らぬ人物本人が悪意のない笑みを浮かべて答えてしまう。
「キラ・ヒビキです。初めまして」
 それはむしろ本名だろう。いや、まずこんなに悠長に自己紹介してる場合じゃないだろう。
 しかしレイの心の中のツッコミは、言葉になる前に吹き飛んだ。キラが更にレイに抱きついて発した一言によって。
「一応恋人です。だよね、レイ?」
「なッ……」
「ちがっ……シン、誤解だ!」
 レイはキラを無理矢理振り切ると、シンの腕を掴んで部屋の隅まで連れて行き、離れたところにいるキラに聞こえないぐらいの小声で諭す。
「シン、キラの言うことを真に受けるな」
 しかしさっきの一言で頭に血が上ったシンが聞く耳を持つわけもなく。
「なんなんだよアイツ! っていうか侵入者だろ!? 艦長に……」
「いや、無駄だ。キラのことだから、議長に話を通してでも艦に滞在しかねない」
 レイがきっぱりとそう告げると、シンは唖然とした表情で見つめてきた。
 実際キラならやりかねない。ギルがキラの居場所を探しているのも知っているだろうし、その上でミネルバの滞在許可と引き換えに何らかの交渉をすることもできるだろうから。こう見えてキラはかなり打算的に立ち回る。
「なんだよソレっ……」
「とにかく、俺はキラに帰るよう説得する。お前は他のクルーにキラのことを喋るな」
「なんで……」
「話がややこしくなる」
 俺には今の状況だけで充分ややこしい、と不機嫌に呟きつつも一応了承したらしいシンをその場に残し、入り口近くに立っているキラの元へレイは再び近寄った。
「キラ」
「なに?」
「何をしに来たのか知らないが……」
「だから。会いに来たんだってば」
「…………とにかく帰れ」
「やだ」
「……キラ」
「やだってば。苦労して会いに来たのに」
「いいから帰れ」
「やだ」
「キラっ」
 そんな発展のない会話が延々30分近く続いた末、
「シン」
 疲れた溜め息をつき、レイは離れて様子を窺っていたシンのほうに顔を向ける。
「な、何?」
「疲れた。シャワー先に使わせてもらうぞ」
「別にいいけど……」
 あんな押し問答続けてたら、さすがのレイもそりゃ疲れるだろうと思ってのシンの返事を受け、レイは軍服を脱ぎ始めた。ちらり、と隣のキラに目をやり、
「キラ、続きは後だ」
「話すだけ無駄だってば」
「いいから。とにかく後だ」
 インナー姿のレイは唇を尖らせるキラに念を押しつつ、シャワールームへと続くドアに姿を消す。
 それを見送ったキラはレイのベッドに座り、シンも自分のベッドに転がってその辺に投げ出していた雑誌を読むフリをしながら、ちらちらとキラを盗み見ていた。
 本当にこのひとはレイの恋人なんだろうか。もちろん自分がレイの恋人だと堂々と宣言できるわけでもないのだけれど。
 でも本当にキレイな人だ。性格はどうか分からないが、レイに会うためだけにミネルバに潜入したのなら、かなり一途で……
「――よし」
「は……?」
 突然に発せられた妙にはっきりしたキラの声が、シンの思考を中断する。
 いつの間にか逸れていたキラへの視線を戻すと、彼はすっと立ち上がり――着ている服をやおら脱ぎ始めた。
「ちょっ、何してんだよアンタ!」
「だって久しぶりなんだし、一緒にシャワー浴びようかなって」
 こともなげに言ってのけるキラの笑顔に、シンは怒りを通り越して眩暈を覚えた。
 額を押さえるシンを残し、キラはさっさとシャワールームのドアへと向かう。中に入る直前にシンのほうを振り返った。
「君も来たら? レイの恋人なんでしょ?」
 シュンとドアが開く音がし、またシュンと閉じる音がした。そしてしばらくすると、中からレイの悲鳴に似た声と、キラの楽しげな声が聞こえてくる。
 …………これは俺への挑戦か!?
 本来一人用のシャワールームに三人も入ったら非常に狭いに違いないとか、そんな懸念も吹っ飛んで。
 畜生俺だってレイと二人っきりでシャワー浴びることなんて滅多にないのにというどこか間違った思考のもと、シンも着ているものを床の上に脱ぎ散らかしてシャワールームに殴り込んだ。
「なっ、シンお前まで……!」
「いいじゃないレイ、三人で入ったほうが楽しいよ」
「楽しくねーよ! なんなんだアンタはッ!」
「別にいいでしょ、そんなこと」
「レイの首に腕回すなっ! レイは俺のなんだからなっ!」
「ちょっとぐらいいいでしょ? 心の狭い男は嫌われるよ?」
「アンタに男について語られても信憑性ねーよ! そんな小さいので!」
「……っ君だってそんなに大きくないじゃない。受はこのくらいでいいんだよ。ねっ、レイ!」
「…………ッお前ら…………」
 いい加減にしろ、と静かながら存分に怒気をはらんだ声で、シンとキラはレイによってシャワールームから放り出された。
「……アンタのせいでレイに怒られた」
「先に下ネタ振ったの君でしょ。僕は三人で仲良く入りたかったのに」
「三人とか無理に決まってんじゃん。狭いっつーの」
「そっか、そうだね」
 素直なキラの返事。
 ホントなんなんだコイツ。調子狂う。
 服を着直していたシンはちらりとキラに目をやり、ぎょっとした。
 レイのベッドに腰掛けたキラが、今にも泣き出しそうな顔で床を見つめていたから。
 思わず凝視していると、視線に気付いたキラは照れ笑いのような表情で口を開いた。
「ちょっと昔のこと思い出してて。よく考えたら、ちゃんと君の名前聞いてなかったね」
「あ、ああ……別に、もう分かってるだろ」
「でもやっぱ、ちゃんと聞いておかないと」
 ね? と首を傾けるキラからシンは慌てて目を逸らす。気を許すな、シン・アスカ! こいつは侵入者でライバルなんだぞ!
「シン。シン・アスカ」
 つっけんどんな声で言うが、キラは特に気にした様子もない。
「レイと付き合ってどのくらい?」
 自分もレイの恋人だとか言いながら、よくそんなこと訊けるなと呆れながら、
「アカデミーから」
 付き合ってるかどうか微妙だけど。ちゃんと告白したり、恋人宣言とかしてないし……。
 別に知りたいわけでもなかったが、シンもなんとなく問い返した。
「アンタは?」
「え?」
「いつから付き合ってんだよ」
「……いつからだったっけ……でも……」
 今はこんな状況だから、めったに会えないんだ。
 ぽつりと零れた言葉がひどく悲しく聴こえて、シンはハッとした。
 そうだよな。俺はミネルバにいて、毎日レイに会えて、レイのこと独占できるけど。
 このひとは、そうじゃないんだ。
「キラ……さん」
「キラでいいけど。なに?」


 レイがシャワールームから出るとシンの姿はなく、キラひとりが困った様子で佇んでいた。
「キラ? シンは……」
「レイ……追いかけてあげて」
「は?」
 いきなりそう言われても、さっぱり状況が分からない。
「彼、優しいから……たまには恋人と過ごしてくださいって」
「あのバカっ……」
 どうしてそういう発想ができるのか。キラが自分の恋人なわけがないと分かっているだろうに。
 シンを探しに行くべく上着を羽織ってドアへと足を向けるレイの背中に、キラは声をかける。
「僕帰るから……悪いけど、代わりに謝っておいてくれる?」
「……キラ」
「ん?」
「『恋人』に会わずに帰るのか?」
「うん。レイに会えたし、もういいかなって。よく考えたら……会っても、何話せばいいのか分かんないし」
「……そうか」
「だから、彼に謝っておいて。誤解させるような言い方してごめんって」
「ああ。……元気でな」
「うん、レイもね。彼のこと大事にしてあげて」
 レイは微かに笑んで部屋から出て行き、キラは『迎え』を呼ぶべくポケットから通信機を取り出した。


 デッキに出ると、夜の冷たい空気が肌に触れた。案の定ここにいたシンは、冷たさなど気にも留めない様子で夜空を見上げていた。
「シン」
 名前を呼ぶと、シンは弾かれたように振り向き、もとから大きな目を更に大きくする。
「レイ!? 何してんだよ、あの人――」
「キラなら帰った」
「帰っ……あっ」
 喚くシンを、レイは腕の中に閉じ込める。風呂上りに外に出たせいか、思いのほか体が冷えていた。
「いくらお前がコーディネイターでバカでも風邪ひくぞ」
「どうせバカだよ……今ならまだ間に合うだろ? 早くあの人……」
「『誤解させるような言い方してごめん』」
「え」
 腕の中に目を落とすと、シンは目を瞬かせていた。
「キラからの伝言だ」
「誤解、って」
「キラは俺の恋人じゃない」
「……ちがうの?」
 だから、どうしてそういう発想に至るんだ。
 レイが耳元で溜め息をつくと、シンはピクリと体を震わせた。
「俺に会いに来たとか、俺の恋人だとか、言わなかっただろう?」
「……そうだっけ」
 確かにはっきりと『レイの』とは言わなかったような気がする。
 じゃあキラさんの恋人って?と問いかけようとシンは唇を開いたが、しかし次の瞬間レイの唇に塞がれた。
「ん……レイっ……」
「これでも分からないか? シン」
 唇を離したレイが、微笑みながらシンの顔を覗き込む。
 優しいキスの後に。
「俺……レイの、恋人で……合ってる?」
「俺はずいぶん前からそのつもりだったが?」
 言葉の意味がゆっくりと浸透して、シンはレイの体に腕を回して嬉しそうに顔をほころばせた。



 ――ごめんなさい。
 ――俺はミネルバにいて、毎日レイに会えて、レイのこと独占できるけど。

 ――それでもまだ、誰にもレイのことを譲りたくないんです。