蝉の鳴き始める初夏の頃、初めて担当の患者さんを持った。
名前を――職業倫理上、きっと個人の日記であっても患者さんの情報を残してはいけないと思うので、仮にMさんとしておく。
(すべて書き終えた後に読み返したら、何を今更、というぐらい個人情報が書かれていたけれど、ええと、フィクションということで)
新卒で今年の四月に入職したばかりの私は、今までの三ヶ月、先輩セラピストについてリハビリの流れや病棟のスケジュール、カルテや書類の入力方法を覚えるのに精一杯だった。実際に患者さんと触れ合う機会といえば先輩の代役でリハビリをする程度で、明確に担当だといえる患者さんはまだ持っていなかった。
同期のみんなが少しずつ患者さんを担当し、一人で治療計画を立てたり、先輩に付き添われることなくリハビリを実施する姿を少し羨ましく思っていた。そんな矢先にMさんは入院してきた。
Mさんは8X歳で、この岩鳶町にお住まいの方だった。お年の割にシャッキリとしていらして、もちろんお仕事はされていないけれど、ほとんど毎日、駅近くの橘スイミングスクールで泳いでいらっしゃるという。ご趣味はもちろん水泳。それから、なんと筋力トレーニング。最近は休みがちながら、朝晩のランニングを日課になさっているというから驚きだった。
そして入院の経緯はといえば、ひさびさのランニング後、自宅前の石段を登る際に足を踏み外して転倒。幸い二段程度の高さだったものの、右足と右手首を骨折して救急搬送、というものだった。
転倒で救急搬送される方はいくらでもいるけれど、このお年で、こんな経緯で入院される方はなかなかいないんじゃないだろうか。まだ仕事を始めて三ヶ月程度ではあるけれど、少なくとも他にそんな患者さんは見たことがない。
怪我や病気の程度によるけれど、認知症等もなく意識の清明な方ならば、活動的な方のほうがそうでない方より回復は早く、障害も残りにくい、というのが一般論だ。先輩たちの言葉を借りれば比較的難しくない、病棟の言葉を借りると手のかからない患者さんということになる。
だからこそ、新人である私の初めての患者さんにMさんが選ばれたのだろう。Mさんはある意味理想的な患者さんだった。
Mさんが入院してすぐ、リハビリを開始する前にご挨拶に伺った。これからよろしくお願いします、というだけの文字通りの挨拶ではなくて、入院前はどんなことをされていたとか、どんなふうに毎日を過ごしているとか、今までどんな病気をしたかとか、家族構成とか、あらゆる情報を集めることも目的の一つだ。先輩たちはすらすらと質問して簡潔にメモを取るのだけれど、何せ新人で要領もよくない私は初めから質問項目を作っていったにも関わらず、随分と手間取ってしまった。
一度手間取ると何もかもがうまくいかなくて、頭の中がいっぱいになってしまう。へろへろになりながら――今思えばMさんのほうが余程お疲れだったと思うけれど――Mさんのお部屋を退室する前に、もう一度改めて挨拶の言葉を言おうとして、よろしくお願いしましゅ、と噛んでしまった。私はお辞儀の姿勢のまま、恥ずかしさに顔を上げることもできずに固まってしまった。
そしてMさんが盛大に笑い声を上げた。
「先生、新人か?」
ただのセラピストであって決して先生と呼ばれるような職種ではないのだけれど、患者さんから見ると医師もセラピストも変わりないらしい。先生と呼ぶ患者さんは他にもたくさんいる。なので否定もせず、ただ消え入りそうな声で「はい」と答えた。きっと真っ赤になっているだろうことを恥ずかしく思いながら、なんとか顔を上げる。
「こ、今年の四月から働き始めて、まだ三ヶ月です」
「ふうん。俺の妹も若い頃、似たような仕事やってたけど」
先ほどのお話によれば、隣町で息子夫婦と同居されている妹さんだ。
Mさんはにやっと笑って見せた。
「俺もこの歳になって初めての入院だ。お互い気楽にやろうぜ」
言って、Mさんは吊るしたままの右手首を三角巾の上から叩いた。そして予想以上に痛かったのか酷く顔を歪めて、今度はMさんが俯くものだから、私は慌てて駆け寄って、大丈夫ですか、ナースコール押しますか、とか声をかけた。Mさんは大丈夫だと左手を振って、さっきの私みたいにゆっくりと顔を上げた。
Mさんは歳相応の深い皺を刻んでいるものの、どこか張りのある精悍なお顔立ちをしている。けれどこの時は隠しようもない涙目で、私は思わず笑ってしまった。Mさんも八重歯を見せて笑った。
私の緊張も気負いも、この時に全部吹き飛んだ。
リハビリは順調に進んだ。
辿々しく最初の身体機能の評価を実施し、現在の障害の程度を数値として把握する。先輩の指導を受けながら治療計画を立案してその通りに実施、適宜プログラムを変更して最適なリハビリを行う。Mさんは弱音を吐くこともなく、むしろ楽しそうにリハビリに取り組まれていた。新しいプログラムを実施する度に、今度は何だ、どういうメカニズムなんだと熱心に質問なさっていて、いっそこちらが辟易するぐらいのリハビリ意欲だった。予想よりもずっと早く回復していったけれど、これはやっぱり私のリハビリの成果ではなく、御年8X歳になっても日々身体を鍛えられていた賜物だろう。
Mさんは始めは車椅子を使用していたけれど、自力駆動で病棟内を自由に移動できるようになってからは病院のあちらこちらへ散歩に出かけていた。リハビリの時間になっても不在で、一階の売店から最上階の喫茶室まで探し回ったことも一度や二度ではない。終いには息せき切って迎えに来る私を不憫に思ったのか、Mさんは行き先を記したメモをベッドサイドのテーブルに置いて行ってくれるようになった。
とにかくMさんはじっとベッドで横になっているということがなかった。他の患者さんはリハビリ後大抵お疲れになっていて、ベッドで横になって一休みをされたりするのだけれど、Mさんは平行棒での歩行や階段昇降を何セットも繰り返した後、そのまま部屋に戻ることなく病院中を散歩しに行ってしまう。とにかく本当に活動的な方だった。
珍しく在室されているなと思ったら水泳や筋力トレーニングの本を読んでいたり、もしくはお見舞いにいらっしゃった誰かとお話しされている。Mさんは未婚でお子さんもお孫さんもいらっしゃらないけれど、時々妹さんのところのお嫁さんやお孫さんがいらっしゃっていた。
けれど、お見舞いで一番よく見かけるのは、Mさんと同年代ほどだろうか、ご年配の男性だった。
リハビリのお迎えにお部屋を伺った際、その方がいらっしゃっているのをお見かけした。部屋の入口からでは背中ぐらいしか見えなかったけれど、まっすぐに背筋を伸ばして来客用の椅子に座っていた。Mさんにも劣らないシャッキリとした方だな、と思った。
Mさんは嬉しそうに、軽口を叩きながら談笑されていた。お邪魔をするのも申し訳ないと思って少し時間を置き、再度お部屋を訪ねるとお見舞いの方はもう帰られていて、Mさんは珍しく何もせず、黙って窓の向こうの海を眺めていた。なんだか寂しげな表情だった。気分を変えるように殊更元気よく声を上げてお部屋に入れば、Mさんはすぐにいつもどおり、気さくに笑ってくれた。車椅子に移りながら今日の昼食の鯖がいまいちだったとお話する姿に先ほどの面影はなく、あれは気のせいだったのだろうかと思ってさり気なく尋ねてみた。
「さっき、どなたかお見舞いにいらっしゃってましたね」
「ああ、ちょっとな」
「お友達ですか?」
車椅子のブレーキを外そうとしていたMさんの手が止まった。
どうしたのだろう。お顔の見える位置に回り込めば、Mさんは悪戯っぽく笑った。
「秘密だよ」
吹っ切れたような寂しさを込めた、明るい声だと思った。
それからまた日が経ち、何度目かのカンファレンスで、家屋評価を、という話になった。
ありていに行ってしまえば、退院して自宅に帰った際、危険な箇所はないか、危険な箇所があるならば改装も含めてどう対処するかを実際に患者さんのお宅に訪問して確認する作業だ。
この話を伝えると、Mさんは目に見えて喜んでいた。この作業が入るということは、主治医はMさんの退院を見据えているということだ。訪問の日時はトントン拍子に決まり、Mさんはついでに外泊をすることにしたと嬉しそうに話された。私たち病院のスタッフと一緒に自宅に向かって必要な確認作業を行い、そのまま一泊して翌日の昼に病院に戻るという日程だ。
家屋評価実施の当日、Mさんと私と、それから看護師さんとケアマネージャーさん、私にとって初めての家屋評価ということで、もう一人先輩セラピストが病院の車に乗り込んで、Mさんのご自宅へと出発した。運転はケアマネージャーさん、助手席に看護師さんが座り、私は後部座席でMさんと先輩と、三人並んで座った。Mさんはほとんど窓の向こうを見ていて、家に帰り着くのが待ち切れない様子だった。
海沿いの道を行き、カーブの多い山道を抜ければ海と漁港が広がる。Mさんの家は漁港の近く、海沿いの斜面に作られた住宅街の中にあった。民家の隙間、狭い生活道路を抜けて車は一軒家の前で停まる。私は先に車を降りてMさんの降車を手伝った。
車を降りたMさんは感慨深そうにお宅を見上げていた。いつも明るく、お年を感じさせない溌剌さで過ごされているMさんも、やっぱりそれなりに病院生活での疲れがあるのだろう。私も並んでMさんのお家を見上げた。古き良き瓦葺の日本家屋だ。広いお庭も付いている。
こちらは家の裏手とのことでゆっくりとMさんが先導し、私達もそれに倣った。芝生のお庭に踏み込めば、物干し竿にぶら下がるいくつかの洗濯物の向こうに青い海と漁港が広く見渡せる。緩やかな山の斜面に建てられているため眺めは壮観だった。潮騒を聞きながら更にお庭を回り込めば、鳥居に見下されるようにして玄関が位置している。
車で入ることを考えると何か不便だなあと思ってあたりを見渡すと、私に気づいたMさんが笑った。T字の杖で玄関から伸びる小道と、その向こうを示してみせる。
「車で入る道だと遠回りになるから、普段はそっちを使ってる」
神社へと続く、長い石段だ。それなりに幅があり階段の真ん中に手すりが設置されてはいるものの、よくある神社の参道らしく、傾斜が急で一段が高い。そして下の道からここまでが長い。聞けばこの階段の下、二、三段のところで転倒して入院することになったのだという。
「退院なさっても、こっちの階段は使わないようにしてくださいね。遠回りでも裏の道のほうが安全ですから」
「ああ」
Mさんは軽く頷いた。これは退院しても石段を使うな、と思った。
こんな話をしている内に、男性のケアマネージャーさんが玄関の呼び鈴を押している。お庭に洗濯物もあったし、ご家族ではないけれどご友人とお住まいだと伺っているから、恐らくその方が出てくるのだろう。インターホンの隣に据えられた木でできた表札には、Nと彫られていた。
一度目の呼び鈴には何の応答もない。ケアマネージャーさんがもう一度呼び鈴を押しても無反応だった。ただ、お家の中から食欲をそそる香ばしい匂いが漂っている。Mさんがちっと舌を鳴らして、もどかしそうに扉に取り付いてがらりと開けた。玄関の小さな段差は難なくクリア、と心の中で思う内に、聞いたこともない大きな声が上がった。
「ァル! いるんだろーが、鯖焼いてないで出てこい! それとも風呂場か!?」
Mさんの声だった。こんな声を出す方だとは思わなかった。
怒鳴り声から少し間を置いて、廊下に人影が現れた。すっと伸びる背筋の、矍鑠(かくしゃく)とした男の方だった。Mさんと同年代ぐらいだろう。どこかで見た記憶があった。確か、Mさんのお見舞いによく訪れるあの方だ。
Mさんが馬鹿にするように笑った。
「ようやく出てきたか。耄碌して耳まで遠くなったのかと思ったぜ」
「階段でこけて入院したお前に言われたくない」
「あァ!?」
いきなり喧嘩腰になるお二人に焦ったのか、ケアマネージャーさんが間に入った。お家から出てきた同居人の方に、先日連絡させていただいた××病院の、と切り出す。同居人さんも頷いた。
「いつもお世話になっています。Nです。応対が遅れて申し訳ありません」
丁寧に頭を下げられてから、どうぞ、と中に入るよう促された。ケアマネージャーさんが先んじて入り、次に看護師さんが続いた。私も先輩と一緒にMさんを介助しながら続く。玄関の上がり框は案外低くて、ちょうどいい位置に手すりが設置されていたのでMさんにはそちらを使っていただいた。Mさんは手すりに首を傾げながら、それでも少しの介助だけで無事にお家に入られた。
外でも感じた通り、家の中にはおいしそうな匂いが漂っていた。Mさんの先ほどの言葉を踏まえれば鯖なのだろうか。居間に入ると卓袱台の上に人数分のコップと、何故か焼いた鯖が並んでいた。今のMさんに正座はちょっと難しいなと思うのと同時に、どうしてお茶請けに鯖、という疑問が頭の中を駆け巡った。
混乱する私と怒ったような顔をするMさんの傍ら、先輩がNさんに足のついた椅子はないかと尋ねていた。Nさんはすぐに頷いて、隣の台所から椅子を持ってきて下さった。きちんと両側に肘掛けのついた椅子だった。
Mさんに椅子に座っていただき、他の全員が卓袱台に座って、さて、これからの流れを説明しようかという雰囲気だ。けれどもMさんとNさん以外の病院スタッフには、妙な動揺と緊張が走っていた。この中では一番年かさでベテランの看護師さんまでこの状態なのだから、麦茶はまだしも鯖をお茶請けに出されたのは初めてなのだろう。
患者さんやご家族さんから現金や金券チケット、その他高価なものを戴くのはタブーだけれど、食べ物などのご好意はあまり過剰にお断りするのも失礼だということで容認されている。結局私達はありがたく鯖を頂いた。病院の鯖にMさんが不満を漏らすのも仕方がないくらい、とってもおいしい鯖だった。
ケアマネージャーさんと看護師さんと、それから不甲斐ないことに先輩が主導になって必要なお話しをされた。MさんもNさんもよくお話を聞かれていて、時折質問を挟んでいた。
それからようやく、実際に戸口の幅を測ったり、Mさんに廊下やお風呂場を動いてもらったりすることになった。家の間取りを説明するためにNさんが立ち上がり、先輩たちも続いて二階へと上がってしまった。Mさんの担当セラピストは私なのに、何だかお荷物みたいで不甲斐ない。
不意に、一緒に残っていたMさんがと立ち上がろうとした。立ったり座ったりはそれほど問題のない方だけれど、安全のためにと慌てて付き添う。Mさんは焦って近づく私に思い直したのか、悪いな、と笑って再び椅子に戻った。視線だけが近くの棚に残っていた。
何だろうと目を凝らせば、渋い色合いの壺が並ぶ棚に眩しい水色の何かがあった。水を閉じ込めたみたいな流線型のデザインに、赤と白の大きなリボン、それから天辺には今にも飛び込みそうな姿勢のちいさな人の飾り。茶色い台座には、メドレーリレー優勝、という文字が読み取れる。どこか古めかしさを感じるトロフィーだった。
ふと、トロフィーの台座で留めるようにして二枚の紙切れが飾られていることに気がついた。どちらも古い写真のようだった。一枚には小学生くらいの男の子が四人、水着姿で写っている。みんな首からメダルを下げて、どこかのプールを背に笑顔を浮かべていた。
いや、一人だけそっぽを向いている子がいる。トロフィーを抱いた男の子に肩を組まれて、その子から顔を背けるように明後日の方を向いた男の子。けれど私には、どうしてだか照れ隠しに見えた。
もう一枚の写真もまた、プールを背景にしたものだった。高校生ぐらいの水着姿の男の子が四人、それからジャージ姿の男の子が一人。水着姿の子たちは最初の写真の子たちが成長した姿に見える。並び方まで一枚目と同じで、違いといえばメダルもトロフィーもないことぐらいだ。そっぽを向いた男の子と、その子に肩を組んで笑う子が並んでいるところまで同じだった。
あっと気づいた。肩を組んでいる子はMさんではないだろうか。なんとなく面影があるし、何より笑った時に覗く八重歯が一緒だ。それからそっぽを向いている方の子、こちらはNさんに見える。
思わず顔を上げた。椅子に座って私を眺めていたらしいMさんはちょっと目を丸くして、それから恥ずかしそうに笑った。
「小学生の頃、メドレーリレーで優勝してさ。そのトロフィー」
「優勝、ですか……Mさん、お若い頃からすごかったんですね。こっちの写真は?」
五人が写った写真を示せば、Mさんは罰悪そうに笑った。
「高校……二年だったかな、夏の地方大会に出て、メドレー泳いで……そんときの」
「こっちも優勝ですか?」
「いや、反則で取り消し」
「えっ?」
びっくりして、写真とMさんを見比べてしまう。
短い期間ではあるけれど、一緒にリハビリをして、いろんなお話をして、なんとなくMさんの人となりを掴んだつもりでいた。けれどそれにしたって、Mさんと「反則」という言葉が結びつかない。一緒に写っているNさんだってそうだ。鯖をお茶請けに出す突飛さは理解できないけれど、あんなに真面目に出迎えて下さった方なのに。それとも若い頃はヤンチャだった、とか、そんな感じだろうか。
「俺がバカやったっつーか、若気の至りっつうか……」
「確かにバカだったな」
いつの間に下りてきたのか、台所の方からNさんが現れた。Mさんと私を少し眺めて、すぐに部屋の隅に置かれた抽斗の方へと向かう。
しゃがみ込んで何かを探すNさんに、Mさんはけっと悪態をついた。
「未だに風呂に浸かってるやつに言われたくねーよ。そのうち心筋梗塞でポックリいくぞ」
「まだ夏だから大丈夫だ。それに」
Nさんがこちらを振り返る。Mさんを見て、それから棚に飾られたトロフィーを見て、
「お前みたいな手のかかるやつを置いて先に逝ったりしない」
Nさんは言い切った。
Mさんは口ごもって俯いた。
私は何か、不思議な気持ちになった。
「ああ、先生、他の方がお呼びでしたよ。こいつは俺が見張ってますから、二階に」
Nさんの視線が俯いたままのMさんから、瞬きを繰り返す私に移る。
「あ、は、はいっ、すいません!」
「階段、玄関のところをすぐです」
「あ、あ、ありがとうございます! それじゃ少し失礼しますね!」
何だかNさんを使い走りにしてしまったみたいで申し訳ない。お二人に頭を下げて、急いで、けれど走らないように二階へ向かう。廊下を出たところで、残ったお二人の会話が何気なく耳に入った。
……なあ、いいかげんあのトロフィー片付けようぜ。
……なんでだ、理由がない。
……賞状とか楯とか、メダルとか、他にもいろいろあるじゃねーか。
……あれ以外出したってしょうがない。…だって仕舞ったっきりだろ。
……俺だって、あのトロフィー以外別に……メダルは実家に飾ってるし……
結局、初めてのこととはいえこんな調子でどうすると先輩に怒られた末、あちこちの広さや長さを測ったり、段差の有無と高さを確認したり、実際にMさんに壁伝いや杖を使って歩いてもらったりして残りの時間は目まぐるしく過ぎていった。
家の中を確認したところ、ここは手すりがあったほうがいいなとか、段を埋めたほうがよさそうだなというところのほとんどに補修がされていた。驚くことに、Nさんが入院中のMさんのことを考えてご自分で設置されたのだという。だからMさんは見慣れない玄関の手すりに首を傾げていたのだろう。ご家族さんが先んじて手すりやスロープをご自宅に設置されることは時々あるけれど、だいたい業者に委託してしまったり、時には高さが合わず逆に危険になるため、撤去したり設置し直すこともあると先輩は話していた。けれどNさんの補修されたところはどれもこれもMさんが使うのにちょうどいい塩梅で、先輩もケアマネージャーさんも感心していた。Nさんは手先が器用なんですねと看護師さんがいえば、昔から手作業は得意でしたからと答えられた。かっこよかった。
このままご自宅に一泊されるMさんに在宅中に気をつけることをひと通り説明して、私たちスタッフは帰ることになった。Mさんと、Mさんに付き添うNさんに見送られてお二人のご自宅を辞す。磨りガラスの嵌めこまれた扉を閉めると同時に、家全体を震わせるようなMさんの怒号が聞こえて一瞬びっくりしたけれど、この時にはもう、本当に喧嘩するほど仲がいいんだなあ、と思うようになっていた。
行きと同じく、ケアマネージャーさんの運転で私たちは病院を目指す。先輩と看護師さんは他愛のないお喋りを始める。民家を抜けて海沿いの道に出たところで、ふと看護師さんが声を上げた。
「やっぱりMさんって、あの競泳選手の松岡凛じゃないかしら」
「あっ、やっぱり思います!?」
ケアマネージャーさんが興奮気味に答えた。お仕事のこと以外では余り喋らない方だと思っていたから、その食いつきぶりに驚いてしまった。
「僕、学生時代は競泳やってたんですけどね、松岡選手ってあれでしょう、昔五輪で金を獲った」
「そうそう、もう何十年前になるかしら。私、ほんの子どもだったけど……確か二回目の東京オリンピックだったから、日本勢の活躍にほんとお祭りムードで……うん、そうよね」
「だったら納得ですね。Mさんの上半身の筋肉見たことあります? 生半な鍛え方じゃないですよあれ」
先輩も二人の会話に口を挟む。看護師さんが後部座席を振り返ってしたり顔で頷く。清拭や入浴介助があるから、この中では看護師さんが一番よく心得ているだろう。私もストレッチのために服越しに触らせてもらう場面は多いけれど、確かに服の上からでも筋肉の盛り上がりが分かる体つきだった。あのお年であそこまで鍛えられている方もそういらっしゃらないと思う。
「うわあ……すごいなあ、こんな片田舎に、あの伝説の選手が……」
ケアマネージャーさんが陶酔したような口調で語る。今度個人的に話を聞きに行こうかなと漏らして、あまり突っ込み過ぎちゃだめよと看護師さんに窘められていた。ケアマネージャーさんは本当に、その松岡選手のファンなのだろう。
私は水泳とは無縁の生活だったし、生まれる随分前に開催されたオリンピックのことなのでいまひとつぴんとこなかった。ただ、Mさんが只者ではなさそうなことは分かる。
それから、あの二枚の写真。きっとお二人にとっては、オリンピックの選手だったことよりも、あのふたつの時代のほうが大切なものなのだろう、ということ。
「だったら、あのNさんって七瀬遙選手かなあ……フリーで金の……」
信号待ちで車を停止させながら、ケアマネージャーさんが呟いた。
停まった車の窓から私は海を眺める。広い海と、少し寂れた漁港。かもめの止まる防波堤。人気のない海沿いの道。夏の田舎の道を、二人の小学生が、そして二人の高校生が走り抜けている。日差しの照りつける海を泳いでいる。
お二人はあの写真の時代から、何度夏を繰り返したのだろう。どれだけの時間を一緒に過ごして、一緒に泳いできたのだろう。若気の至りだ、バカだった、と二人して言い切るようなことを、このお年まで何度やらかしたのだろう。少しおかしくなって、私は誰にも気づかれないよう、ひそかに笑った。
車内冷房のため閉め切られた窓越し、夏も盛りと蝉の声が響く。信号が変わったことに気づかないケアマネージャーさんを叱る看護師さんの声と、余程慌てていたのか、急発進された車の音にすぐに掻き消える。
けれどあの二人にはきっと、これから先も、永遠に夏の音が響くのだろう。蝉の声、スタートの合図、水面を割る音。もしくは会場の大歓声と拍手喝采が鳴り止まない夏を重ねてきて、重ねていくのだろう。
それは本当に、本当に素敵なことだと思った。