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ハイパアベンチレヰション

 咽る。酩酊する。息ができない。視界が甘く濁っている。
「ァ、はっ、る! はるゥ……もっと、ぉく! ついてっ、突いてぇ!」
 真夏の炎天下に置き去られた飴玉のようだ。ドロドロに溶けて粘ついて、舌につく痺れる甘さだけが残っている。それは遙のことでもあったし、遙の下でいやらしく尻を振る凛のことでもあった。
 ガリガリと耳障りな音が響いている。凛のまるくきれいに切り揃えられた爪が畳を引っ掻いて、日に焼けて黄色くなった葦草を削る音だ。平生ならば真琴や渚や怜や江たちと共に卓袱台を囲む長閑な居間は、ひどく性の匂いに満ちていた。何せ家中の窓という窓、いつもは不用心だと叱られようと開けっ放しの玄関や勝手口までピッチリと閉ざし、鍵を掛けているものだから、どんなに暑かろうが倦もうが濃い匂いに脳の芯まで埋め尽くされようが、空気の一筋も流れてゆかない。循環することなくただ甘く澱んでいる。
 がりりとひときわ強く畳が削れた。茫とする遙を察したものか、畳に伏せる凛が遙の腰骨に尻たぶを押し付けるようにして腰を揺すっている。肩越しに振り仰ぐひとみは泣き濡れていて、唇の端からはばかになったみたいにだらだらと粘ついた涎を垂らしていた。滴る唾液の甘さをまざまざと思い出して、遙は己の渇いた口内がじゅんと苦み走るのを感じた。
「はる、はる……して、俺のっ、おまんこ、もっとガンガンってしてぇ……」
 ぐず、と洟を啜って、遙の陰茎を呑み込んだ尻の穴をきゅうきゅうと締めてみせる。随分長いこと遙のものを咥え込んでいたせいで少し緩んできた穴は、それでも健気に内側の襞の一枚一枚で遙自身を愛撫してくる。
 とびらを、窓を、開けてはいけない。鼻先をくすぐって脳を犯す抗いがたい甘い匂いに、遙はぎっと奥歯を噛んだ。この匂いをこの家の外に漏らしてはいけない。腐る直前の果実のような汁の滴る甘い匂いは、どこまでも垂れ流れて誰も彼もを誘うだろう。この匂いを嗅いで正気でいられる者など、今の凛を前にして犯さずにいられる者などいるものか。
 奥歯を軋ませてわだかまる苦汁を、短く息を吐いて逃がす。代わりに遙は憤りめいた興奮を凛に叩きつける。もうずっと注ぎ続けた精液が白く泡立つ凛の後孔から、血管を浮かび上がらせていきり立つ怒張を引き抜いて、そしてひと息で叩きつけた。
「ひああああああ!」
 ぱぁんと水っぽい打音が響く。凛が顎を反らせてなく。
「きた、ぁう、きたぁ! はるもっと! かたくてふっといの、奥、して! ぐりぐりってしてしゃせいしてぇ!」
「……っこし、黙って、ろ!」
「ひぅうううう!」
 望み通りに奥の奥まで突き込めば、凛の直腸が痛いぐらいに遙を締め付ける。既に何度も射精を果たしたそこは遙の精液と凛自身の露でぬかるんでいて、乱暴な攻めにも関わらず歓喜して遙の陰茎を咀嚼する。にゅぐにゅぐと断続的に締めつけられて、暴力的で圧倒的な快感に襲われた。
 凛はオメガと呼ばれる性を持っていた。男性でありながら子宮を持ち、おんなの生理のように定期的に発情期を迎える性だ。発情期にはその丸みも柔らかさもないからだで子を孕むためにフェロモンを撒き散らし、おとこや己を孕ますことのできる性――アルファ性を誰かれ構わず誘う。
 遙はその、オメガを孕ませることのできるアルファという性を持っていた。アルファもオメガも稀有な性である。アルファ性だと診断を受けたのは中学の時だった。誰かれ構わず言い触らすことではないものの、遙の知る限り同じ学年にアルファの人間も、そしてオメガの人間もいなかった。幼馴染の真琴だって大多数の性であるベータだった。真琴はアルファである遙のことを少し眩しそうに見つめてきたけれど、遙は何とも思わなかった。アルファは一般的に人より優れた資質を持つと言われるらしいが、遙は自分に人より秀でたところがあるとも思わなかった。それよりもただ水に触れていたかったし、己の泳ぎで凛を負かし、そのまま深く傷つけてしまったことを悔いる遙にはそんな資質は疎ましいばかりだった。
 けれど遙は数年後、己のアルファ性に感謝した。帰国し、紆余曲折の末遙たちの元に戻ってきた凛がオメガ性だったからだ。アルファだのオメガだの、そんなものとは関係なく遙は凛に恋をした。凛も遙に恋をしていた。そうしてふたり惹かれ合って、結ばれた。
 ぎこちない恋人同士という関係を結んですぐ、泊まりに来た凛が湯上がりのしどけない姿でテレビを観ていた、その背中が少し寒そうで、ただ温めてやりたいと思って背中から抱き込んだ。その瞬間、脳みそを直接殴られたような、激しい衝動に襲われた。
 濡れた髪から、耳の後ろから、うなじから香る凛の匂い。どくどくと心臓が暴れ始めて、腰がずんと重たくなる。背筋をぞわぞわとした何かが這い回って、ただ凛の白くふっくらとした肌にかぶりつきたい、そんな思考が遙の網膜を真っ赤に焼いた。生まれて初めての衝動だったが、こころあたりがひとつだけあった。オメガの発情によって誘発される、アルファの、遙の、発情だった。
 衝動を奥歯で噛み殺しながら凛を抱き締めた。突然のことに戸惑う凛に性を問えば、ひどくか細い声がオメガだと答えた。きっと凛には答えにくかっただろう。オメガは人より劣る、子を孕むだけの性などと囁かれることもあるという。男性を持つものであればそれは屈辱だろう。けれど遙は嬉しかった。オメガは誰をも誘う発情期を迎える苦労もあるけれど、法の定めた結婚などよりも遥かに深く、本能からアルファと一生のつがいになれる性なのだ。
 男同士、ただのベータ同士では叶わない絶対的な運命に、アルファの遙とオメガの凛はなることができる。そんなものがなくたって遙は凛のことを好いているけれど、それでもつがうことのできる自分たちは子どもという確かな鎹を儲けることができるのだ。
 今のように発情中のオメガの体内にアルファが射精すれば、高確率で妊娠が可能だという。いつかは、とは思っているけれど、二人ともまだ高校生だから子どもを作るのはお互い社会的精神的に自立してからだと決めている。それでも凛には否応なしに発情期がやってくるし、発情期なんてなくても性欲をもてあます若い肉体だ。
 結果、凛は避妊薬を服用することにしたらしい。発情を抑える抑制薬も別途に存在するらしいが、凛はそちらを服用するとは言わなかった。発情の衝動に抗わない、ということは、遠回しに遙との性交を望んでいるということの証のようで、遙はひどく嬉しく思った。
 けれど不安もあった。凛は男子寮住まいである。抑制薬も服用せずに、時にはベータをも誘うオメガの発情中に鮫柄の男子寮に置いておくのは堪らなく不安で、いつしか遙は凛の発情の周期が近づくとこうして自分の家に閉じ込めるようになった。親のいない一軒家に一人暮らし、という立場にこれほど感謝したことはない。
 窓も扉も固く固く閉ざして、凛の甘い匂いが一筋もこぼれないように、向かいに住む幼馴染でさえ近づけさせず、やわらかく己の巣の中に閉じ込める。凛が発する甘い匂いを肺いっぱいまで吸い込んで、全身の血管の隅々まで浸して、頭の天辺からつま先まで溺れる。部活も学校も休んで世間のすべてから離れて、ただふたりだけでお互いの性とからだを貪る。朝も昼も夜もない、時には寝食すら忘れて動物的で浅ましい性の衝動に身を任せ、からだを繋げて過ごしていた。
 発情した凛は性に素直になる。薬を飲んでいるのだから妊娠しないことは重々承知しているはずだが、そんな人間的な理性は溶けてしまって、けもののように遙の子種をあけすけな言葉でねだるのだ。遙はそんな凛を堪らなく可愛いと思う。声で、言葉で、表情で、火照るからだのすべてで中出しをせがむ凛が愛おしい。
 熱く絡みつく凛のうちがわを硬く漲る雄の象徴で擦り上げる。凛とは発情中にしかセックスをしたことがないけれど、後々顔を真っ赤にして俯く真琴と男同士の性交について調べたところ、アナルセックスにおいて快感を得られるところは限られているらしい。けれど凛は浅いところも深いところも、強くしても弱くしても感じるらしく、遙が腰を振る度にびくびく身体を跳ねさせて歓喜する。凛は疎んでいるであろうオメガという性ゆえのものかもしれないが、それでも遙が動く度に凛が感じている姿を見るのはうれしい。
 そうして遙もうれしくなれば限界まで勃起していた遙の陰茎は更に肥大して、凛の奥の深くの深くに種を出したいと、凛を孕ませたいとからだとこころのすべてで思うのだ。
 遙の変化を敏感に感じ取ったのか、殊更激しく凛の腰が跳ね上がった。後孔の赤くぽったりと腫れ上がったふちが生娘のようにふるふると震えて、慎ましやかに淫らに遙の射精を誘う。
「ぁ、きた、キタキタぁ……はるのちんぽ、びきびきって! ふあ、ぅ、あ、出るっ? せーしっ、ハルのせぇしっ! 出、る?」
「っああ、凛の子宮に、出すから、なっ!」
 凛がいやらしく尻を弾ませ、遙の陰茎を飲み込む直腸がざわざわとうねる。何度も種を受け入れたというのにまだ貪欲に、内側から溢れる愛液と白く濁った遙の精液を混ぜ合わせて、泡立てて、ぷちゅぷちゅと泡を潰す。赤く腫れぼったい凛の膣口が濡れ白く光る様に生唾を飲む。最後の理性でゆるやかに静かに腰を引けば、赤黒く反り返った太い遙の陰茎は白い粘りを纏っていた。
 ずる、と引くごとに「ぁ、あ」と凛のか細い声が湿った部屋の空気に落ちる。その声は隠しようもない快感と期待に満ちていて、そしてちらりと遙を振り返る凛のひとみはとろりと溶けて甘い涙をこぼしていた。
「出し、てっ、出してぇ……! ハルのせーしいっぱい出してっ、種付けしてぇ……」
「――――――――ッ!!」
 ずん、と。
 奥の奥まで突き入れる。遙の陰茎を凛の直腸の襞がさざなみのように逆しまに撫で上げて、熱く重い衝動が腰回りにマグマのように渦巻いてわだかまる。たっぷりと重く腫れ上がった陰嚢から陰茎の中ほどまでが膨れ上がって、凛の直腸を圧迫してゆく。ゆるみながらも懸命に遙を締めつけていた凛の後孔は皺も伸びきるほどに拡がってみちみちと軋む音が聞こえそうだった。アルファの射精に伴って起きる、ノッティングである。
 精液がこぼれないよう腫れ上がって直腸を塞ぐ亀頭球に、凛は天井を仰いでぶるぶると震えていた。かは、と苦しそうな喘ぎがかわいそうで、愛おしくて、もっともっと遙でいっぱいに埋め尽くしたいと思ってしまう。ないまぜになる衝動のまにまに、遙はびっちょりと汗に濡れた凛のうなじに噛みついた。
 凛ほど鋭くはない遙の犬歯が、汗に濡れたつがいの皮膚に食い込む。刹那、凛の内側がきゅうっとこれまで以上に甘く遙の陰茎を締めつけ、押し出されるように遙は射精した。熱い奔流が凛の奥に注ぐ込み、抉じ開けるように深い部分に叩きつける。凛がひっくり返りそうなほどにその身を反らせて、遙はうなじにかぶりついたまま凛の身体を抱き締めた。
「ひ、ぅぐ……ぁ、種付けきたあああああ! ぁう、あう、あ、奥で出てっ……びゅうびゅ、きてるぅ……!」
「――っりん、りん!!」
「ぁあ、あ、あー……んぐ、うぅ……っは、ぅ……」
 四つ這いの凛を後ろから犯す獣の姿勢から、身体を起こし胸から抱き込んで腕の中に閉じ込める姿勢へと返る。遙の肩に後ろ頭を預けて喘ぐ凛は声にならない声を漏らしながら、ひどくぼんやりとしたひとみで遙を見上げていた。時折びくんと身体が跳ね上がる。
 発情中のアルファの射精は長い。ノッティングと同じく確実に雌を孕ませるために、短くても十分ほどは精液を注ぎ続ける。今も遙の陰茎は凛の中にどくどくと精を吐き出していて、飲み込む凛の下腹部は少し膨らんで見えた。
 まだ子を孕めない凛の白い肚を、遙は労るようにそっと撫ぜた。喘ぎの隙間に凛は安堵するような深い息を吐き出して、それでも愁眉は歪み瞳は真っ赤に充血して、表情は苦痛を訴えている。少しでも楽になればと、遙は宥めるようにキスを落とした。額に、頬に、薄く開いた唇に。汗と涎と涙で汚れた凛の顔中にくまなく口づけ、あるいは舐め回す。母音だけの喘ぎ声の隙間に、はる、とほそく名前を呼ばれて、胸と腹を抱く腕に優しく力を込めた。
 長い長い射精を終えても尚、遙はきつく凛を抱き締め、腕の中に囲い続けていた。


「ぁー……」
 ざあざあと勢い良く湯が流れ続る。頭から熱すぎるぐらいに設定されたそれを浴びた凛は壁のフックにシャワーヘッドを固定して、風呂場のタイルに腕を突いた。幾分冷たい温度がてのひらから凛を冷やしていく。急速に頭の芯も冷えていく。長いこと詰めていた息を肺の底まで浚って吐き出しきって、それからわずかばかりの涼感を孕む指先を尻のあわいへと恐る恐る、伸ばす。
 数日続いていた遙の発情が、ようやく終わった。
 今回の軟禁は幾日だっただろうか、宗介や似鳥は学校の方に上手く伝えてくれているだろうか。この数日の欠席分の授業を取り戻すには、泳ぎを補うには。そんな算段や心配事を頭の中で一つ一つ組み上げて、凛は最後に溜め息で吹き飛ばした。少なくとも体育の授業や部の方の遅れは、もうしばらく取り戻せそうにない。とろとろと腹の中に呑み込んだ遙の精液を垂れ流し、だらしなく緩んで閉じきらなくなった尻の穴に指を突っ込んだ。何の抵抗もつっかえもなく、ぽっかりした空洞に指を飲み込ませる。
「ぅ……う、く」
 窓も扉も閉じきって、完全に外の世界からは隔離された遙と凛のふたりの巣で過ごす長い長い発情期が過ぎた後、遙は決まって一緒に風呂に入りたいと口にする。
 けれど凛は恥ずかしいと理由を取り繕って、必ず一人で湯を浴びることにしていた。
 だってこんな姿は、こんな行為は、長い性交の果てに荒れ果てた家を片付けたり、セックスで疲労した凛のために食事を用意してくれる遙に見られてはいけない。ただの排泄孔でしかない、赤く腫れて伸びきった直腸に指を突っ込んで、いつか凛を孕ませてふたりの子どもがほしいと願う遙がたくさん出してくれた精液を掻き出して、排水口に吸い込ませていく姿なんて見せたくない。雄を受け入れたり、孕んだりするようにはできていない凛の身体は、ただの一人の陵辱された雄でしかなかった。
「う、う……ぁ……」
 ぼろりと、涙がこぼれ落ちる。シャワーに紛れて床のタイルに落ちたそれは、ひとつも呑み込まれることなく無駄打ちされ掻き出した遙の精液と混じり合って渦巻いて、そして排水口に吸い込まれていった。
 その無機質な軌跡を見下ろしながら、凛はひとみからぼろぼろと落ちていく涙を止められない。ただ尻に突っ込んだ指だけは機械的に精液を掻き出し続けていて、そのギャップにまた胸が痛む。ずきずきとした痛みの先には、凛を抱き締めてはいとおしそうに微笑む遙がいる。
 遙と凛が一緒になれるのは、排水口の先に堕ちていった涙と精液ぐらいなものだった。凛は遙とは一緒になれない。アルファである遙の運命なんかじゃない。どんなに精を注がれてもつがいの証としてうなじを噛まれても、子どもを孕むことはできない。
 凛はただの男で、生粋のベータだった。
 雄に孕まされることもなければ、雄を受け入れることもできない。アルファだとかオメガだとか、そんな特殊な性など持たない、ただの男で、ただの凛だった。
 始まりは遙の勘違いだった。凛は遙と付き合い始めて少しで、いつかを身体を重ねたりするのだろうかという予感に生娘のように胸を高鳴らせながら七瀬家に泊まるべくしてやってきた。そんな色ごとの予兆なんてひとつもない、ただの友人同士のように、けれどそれだけではない期待をお互いに抱きながら隠して、ささいなことが楽しくて嬉しいままに一緒に夕飯を食べて、一人で湯を浴びた。思えば一緒に泳いだことや寮の自室に招いたことはあっても、遙に湯上がりの姿を見せるのは初めてだった。
 先に風呂を借りた凛は、食後の片付けかシンクに向かう遙に背を向けてテレビを眺めていた。適当にザッピングするばかりで内容なんてひとつも頭に入ってこない。意識は背中の向こうの少し遠い遙にばかり向いていた。この後遙も風呂に入って、下らない話や水泳の話や、お互いの知らない時間の話をしながら眠るんだろうか、とか、あるいは何か――恋人らしいふれあいが少しでもあるんだろうか、とか。
 妄想に耽る凛は気づかなかった。いつの間にか台所を離れた遙が凛の背後に迫っていて、物も言わずに後ろから抱き締めて、すうと胸深くまで湯上がりの凛の匂いを吸い込むまで気づかなかったのだ。突然のことに驚いて固まる凛を抱き締めて、遙は耳元で囁いた。
 凛は、オメガなのか?
 ああ、と思った。そろりと振り向いた先で、遙は雄の、あるいは獣の表情をしていた。湯上がりの凛よりも熱い身体に、凛はすぐに遙が凛に対して欲情――否、発情していることに気づいた。
 好きだと伝えて伝えられて、触れるだけのキスをして、それでも凛は遙と男女以外の性について語ったことはなかった。凛はベータであったし、大多数の人間はベータである。凛の人よりも冒険的ながら短い人生の内で、ベータ以外の性の人間に会ったことは二、三度しかなかった。それでも留学先のオーストラリアは性教育に関して日本のそれよりもオープンだったし、深い知識も与えてくれたから、自分たちとは異なるその性についてひと通りの理解が凛にはあった。
 そして遙の熱が渦巻く瞳の奥と、熱いからだと、その問い意味で悟ったのだ。遙はベータではなく、アルファなのだと。
 アルファが優でオメガが劣だという風潮は、オーストラリアではあっさりと否定されていた。それでも傾向として秀でた人間が多いことまでは否定されていなかったし、凛も遙の水に愛された泳ぎは彼自身の才であり彼の性も保証することなのだなと思った。ただしこのとき一番の問題は、遙の問いと意思にあった。
 遙はアルファだ。凛にオメガなのかと問うた。遙は凛がオメガであればつがいになれると、子を生むことができると思っている。そして今、遙はただの男である凛に発情している。
 後から遙や真琴にそれとなく尋ねてみたところ、彼らがアルファやオメガについて学んだ知識はどうにも漠然としていて不明瞭だった。だから遙はわからなかったのだ――凛が自分はオメガだと嘘をついても、嘘をついたままただのベータの身体で性交を重ねても、今の今まで違和感のひとつも覚えずにいつか孕む凛とふたりを永遠に繋ぐ運命と、やがて来るふたりの子どもの夢を見たまま、凛を抱いて愛してくれるのだ。
 熱い湯に流れて、凛の内腿を伝う遙の精液がひどく冷たい。動かすだけの指先に尽きることなく白濁が絡まって、行き場のないことを責めている。凛の嘘を責めている。
 どうしてそんな下らない嘘をついてしまったのかと、凛はいつも後悔している。例えば発情期だと振る舞う前、自然にそこが濡れるというオメガに倣って、遙と会う直前にただの排泄孔である場所にひとりローションを塗り込めるとき、遙がやさしく凛を閉じ込めて、激しく衝動をぶつけてくるとき、それを受け入れるとき、凛を労って慈しむ声と指先、暴力的な獣の行為とは程遠い穏やかな遙の表情。そして何日か性交に溺れた末、ひとりで遙の精液を後孔から掻き出す、今この時。
 お互いに踏み出せない関係を超えられればと、たぶんそう思ったのだ。一線を超えることは叶ったけれど、けれどここから先には何があるのだろうか。
 お互いを運命だと信じる遙に嘘をついている。いつまでも嘘はつけないと凛は知っている。
 やっと泳ぎ続ける未来を見つめ始めた遙が、岩鳶よりももっと広い世界に踏み出して、そして――いつか本当の、ほんもののオメガと、真実の運命を見つけてしまったら。
「ふっ……うう、うぁ……っく……」
 奥歯で殺す泣き声はシャワーの音に紛れている。遙に届いてはいけない。こんな身勝手な声も姿も見られたくない。
 この先にはきっと、何もない。
 あるいはたぶん、終わりだけが待っている。
 雄を受け入れるようにはできていない凛の身体は、しばらくはまともに動かない。遙の家にふたりで閉じこもっていた間の欠席については適当な言い訳を用意して学校側にも容認してもらっているが、授業は取り戻さなければいけないし、無理な性交で疲弊した身体ではプールに顔を出すこともできない。例え体力が回復しても、遙のアルファたる雄の象徴を受け入れた後孔はしばらく緩みっぱなしで、泳ぐ度に水が入ってくるから練習にだって集中できない。
 学校や部に迷惑をかけてわがままを通して、遙に嘘をついている。そしていつかふたりの偽物の運命は終わる。愚かな嘘だと凛はわかっている。
 それでも嘘をつき続けている間だけは、遙は凛の運命でいてくれるから。何者も分かつことができないふたりでいられるから、凛はまだ真実を告げられずにいる。
 ゆいいつ遙と一緒になれる涙がまたタイルの上に落ちて、白い種と混ざることなく寂しく排水口に消えていった。