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真っ赤な嘘

「い、め」
 ぼんやりとした影の中でもぎゅうううっときつく皺の寄る眉間はよく見えた。度し難い、という響きを滲ませて、呻くような声が落ちる。
 百太郎は小さく、しかしながらはっきりと頷いて、辿々しいことばを繋いでみせた。
「イメージプレイ」
 っす。一拍置いて締める。すると凛は百太郎に膝に伸し掛られた格好のまま、思いっきり顔を顰めてみせた。
 百太郎が向かいの201号室へ押しかけたのは定期試験前の金曜日の夜のことである。凛先輩、一年のとき試験どんな感じだったか教えて欲しいんですけどぉ、などとそれらしい理由を携えて、百太郎はインターホンを鳴らすこともせずに部長たちの住まいする部屋のドアを開けた。今日この部屋にいるのが凛だけだと知っていたためである。仮に同室の山崎宗介が実家に帰省せず在室していたとしても問答無用でドアを開けただろうが、それはそれ、これはこれである。
 無礼な来訪者を迎える凛は、自分の机に向かって教科書やノートを広げていた。部長はさすがに真面目である。オナニーに夢中になっているところにばったり遭遇、なんていう、兄の部屋で見つけたちょっとエッチなまんがみたいなラッキーなシチュエーションをこっそり夢見ていた百太郎からすれば落胆の限りである。別に期待していたわけではないけれど。断じてそんなことはないけれど。
 試験についての質問と見せかけて手ぶらで自室に突撃してきた百太郎は、凛はこれでもかというぐらい不審の目で見てきた。そんなの同じ部屋なんだから愛に訊いたらどうだ、とは言わなかったのは、凛も似鳥愛一郎が山崎宗介と同じく実家に帰省していることを知っていたからである。これから先、この人が卒業するまでの約十ヶ月でもう一度あるかないか、たぶんないぐらい絶好のタイミングだった。
 凛は軽く椅子を引いて、隠しもしない大きな溜め息に添えてどの科目だと問うてくる。そして百太郎は緩く開かれた凛の両足の間から椅子に片膝を突いて乗り上げ、ずっしりと鍛え上げられた凛の左の膝にそのまま跨った。凛の鬱陶しそうに見上げてくるひとみの端には、ちりちりと不機嫌な熾火が燻っていて、百太郎は凛に触れ合う下肢と脳天が焼きついて痺れるような感覚を覚えた。
 そしてゾクゾクと揺れる快感のままに、この部屋を訪れた本当の理由を告げたのであった。つまり冒頭の通り、先輩、俺とイメージプレイしましょう、である。
 重ねて告げたイメージプレイの意味を、凛は飲み下しかねているようだった。これはたぶん、また何を言い出したんだこのエロガキは、とでも思っているに違いない。イメージプレイが果たしてどういったプレイなのかまでは考えていない顔だ。百太郎は頷いた。今度は深く。
「先輩は俺のこと兄ちゃんだと思って、俺のこと御子柴さんとか呼んでいいですから。あ、もしかして部長って呼んでんのかな、部長の凛先輩に部長って呼ばれるとちょっと申し訳ないっすね」
「はあ」
 気の抜けた炭酸飲料みたいな返事が凛の半開きの唇から漏れた。百太郎はもう一度頷いた。
「で、俺は凛先輩のこと兄ちゃんって呼びますから。先輩は兄ちゃんに抱かれてると思って、俺は兄ちゃんを抱いてると思う、イメージプレイ。どうっすか?」
「馬鹿か?」
「あ、兄ちゃんじゃなくて江さんだと思って抱いた方がい」
「死ね」
 ぐわりと大きく開かれて迫り来るアイアンクローを、百太郎は咄嗟に顔を逸らして回避する。盛大に舌を打つ音が響く。百太郎は首を傾げて、斜めになった視界の中で凛を見下ろした。
「冗談ですよ、俺、女の子には酷いこととかいやらしいこと、できそうにないし」
「お前、そういうのはホモって言うんだよ。大体兄ちゃんのことは忘れるんじゃなかったのか」
 またぬうっと凛の手のひらが伸びてきた。百太郎はさっきとは反対方向へ首を逃し、するとまた手のひらが追ってくるので今度は上を向いて回避してみる。なおも顔面を捉えようとする凛の手のひらから逃げながら、百太郎はうぅんと唸った。
 御子柴百太郎は、今は離れて暮らす実兄の清十郎のことが好きだった。だった、というのは過去形ではない。現在進行形である。兄から離れるために全寮制の鮫柄学園に入学し、競泳を辞めようとしたこともあったが、だからといってすぐに捨てられる気持ちでもない。そして兄の清十郎が好きだからといって決して男が好きなわけでもなかった。百太郎は江のことが好きだと胸を張って言える。ただこんなふうにいやらしく触れ合ったり、めちゃくちゃにしたい、されたいとは、女の子相手に微塵も思わないだけだった。
「そんなすぐに忘れらんないですし。兄ちゃんのことはやっぱり好きっす」
「おーおーそうか、でも俺もあの人のことが好きなんだわ。悪いな」
 凛の手のひらが迫る。百太郎は左に顔を背ける。ところが方向を予想していたのか、中途半端に覆うように凛の手のひらが百太郎の右頬を捉えた。もごもごと不明瞭になりがちな声で百太郎は答える。そんなんとっくに知ってます、
「知ってますけど、でも俺、凛先輩のこともたぶん好きで」
「たぶんって何だよ。てか、やっぱりホモじゃねーかそれ」
 多少緩んだ手のひらを押し返して、百太郎は中途半端に宙に浮く凛の小指をぱくりと咥えた。ほんの一瞬凛の体が跳ねて、それからすぐに溜め息と一緒に脱力する。振り払われることはなかったので、百太郎はそのままれるれると凛の小指をしゃぶっていた。
 凛はずるいのだ。百太郎はそう思っている。百太郎は部員を率い自分たちに広い背中を見せる凛に、兄を重ねている。重ねていて、凛と兄の同じところ、違うところを見つけては、好きだと思っている。同時に凛も百太郎に御子柴清十郎を見ている。よく似ていると評される容姿か、兄に憧れる内にできあがった性格か、それが何かは知らないけれど確実に兄を重ねている。百太郎とキスをして抱き合う凛は、いつも百太郎の向こう側を見ていた。百太郎が凛に明け渡すくちびるは、かつてたった一度だけ兄と交わったくちびるだった。いつとも知れない清十郎の残滓を吸うように、凛は百太郎に口づける。そもそも今のこの、気紛れにセックスをするような関係はこのくちびるから始まったものだった。
 たった一度だけ兄を飲み込んだ舌で、百太郎は凛の小指を味わい尽くす。そろそろふやけるんじゃないか、というタイミングで、凛が一言を漏らした。
「鍵」
 最後に犬歯で小指の付け根をやわく噛んで、百太郎は凛を吐き出した。そのまま膝からも下りて、部屋のドアへと向かう。ちゃちな内鍵のつまみを回せば、一応これでふたりの空間ができあがる。
 鍵、という一言は、凛から百太郎への怠惰なゆるしのことばだった。振り返れば凛はベッドの下段に腰かけて、不機嫌そうに百太郎を待っているのだ。百太郎はいそいそと駆け寄って、そのまま凛をシーツの上に押し倒した。
「兄ちゃん」
「…………おー」
「せんぱぁい、もっとやる気出ませんか」
「出ません」
 にべもない返事に頬を膨らませる。マグロのように横たわる凛を百太郎は恨めしく思った。百太郎が部屋を訪れてからずーっと、目端に炎を宿して欲を昂らせているくせに。マグロだったことなんて一度もないくせに、ずるい。この人はセックスに興味があろうがなかろうが、兄の首筋に歯型を残すような、肉に飢えたサメなのだ。百太郎はそれを知っている。
 ぷすぅと頬の空気を逃して、代わりに唇を尖らせる。兄ちゃん、と無味乾燥した名前でもう一度呼んで、それからばらばらと前髪の散らばる凛の額に手を伸ばしてみた。そこでようやく、凛が訝るような表情を見せる。百太郎も特に目的があって触れたわけではないのだが、ふと思いついて赤く滴る前髪を掻き上げてやった。さらさら滑り落ちてくる髪を無理矢理押さえて後ろに流し、オールバックもどきにセットしてみる。それなりの仕上がりだ。
「兄ちゃん」
「……ンなこと言ったら、お前の方がよっぽど、」
 凛の腕が持ち上がり、百太郎の前髪を捉える。少しだけ癖のある毛を掻き混ぜられて、すうっと額に風が通った。
「御子柴さん」
 こちらも満足のいく出来栄えだったらしい。百太郎はくくっと笑って、真っ白く晒された凛の額に唇を落としてみた。ほんの少し汗を含んでいて、鼻先をくすぐる髪からは淡く塩素の匂いが漂っている。兄と同じ匂いだ。嬉しくなってすんすんと鼻を鳴らしながら、髪の生え際、こめかみ、首筋へと唇を落としていく。凛はひそやかに笑いながら逃げるように身を捩っていて、ようやくこの人もやる気になってきたのかなと思う。
「凛先輩、兄ちゃんのこと御子柴さんて呼ぶんすね」
「もう部長じゃなくなったからな」
「俺も御子柴さん」
「あほ」
 うっすらしょっぱい首筋からタンクトップ一枚だけでちっとも隠れていない鎖骨のくぼみを舐め辿る百太郎の頭に、ごんと鈍い衝撃が落ちてきた。あだっと声を上げて厚い胸に顔を埋めるけれど、そこで痛みに悶える余裕など凛は与えてくれない。百太郎の頭のてっぺんに落とした握りこぶしをほどいて、シーツの上に転がしてしまう。あと少しで谷間だったのに、などと百太郎が思ったときにはもう遅く、今度は凛にのしかかられて押し倒されていた。
 ベッドの上段を避けてかろうじて差し込む照明の白が、凛の背中で隠されて曖昧に影になる。そのぬるい闇の中で凛の炎が音を上げて燃えくすぶっている。またぞわりとして、百太郎は肘を突いて上体を起こしながら舌先で己の唇をなぞった。サメの背びれが見え隠れしている。気を抜けば丸ごと食われてしまいそうで、この緊張感に興奮する。
「イメージプレイっつうなら、もうちょっとがんばれよ」
「……例えば?」
「あの人とセックスするときはだいたいプールのシャワー室だった」
「うわあ」
 じわじわと熱の籠る下肢に乗り上げられる。そのまま凛の尻が煽るようにゆらゆらと動いて、擦られてクラクラする。みっしりとした筋肉をつけているわりに、妙にほっそりして見える凛の腰の動きに目を奪われる。
 頭の上の方から落ちてくる笑い声は百太郎の童貞臭い仕草を笑っているのだろうか。笑われていたとしても百太郎にとっては大した問題ではない。露骨に煽られながら百太郎は、この締まった尻で兄ちゃんのでかいちんこを咥え込んで、鍛え上げた腹筋の奥に兄ちゃんの精液を飲み込んだのかなあ、などと考えるのに忙しかったので。
「部屋だと匂いこもるし壁薄いし、風呂場まで遠いだろ。セックスの後誰かと鉢合わせんのも嫌だし。プールなら誰も来ないし処理も楽」
「でも、っ部活の後は、プール入れないじゃないすか、ぁ」
「部長は鍵預かってっからな。……ん、勃ってきたか」
「ふっ……凛先輩も、コーフンしてるくせに……わっりぃ先輩」
 次にシャワー室を利用するとき、冷静でいられないかもしれない。あの全体に塩素の匂いが満ちた空間の、いつも部員たちがきれいに掃除するタイルの上で、兄と凛は人目を忍んでまぐわっていた。そうやってお互いに噛みついて、喘ぎ声で床や天井を叩いてザーメンを吐き出して、きっと凛の尻の穴からこぼれた白いねばねばした液体はそのまま、あの排水口なんかに吸い込まれていった訳で。実に悪い先輩たちである。百太郎は笑いながら目を細める。
 ジャージでわかりにくいけれど、艶めかしく揺れる腰の真ん中で凛自身も兆しを見せている。トドメのようにぐっと深く腰を押しつけられて喘げば、鼻先をゆるくかじられる。食われそうでぞくぞくする。
 やわく迫る体を押し返せば、凛はあっさりと離れていった。さっきまで煽りに煽られていた陰茎がハーフパンツの中でぶるりと震える錯覚に、百太郎は知らず手を伸ばす。
「そりゃあ、兄ちゃん拗らせてる可哀想な恋人の弟に、体貸してやってるぐらいだからな」
 伸ばした指先は憐れむ兄の恋人に取り上げられて、そのまま目の前のジャージへと導かれた。無言でねだられるまま、百太郎は凛のジャージを下着ごと下ろす。ほんの少しだけ角度を持った性器があらわになって、百太郎は静かに唾を飲み下す。
 それから凛の手のひらに急かされて、されるがままに腰を浮かせば、こちらもずるりと下着ごとハーフパンツを下ろされた。お互い半勃ちのちんこを丸出しにして向い合っているのは滑稽なので早くどうにかしたい。
「俺って」
 目の前で中途半端に浮いている腰を掴んで引き寄せれば、凛の腰はあっさりと百太郎の上に戻ってきた。すべらかな尻がまだ柔らかい陰茎をくすぐる。
「かわいそうなんすかね」
「……かわいそうで、かわいいな」
 そのままゆらゆら揺れる腰の動きは、卑猥なくせに幼い子どもを慰めるようでやさしかった。ああ、と思う。自分は兄が好きで、この人のことも好きだと思う。
 見上げればやさしくけぶって百太郎を見下ろす熾火がある。凛は慈愛を浮かべて微笑している。
「百」
 そういえばもう、イメージプレイがどうとか言ってたの、吹っ飛んでるなあと思い出す。でも百太郎は、凛に名前を呼ばれるのが好きだった。女の子か犬猫みたいな、やたら可愛らしい響きで呼ばれて、なのにそういうふわふわした感覚とはずっと遠い雄を呼び覚ますような声だから、好きだ。
 それから今だけは、凛は百太郎のことが好きで、百太郎も凛のことが好きなのだと思えるから、好きだった。
「かわいそうでかわいい百。なあ、来いよ」
 誘われるままに、百太郎は腰を動かす。ぎこちない動きを助けるようにつるつるとした凛の尻も動いて、あわいで百太郎の陰茎を育て上げてくる。まだしぼんだままの亀頭の先に濡れた感覚があって、なんだかんだ言いながらこの人も準備してたんじゃないかと思う。
 百太郎は己の上で弾んで喘ぐ凛の、目の前で脈動する首筋を見つめる。意趣返しになればいいと思いながら、跳ねる呼吸を極力抑えてお願いしてみる。
「せんぱ、い、おっぱい揉んでもっ、いいっすか」
「ん……」
 百太郎の陰茎を尻で扱きながら、凛は器用に頷いた。百太郎の肩に置いていた手を外して自分でタンクトップを捲ってすら見せる。百太郎が両手を伸ばせば、鍛えられて盛り上がった胸の肉はすっぽりと手の中に収まって、男にしてはきめの細かい肌が吸いついてくる。
 乳を寄せて、引いて、いたずらに乳首をくすぐって摘んで弾く。百太郎は己の手の中で自在にかたちを変えるやわらかい肉にうっとりと目を細めた。スポーツ選手特有の肉付きのよい胸は本当に女の乳房のようだ。女の子の裸なんて触ったことも見たこともないけれど、兄が所持していたいやらしい雑誌からの情報と照らし合わせてそう思う。この胸と谷間なら、噂に聞くパイズリだかパイコキだかができるのかもしれない。
「先輩、ほんとおっぱいでけぇっす、ね、ぁ」
「んー? ん、お前の兄ちゃんのほう、がっ、もっとずっと、でっかいムネしてたけど、な、ふ、ぁ」
「し、ってます……!」
 少しずつ滲み出てきた先走りも馴染んで、凛の尻に扱かれていた陰茎が跳ね上がる。兄の名前に興奮したのだと、百太郎も凛も理解していた。わかりやすい反応を凛は笑うが、そういう凛の性器も無毛の恥丘の上でいやらしく勃起して、静かに涎を垂らしている。
 百太郎は凛の胸の肉に頬を寄せて、ぬるりと舌先で味わってみる。ふあ、という甲高い声が頭上から落ちてきて、また百太郎の甘い疼痛を煽った。そのまま唇で肉を食んだり、芯を持ち始めた乳首を歯の裏側で扱いたりしながら、余った両手を凛の下肢へと滑らせた。左手で淫猥に揺れる腰を掴み、そして残った右手で凛の恥丘を撫で擦る。
「んっ! ぁ……もも、そっ……」
「あ、はっ、せんぱい、ここ触ったら、っん、先走りめっちゃ出てくる……」
 女の子の裸なんて見たことのない百太郎は当然実物のパイパンを見たこともなかった。男女問わずプロの競泳選手の中には体毛の処理をしている人間がいることも知っていたけれど、中学レベルの競泳でそこまで念の込んでいる人間なんてまずいない。兄だって生えているものは生やしっぱなしだった。なので初めて凛の無毛の陰部を拝んだときには、エロいとか興奮するとかよりも先に、なんだか感動してしまった。
 とはいえ、最初の衝撃を通り越してしまえば視覚的にクるのは間違いなかったし、触ってみればこれがなかなか気持ちいい。凛の生来の肌質もあるのだろうが、いつも念入りに手入れしているのかつるつるすべすべしている。凛も凛でそこが性感帯らしく、触れば触るだけ反応を返してくれるのでますます興奮を煽られる。びしょぬれになった陰茎の付け根あたりを爪の先でくすぐれば、びくんと目に見えて角度と高度が増し、それから百太郎自身を扱いていた尻もぶるりと震えた。
「はっ……先輩、も、挿れてい? 凛先輩のなか、はいりたい」
 いれて、と上目でお伺いを立ててみる。殊勝な仕草の下で、ひくひく震える凛の尻孔に亀頭を押しつけてはいるものの、凛が咎めたり怒ったり、拒否することはないと知っている。百太郎の熱を感じて、閉ざされていた穴はゆるく誘うように吸いついてきていた。
 はあ、と凛の吐息が落ちる。呆れているようにも聞こえる、熱を多分に孕んだ声。薄く汗を乗せる伏せがちな睫毛の下で、赤い光はゆらゆらと、妖しい色彩でとろけていた。その赤が残像を引きずって頷いた瞬間、百太郎は目の前の腰を両手でつかみ、凛の後孔に育て上げられた陰茎を押し込んだ。凛の白い体が、目の前で大きくしなった。
「ア、あ――……っふぁ、あ、もも……っ!」
「ンっ……先輩の中、あったかい、ぁ、きもち、っ」
 真夏のプールの水みたいな、体に馴染む心地いい温度だった。百太郎が訪れる前に慣らされていたのだろう場所は控えめに濡れていて、凛の尻で育てられ先走りをこぼす陰茎を飲み込んで受け入れる。これを待っていたのだと言わんばかりにきゅうきゅう吸いつかれる。
 本来は挿入なんてされるはずのない出すための場所だから、錯覚に違いないのだけれど、排除する生理的な動きを制して凛が受け入れてくれているようで、性的な衝動はまた違う何かが心臓のあたりを締めつけてくる。ただしそんなあえかな感情をやさしく育てるような余裕はなくて、百太郎は込み上げる衝動のまま腰を振り、凛の体を揺すった。
「はあっ、ぁ……っ! んんっ、く、う、ぅあ……」
 上に乗っている凛も気持ちがいいのか、名前の通り凛とした部長の姿からは考えられないようなだらしのない声で喘いで、自らいやらしく腰を揺すっていた。
 百太郎が突き上げるタイミングに合わせて凛が腰を落とす。抜ける瞬間にはぐずぐずにとろけたうちがわの肉が名残惜しげに百太郎の陰茎を吸い上げて、深く奥まで飲み込めば幹全体を絞ってくる。中の襞のひとつひとつに愛撫されているようで、百太郎は喘ぎながら腰を振った。どこか遠くへ吹き飛んでしまいそうな理性をぎりぎりのところで繋ぎとめて、凛のことも気持ちよくしてやりたいと凛の腿の下で不器用に裡を探った。凛が一番気持ちがいいのは、奥ではなくて手前の方の、腹側にある。引き抜かれた瞬間に肉の凹凸を振り切って、百太郎はカリ首でそのポイントを突き上げた。
「ひうッ!」
「うあ! ぁ……っりん、せんぱ、ぁ、い、気持ちい? んっ」
 凛の背中が弓なりにしなる。端正な顔はベッドの上段を仰いで、頭をぶつけるぎりぎりのところでフラフラと揺れている。肩に食い込む爪に目を細めて、それか目の前で胸を突き出すような格好をされたから、百太郎は顔を寄せて谷間に浮く汗の珠を吸い上げた。ぢゅう、と案外鈍い音がして、凛の直腸がまたきつく締めつけてくる。
 よく肉の乗った胸が膨らんで、はあ、と荒く息を吐いた瞬間百太郎の目の前に凛の顔が戻ってくる。汗と涎と涙と鼻水で濡れていて、それでも引くどころか余計に興奮するのだから美人は得なのか百太郎がどうしようもないのか。きれいな顔をぐちゃぐちゃに歪めながら、凛は百太郎に嘆願する。
「あ、ぁ……いい、っから……そこ、もっとぉ……!」
「んっ……先輩っ、ここだけで、イく?」
 百太郎の亀頭で一番いいところを自ら押し潰しながら、凛は必死で頷いた。百太郎も応えるべく、腰を回すようにして肉筒の中を捏ね回す。
 凛は前に触れずとも、後ろだけで達することができた。百太郎は初めて後ろへの刺激だけで射精する凛にそれはもう驚いたのだが、同時に兄がここまでこの男を育てたのだな、と思って、興奮した。この体を初めて貫いて育てたのは、百太郎が恋をする兄なのだ。そして兄に育てられた男がこうして百太郎に後ろへ挿入する快感を教えている。百太郎は女の膣に突っ込んだことなどないが、既に尻穴の気持ちよさと後ろでイかせる術は身につけ始めていた。女の子にいやらしいことをする気はないが、男ではなく女が好きな百太郎はこの先女の子を抱くことができるのだろうかと、たまに、ほんのたまに心配する。
 自分の快感よりも優先して、前立腺というらしい、凛の気持ちのいいところだけを攻めていく。直に痛いぐらいに絞られて、見れば凛の陰茎が今にも弾けそうに震えていた。子どもみたいにまっさらな恥丘は白の混じった先走りでびちょびちょに濡れている。中は中でうねるように蠢いて百太郎の陰茎を刺激し、まるで射精を誘っているようだった。
 もうそろそろ、お互いに限界だと思う。百太郎は腰に添えていた左手で凛の双丘を撫で、筋肉の隆起の隙間の背骨をなぞり、汗に濡れた赤茶けた後頭部を抱き込んだ。己の肩辺りまで引き寄せて、ちょうど口元に来た凛の耳朶を食み、お願いを吹き込む。
「ね、なか、出していい? りんせんぱい、俺の、飲んで?」
「ん! んん、ぃ……っから、だせ、なか、いかせっ――ふあああ!?
 ゆるしのことばが聞こえた瞬間、思い切り腰を引いて、突き上げる。カサの張り出た部分で凛の気持ちいいところを擦って、押し潰して、絡みつく襞を巻き込むように一番奥を抉った。百太郎の薄い陰毛の上で、叩きつけられた凛の睾丸がふるんと跳ねた。
 凛の爪が鈍い音を立てて肩の皮膚を破る。隙なく鍛えられた男のからだが目の前で痙攣しながら反り返って、さらされた腹筋の凹凸に白い飛沫が散った。そこまで見届けたところで、視界が眩むような快感が奔る。飲み込んでまるごと食われてしまいそうなきつい締めつけに、百太郎はぎゅっと目を瞑った。
「あァ、や、ぁ~~~~み、こしばさぁ……ッ!」
「――――ッ!」
 とろけきった凛の声が鼓膜を叩いた瞬間、百太郎の瞼の裏の世界が赤く染まる。
 それから凛の一番奥で、百太郎はゆるしの通り射精した。
 ぴゅ、ぴゅと幾度かに分かれて吐き出される精液は凛の体内を白く汚していく。百太郎はここを最初に拓いて暴いた兄のことを思い、兄が精を吐き出す瞬間を夢想して、極めつけに今凛の中で無駄打ちされている精液とかつて兄が吐き出した精液に同じ遺伝子が宿っているんだよなあ、なんてらしくもなく難しいことを考えて、脱力した。
 荒い呼吸がふたりぶん、狭い寮の一室に響いて消える。そういえば隣近所に喘ぎ声が漏れてはいなかっただろうか、なんて殊勝なことは考えない。代わりに汗と一緒にほんの少しこぼれた涙を拭い、鼻水をずずっとすすった。
「っは……せんぱぁい、最後の最後で、あれ……ないです……」
「はーっ、は……ぁ……ははっ、なぁに言ってんだよ」
 性交後の倦怠が滲んだ声で、それでも凛は軽やかに百太郎の恨み言を笑った。ん、と気安い声でどろどろに汚れた腰を浮かして、百太郎の陰茎を引き抜いていく。白く汚れた赤黒い性器がずるずると引きずり出されて、いやらしい水音を立てながら完全に抜けた。
 尻から百太郎の精液を垂れ流しながら、凛は艶やかに笑ってみせた。
「イ・メー・ジ・プ・レ・イ、興奮したろ? 御子柴サン?」
 百太郎はぐっと、苦い何かが喉に詰まったみたいに顔を顰めた。凛は溜飲が下がったとでも言わんばかりに、にやにやと百太郎を見下ろしている。
 凛と兄は、プールでセックスをしていた。部長はプールの鍵を預かっている。凛も百太郎をプールに誘うことができるはずなのにしない。そもそも凛がことばにして百太郎を誘ったことなんてない。こっそり後ろをほぐして期待したりしているくせに。
 凛は滅多に百太郎に唇を許してくれない。初めてお互いの御子柴清十郎への慕情を認め合ったあのときのキス以外、まともに唇を交わしていない。本当はゆるしてやってもいいと思っているくせに。
 凛はセックスの最中に、百太郎にあとを残したことがない。兄にはあんな、恋そのものみたいな小さな赤いキスマークと、所有欲をちらつかせるような派手な噛みあとを残していたくせに。
 なのにどうしてこうも、この人に敵わないのだろうか。たぶんそれをそのままぶつければ「お前が兄ちゃんと俺に恋してるからだよ」なんて、にべもなく返されて逃げられるのは目に見えている。百太郎はもう一度鼻をすすって、せめてもの抵抗に凛に恨みがましい視線を向けた。
 尤もそれすら躱されて、すぐに子どもを宥めるみたいなやわらかなキスを額に落とされて封じられてしまうのだけれど。