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橙にふけり夜わらう

 そも、なるほどそれもありかも知れない、と思ってしまった時点で誤りだったのだ。
 きっとあの怪音波に毒されてしまったのだ。そうに違いない。違いない、と思いたい。だって自分は悪竜の一部を身に宿しているとはいえ、もっと理性的な人間のはずである。生前はともかく、今は。
「カルナ」
 サーヴァント用のマイルームが並ぶ、白く無機質な廊下の先の、暗中の金。修練場から帰ってきたばかりの背を見つけ、ジークフリートは声をかける。カルナが振り向く。
 そして冬の湖面のような瞳に見上げられて、もう言葉に詰まってしまった。
 彼の瞳は神の瞳である。あらゆる偽りを見抜き、本人すら自覚していないような真実を暴いてしまう。この目を前にして果たして自分があの、控えめに言って頭が煮えたようなアイデアを実行できるだろうか。いや、言わずもがな。
 きっとカルナはわかっている。声をかけたものの二の句が継げず、あ、とか、う、とか呻くジークフリートが何をしようとしていたかなど。いや、ジークフリートは気づいていないが、神の目を持たざる者とて何となく察したに違いない。
 だってカルデア内では滅多に晒されないジークフリートの竜の尾が、彼の背でしどろもどろとうろついている。その尾の先にはふた月ほど勘違いしたもみの木の飾りのように小さなカボチャのランタンが結びつけられていた。彼自身が結わえたものではあるまいが、戦闘時以外はしまわれている尾と翼と角が露出している理由、そして彼がこれからしようとしていることを如実に示唆している。
「ジークフリート」
 踏ん切りの悪いジークフリートを、カルナは名を呼ぶことで促した。
 うう、と呻いて、のろのろとジークフリートは口を開く。これから告げる言葉を思えば、わかっていて促された、というのはなんとも情けないものだ。
「と、」
 しかしここまでカルナに言わせておいてやはりやめることができないのもまた、ジークフリートという男であった。辿々しく言葉を紡ぐ。
「ト……トリック、オア、トリート……」

 恋人たちの甘い時間、ちょっとしたスパイスに!
 ハロウィンは子どもたちが楽しむだけのものじゃないのよ、アナタもそうは思わない?

 オルレアンで一緒だったから。同じ竜属性同士。
 そんな全く以て納得のできない理由でエリザベートのハロウィンライブに拉致、いや、招待されたのが運の尽きだった。
 旧い言葉だとか、引き抜いた植物が上げる死に至る悲鳴だとか、そういった冒涜的な音声を外に漏らさないように。そんな理由で設えられていた完全防音の一室をライブ会場に変えたのはある意味当初の目的を正しく遂行しているとも言える。
 ともかくその密室で、小一時間ほど暴力にほど近い歌声を浴びせられ続け、ジークフリートはすっかり疲労困憊していた。宝具たる悪竜の血鎧で防いでもこれだ、エリザベートの歌声の素晴らしさが如何ほどか伝わるだろう。
 とにかくその、頭蓋骨をぱかっと開いて脳みそを手ごねされたような酷い目眩の中、衣装替えのための小休止を好機と見てジークフリートは逃げようとした。敵前逃亡は戦士としては屈辱だが、今のジークフリートは一戦士ではなくマスターのため世界のため、グランドオーダーを遂行するサーヴァントである。汚辱の一つや二つ、喜んで被ろう。それが後の勝利につながるのであれば。
 と、英断したところを見咎めたエリザベートにステージ上から引き留められた。着替えが早過ぎるのではないかと思ったが、前述の通り自分たちはサーヴァントである。霊基を弄ればすぐなのだろう、たぶん。ジークフリートは鎧以外を身に纏うつもりもないので実際のところどうなのかはわからない。
 兎に角、最早これまでと思った、その時。
「竜殺しの英雄には約束があるのだ。そう引き留めるものではない」
 数少ない観客、兼スタイリストのヴラドの声である。彼は客席から優雅に立ち上がりながら、ジークフリートには一瞥もくれないまま告げた。その手には太陽の下でよく熟れたカボチャ色を基調とした、きらびやかな衣装が抱えられている。
 意外な助け船であったが、それを意外に感じるほどの思考力もその時のジークフリートにはなかった。こくこくと物も言えないまま、首を上下に振り続ける。ヴラドと口のきけないジークフリート、という図はかつて共にした黒を彷彿とさせたが、もちろん思考の鈍磨したジークフリートが気づくべくもない。
 エリザベートは拗ねたように唇を尖らせ、小首を傾げた。
「あら、そうなの? それってアタシのライブより大事なのかしら」
「俗に言う、恋人同士の、というモノでしょう。他人の恋路を邪魔するのは無粋ではなくて?」
 更なる助け船はヴラドとはジークフリートを挟んで反対側の客席からである。数少ない観客、兼ステージ担当のカーミラはそれをどうするつもりなのか、幻想の鉄処女をステージ上に召喚している最中だった。こちらもやはりジークフリートには一瞥もくれない。
 この時点でジークフリートには気づくべき重大な事実があったのだが、悲しいかな、この時の彼の脳内はドロドロに煮込まれた豆のスープのようなものだった。
 確かに修練場からカルナが帰り次第手合わせでも、という約束をしていたのだから嘘ではないな、ぐらいの思考が関の山だ。嘘ではないヴラドとカーミラの言葉は、つまりジークフリートの約束が果たしてどうやって知られていたのか、までは考えが及ばなかったのである。
 そんな事情など知らないエリザベートは黄色い悲鳴を上げた。腐っても、というと失礼だが、彼女はれっきとした恋知らぬ処女なのだ。
「ヤダ、そうと知ってればアタシのライブに二人揃って招待したのに!」
「ふたり、そろって」
「デートよ、デート!」
 キャアキャアと声を弾ませているが、エリザベートのライブとデートという言葉が全く結びつかない。ジークフリートの生きていた時代にはあまり縁のなかった概念だが、召喚に際して与えられた知識をそのままに両者を乗算すると破局という答えが導き出される。
 そもそもデート、デートとはいったいいかなるものか。
「こんな騒がしい場所でデートも何もあるものですか。もっとしっとりとした、大人の時間を、二人きりで楽しむものよ」
 と、いうのがデートらしい。ステージに設置された幻想の鉄処女を満足げに見つめながらのカーミラの言葉を、ジークフリートの脳は理解という過程を経ることなく答えとして直接出力する。
「そう、そうね、二人きりでオトナの……」
 一瞬顔を赤らめたエリザベートは、ぎゅっとマイクスタンドを握り締めた。
「だったら、ライブに来てくれた御礼! アタシからのサービスよ!」
 そして握り締めたマイクスタンドを振りかぶり、ステージ上からひらりと飛び降りてーーその勢いのまま、ジークフリートの脳天に打ち据えた。
「ぐっ……!?
 かぁんと、ドロドロの豆のスープが詰まっている割に軽やかな音が響いたのは安心すればいいのか不安に思えばいいのか。
 ノーガードで頭部に一発貰うなどサーヴァントとして恥ずべき失態ではあるが、瞼の裏に散る星が混乱していたジークフリートにわずかばかりの平静を取り戻してくれたことは不幸中の幸いであろう。
 ぐわんぐわんと回る頭蓋を片手で支えれば、あるはずのないものが指先に触れた。戦闘時以外には封じているはずの悪竜の角だ。もしやと意識を集中すれば、尾と翼まで顕現している。
 一体いかなる理屈であろうか、エリザベートがマイクスタンドで殴った衝撃で飛び出してきたとしか思えない。犯人とおぼしき当の本人はといえば、人にバスター攻撃並みの一撃かましておきながら全く悪びれない笑顔だ。値踏みするような視線をジークフリートの角のてっぺんから尾の先にまで注ぎ、満足げに頷いた。
「うん、いいじゃない。捻りはないけど、気持ちばかりの仮装ってことで」
 更にジークフリートの英霊として至るべきところに至った姿を仮装呼ばわりである。
「せっかくだから、これもオマケよ!」
 大物の気配すら漂わせるエリザベートはステージの端を彩っていたカボチャのランタンを取り上げ、ジークフリートの尾の先に器用に結わえつけた。なるほどこうなってしまえばハロウィンの仮装に……は、やはり見えないのではないだろうか?
 仕上がりに満足がいったのかエリザベートはあちこちの角度からジークフリートをチェックし、その都度うんうんと頷いていた。最後にくるりと振り向いて、自身のスタイリストに問う。
「どうかしら、おじ様!?
「悪くないのではないか」
 答えたヴラドは手にした衣装のステッチをつぶさに見つめている。やはりジークフリートには一瞥もくれていなかったのだが、適当にしか聞こえない返事にエリザベートは頬を紅潮させた。自分を着飾ってくれる人間に、他人を着飾って褒められれば嬉しいものなのだろう。別にヴラドはエリザベートの仕事を褒めてはいなかったと思うが、恐らく。
 認められ(たという錯覚で)勢いづいたのか、エリザベートはぐっと拳を握ってジークフリートににじり寄った。
「あとはこれで、トリック・オア・トリート! よ!」
「は……?」
「だからあ、あまーいコイビトの時間か、それともオトナのイタズラか? ってこと!」
 ぴんとこない様子のジークフリートに、エリザベートは乙女の妄想、ならぬ理想を語る。
 恋人たちの甘い時間、ちょっとしたスパイスに!

 そして音波に毒された冒頭に戻り、現在に至る。

 ジークフリートの台詞を聞いたカルナは頷いて、自身の身体をぺたぺたと触って確かめ始めた。どこかに甘味がないかと思っての行動だろうが、探すまでもなくカルナの装備に菓子を隠せそうな箇所などない。
 律儀に肩のファーのようなものにまでひとしきり手を突っ込んで、最後にカルナはまた頷いた。広げられた両手は案の定空っぽで、相変わらず静かな湖水の瞳でじいっとジークフリートを見つめている。
 トリック・オア・トリート。お菓子をくれなきゃイタズラするぞ。
 エリザベートの煮えて沸騰した入れ知恵はともかく、お菓子を持っていないのならば悪戯をするべき、なのだろうか。
 しかしジークフリートは怪音波に操られるまま理性を失ってこの言葉を吐き出してしまったので、イタズラと言われても、いや言われたのはカルナなのだが、とにかく困る。何をすれば悪戯になるのかもわからないし、そもそもカルナにそんなことをする気はない。
 自分から投げかけておきながら何をするでもなく悶々とする。
 そんなジークフリートに呆れるでもなく、カルナは少しばかり顎を引いて招くような仕草を見せた。誘われるまま広げられたままの腕の中へ身を寄せれば、カルナはすっと首を傾けて。
 ちゅ。
「……カルナ?」
 ちいさなちいさな音と同時、唇に微かな感触。
 目を丸くするジークフリートを見つめながら、カルナは寄せていた顔をすっと引いた。
「これで甘いものになるだろうか」
 意味を理解して。
 ぶわわっと、頬どころか耳や首や胸元、果ては感覚の鈍い角の先にまで、一気に熱が駆け上がった。
 きっとカルナの神の瞳には滑稽なほど赤くなった男が映っているに違いない。
 だって、だって仕方がないだろう。
 カルナが、あのカルナが、自分からジークフリートに口づけてくるなんて。それだけでも驚喜するべき事態なのに、甘味がないのなら代わりに、などという洒落を効かせてくるなんて。ジークフリートが堪えきれずカルナを求め、カルナは求められるまま応える、それが常の姿なのに。
 一体、今日はどうしたというのだろう。ふつふつと煮えるエリザベートの言葉が蘇る。
 ――恋人たちの甘い時間、ちょっとしたスパイスに!
 なるほど、竜嬢の言うとおりだったのだ。
 ただの甘味以上の、至福を得た。こくこくと言葉も失って頷けば、カルナもこくりと頷いた。ジークフリートは怪音波に毒されたなどと考えていた自分を深く恥じ、ただエリザベートの横暴に感謝した。
 しかしそれも、一瞬のことである。
「では」
 カルナが広げたままの、相も変わらず空の手のひらをすっと差し出す。湖面の瞳に翡翠を揺らして、虚偽を許さぬ双眸でジークフリートを見つめる。
 どうしたのかと訝る間はなかった。
「トリックオアトリート」
 何の抑揚もない、平坦な声である。
 つまりどうしようもなく、カルナが発した言葉だった。あのカルナが、言ってしまえば俗事に身を委ねるなど。きっと傍目から見れば意外で、そして愛らしく見えるのだろう。
 そう、菓子か悪戯かと、真正面から迫られている身でなければ。
「カ……カルナ?」
「どうした、最初に要求したのはお前だろう。オレにも同様の娯楽に興じる権利はあると思うが」
 神の瞳を持たずともわかる。
 カルナは本気だ。全く娯楽に興じてなどいなさそうな声で、本気で甘味か悪戯かと、しかも恐らくジークフリートが甘味を持っていないことを承知の上で問うている。本気というのはつまり、エリザベートの黄色いオトナなハロウィンの提案とは異なり、戦場の緊張感にも等しい。そしてジークフリートが甘味を持たない以上、二択であって結末はひとつしかない。
 ここでカルナと同じ答えを返せるほどジークフリートは器用な人間ではなかった。口ごもりながら答える。
「確かに、それはそうなんだが」
「そうだろう。では、改めて問うが――トリック、オア、トリート?」
 わずかに首を傾ける仕草はかわいらしい。それはもう、悪魔的なまでに。
 装備を手繰ることもなく、ジークフリートは項垂れて空の両手を持ち上げた。何も持っていない、つまり降伏のポーズである。
「すまない。菓子はない」
「そうか」
 器のかたちで差し出していた手を、カルナはゆっくりと開く。すっと差し出して、ジークフリートの胸板を優しく押した。有無を言わさぬ優しさだった。
「ならば悪戯だな」
 ぐらりと傾いだ上体が、背中から倒れ込んでゆく。背後の白い自動扉が開いて、真っ暗な空き部屋へとジークフリートは吸い込まれていった。未だ尾に結わえられていたカボチャランタンが床を叩いて、蝋燭の火も闇に呑まれてゆく。
 廊下の白々しい照明の中、逆光になったカルナの唇が薄く弓なりにしなっている。その白皙もジークフリートを追って部屋の中に滑り込み、閉ざされた自動扉の内側に少しばかり早い夜の時間が訪れる。

 水音が響いている。
 ちゅ、ちゅくと鳴る音は耳を澄まさなければ聞こえないような微かな音だ。しかしその、ほんのさやかな音は、ジークフリートの気を狂わせ、竜の心臓を動悸のあまり弾けさせんばかりに猛威を振るう。
 上方を仰ぎ、浅く呼吸を繰り返す。背を壁に預けていたせいで顕現したままの角がぶつかり、鈍い衝撃が頭蓋に響いたが、最早それどころではない。暴れ渦巻く熱を窘めるための仕草だったのに反って露わになった喉仏にちゅうと艶やかな水音が、やわらかくぬくい感触が触れて更に煽られる。
 それが想い人の唇だと、意識してしまえば繋ぎ留めた理性がどうなるかわからない。これ以上はやめて欲しくて、震える吐息の合間に名を呼ぶ。
「カル、ナ」
 吸って、ちろりと舐めて。甘く喉元に歯を立てて。慰撫するようにまた唇で触れて。
 ジークフリートの喘ぎも聞かず、軽やかな口づけと水音は首の太い血管を辿り、鎖骨を掠め、大きく開いた胸元の燐光を放つ紋章を辿る。見下ろせばしろがねの髪が揺れて、ゆっくりとジークフリートを見上げてくる。
 上目にジークフリートを窺う瞳に、床に落ちても失われなかった橙色の火が反射して妖しく揺らめいた。白い面に落ちた陰影の中ひかる瞳にぞくりと総毛立つ感覚が這い上がる。カルナに乗りかかられた下肢が疼くのが自分でもわかった。
「悪戯だと言っただろう」
 カルナはやはり淡々とした口調だった。
 悪戯なんて茶目っ気のある響きとは酷く遠い。ジークフリートを空き部屋に追い込んで、寝台に押し倒して。慌てて身を起こそうとすれば乗り上げ下肢の動きを封じ、言葉もなくあちこちに唇を落とし始めた男の台詞だとは思えないほどに淡々としていた。
 白い、今はランタンの灯りで橙に照らされたかんばせにも表情らしい表情はない。眉一つ動かすことなく、ともすれば硬質な一挙手で、けれど羽で撫でるようにそうっと、唇でジークフリートの竜の紋章をなぞってゆく。
「んっ」
 薄く濡れるカルナの唾液から魔力が流れて、翡翠の燐光に甘く熱を植えつける。ちりりとしたそれは痛みよりもむず痒さを生んで、思わず声が漏れた。壁に押しつけられた尾が、翼が、微細に震えるのを止められない。
 微かに身悶えるジークフリートなど意に介することなく、カルナの唇は紋章から腹の正中のみぞへ。臍のくぼみは舌の腹でぞろりと舐め上げて、それからこじるように舌先で突いてくる。
「カルナ、これ、っ以上は」
 肩当てや籠手といった金属類はカルナに乗りかかられた際に慌てて霊子に解いたが、それでも硬い装備に鎧われた腰が浮く。解放を求めて痛みすら兆し始めた浅ましい熱を乗り上げるカルナに知られたくなくて、ジークフリートは腹の上の白い頭を押し返した。
 存外とあっさりカルナは引いていった。腹から顔を上げて、すうっと薄い背筋を伸び上がらせる。自由になった唇はジークフリートの口の端に落ちて甘やかな水音を弾けさせた。代わりに太陽の熱を孕む手のひらがぺとりと濡れた腹に押し当てられる。夜の不健全に不釣り合いなその温度にジークフリートのうちがわの雄が疼いた。
 顔を上げはしたものの、懇願にも等しい制止を聞き入れるつもりはないらしい。カルナは広げた手のひらを更に下へと滑らせた。
 ジークフリートの欲望を確かめるように、焦らすようにゆっくりと、衣服の上から撫で上げる。堪らずジークフリートは片腕で目元を覆った。
「はっ……」
「熱いな」
 なんてことのないように呟くのは、装備越しにも猛りが伝わっているという証左だ。
 知られたくなかったのに。カルナにはどう取り繕うとお見通しなのだろうが、それでも男の矜持のようなものだ。
 ジークフリートの悔恨などつゆ知らず、カルナは組み敷いた男の欲望を許し、あまつさえ育て上げてゆく。すりすりと撫で上げ、やわく揉み込み、手慰みに指先でかりかりと引っ掻いて。直接触られているわけではないが、厚い装備越しだからこそもどかしく、余計に昂ぶる。浅ましく腰が揺れるのを止められない。悪竜の尾など露骨に焦がれてうねっている。
 衣服に押し込められたそれが無視できない痛みで苛み始める頃になってようやく、カルナは曰く悪戯の手を緩めた。思わずほっと息を吐くがわずかばかりの安堵も束の間、離れてゆくかと思われた指先はカチャカチャと微かな金属音を生み始める。
 嫌な予感に慌てて顔を向ければ、カルナの白いつむりはジークフリートの下肢を覗き込む位置にあった。そして指先は案の定、ジークフリートのベルトのバックルにかかっている。全体的に複雑な装備ながらそこだけは存外に平易な構造をしていることをジークフリートは初めて後悔した。
「カルナ、やめっ……う!」
「あ」
 あっさりと帯革を解かれ、押さえつけられていた肉欲がカルナの手によって取り出される。熱く反り返ったそれは先走りの雫を散らしながら、狙い澄ましたようにびたりとカルナの頬を打った。
 表情らしい表情のなかったカルナが初めて、ほんのわずか目を見開く。ぬるりと濡れた頬を指先で辿り、ランタンの灯に水気の纏わる指をかざしてまじまじと見つめている。あまりのいたたまれなさにジークフリートは目眩を覚えた。叶うのならばマスターの元へ駆け込み、令呪を以て自害を命じて欲しい。
 自己嫌悪で視界すらおぼつかない中、カルナは汚れた指先をぺろりと舐め上げた。あまりのことに言葉すら失ったジークフリートを見上げ、目を細めた、ように見えた。
 何せ次の瞬間にはジークフリートの股間に顔を埋め、自分の頬を打った肉を口内に招き入れていたので確かめようもない。
 などと妙に冷静に考える思考の横っ面を、圧倒的な快感が殴ってくる。
「うぁ、カ、ルナ、カルナ!」
「はぁんは?」
 上目遣いでの返答はジークフリートの雄を咥えながらのためくぐもっている。先端をくるりと舐め回して口から離す。ジークフリートの猛った肉棒を舐め上げる仕草とカルナの舌の赤さが目に毒で、いっそ卒倒してしまいたい。状況と、通い始めた魔力と、そしてどうしようもない性感が思考をどろどろに溶かしてゆく。
 かたちを失って、何かとんでもないことをしてしまう前に。辛うじて踏み止まって、ジークフリートは悲鳴を絞り出す。
「~~~~こ、んな、ことっ! 貴方はしなくてもいい!」
 ぷあ、と、幼ささえ感じる吐息を漏らしてカルナは顔を上げた。
 赤い舌と赤黒い肉の先端をつうっと垂れる粘りが結ぶ様を極力視界に入れないよう心を砕きながら、ジークフリートはカルナを見つめた。
 じいっと、全てを見透かす瞳が応える。静謐に清廉に佇むその眸子には、やはり熾火がちらついていた。しばし見つめ合って、乱れていたジークフリートの呼吸が治まるほどの時間をおいてようやく、カルナは心底不思議そうに口を開いた。
「悪戯だと言っただろう」
「だが、こんな……」
「それに」
 相変わらず繰り返される言葉に反駁すれば、今度は続きがあった。
「お前が望んでいる。だからしている」
 すうっと。
 腹の底が冷えていく。
 始めから、カルナはそうだったのだ。恐らく。
 ジークフリートがエリザベートに唆されるがままに使い古された文句を口にしてしまったときから、いいやその前、言い淀むジークフリートを促したときからわかっていたに違いない。ジークフリート自身も気づいていなかった底の底の欲望を、見つけて、浚って、望むならと与えた。
 それは恐らく、カルナ自身の意思によるものではないのだ。
 ――あまーいコイビトの時間か、それともオトナのイタズラか?
 成程、さすがはエリザベート・バートリーだ。蠱惑的な竜の娘の歌声は呪いのようにジークフリートの深層を犯していたと見える。無論彼女のせいだというわけではなく、竜の声に暴かれる程度の卑俗な願望を抱えていたジークフリートの失態なのだが。
 黙り込んだジークフリートの思考は見えていないのだろうか。カルナはまたジークフリートの下肢に顔を埋めて、赤い舌を差し出していた。
 その赤が触れる前に、ジークフリートは手を差し伸べる。甘露めいた施しを与えるカルナの肩を前屈みになりながらやわく、しかし確固たる拒絶を以て押し返した。
「ジークフリート?」
「貴方が、」
 己の影の中でじっと、瞬きもせずにまっすぐに見上げてくる想い人。
 彼と違って、自分は嘘偽りを見抜く目など持っていない。この口数も表情も乏しい人が胸のうちで何を考えているかなんて、きっと全てはわからない。
 それでも、
「貴方がしたいと思ってもいないことを、俺が望んでいるからといってして欲しくは、ない」
 ジークフリートはそう思う。
 例え望まれたものを施すことがカルナの在り方だとしても。彼の生き様に口を挟むような傲慢だとわかってはいるが、自分に対して施すことはして欲しくないのだ。
 カルナの望むことをして欲しい。カルナが望まないのならして欲しくない。叶うのならばカルナから望んで、して欲しい。
 でないときっと、どんなに濃い触れ合いも一方通行で空しい。
 ジークフリートは自分たちのことを、エリザベートが囃し立てたような甘やかな関係ではないと思っている。それでもこうして全てをさらけ出して、身体を許し合っている。だから対等でいたい。
「ジークフリート……」
 しばし無言で見つめ合って、やっとカルナは口を開いた。
 吸い込まれそうな瞳をジークフリートから、ちらりと、先ほどまで愛撫していた下肢と向ける。すり、と未だに萎えない欲望を一度撫で上げた。
「きつそうだが」
「ああ、きつい」
 実際苦しい。ほんの一度やわく撫でられただけで、腰と尾がびくりと跳ね上がるのを止められない。
 今だっていっぱいいっぱいだ。このままカルナの滑らかな手のひらに、いや薄く開いた唇に、この浅ましい欲を押しつけて、捩じ込んで、温かい口の中で擦って、奥まで突いて、燻り猛る熱をすべてぶちまけてしまいたい。彼の臓腑の底まで自分の子種を流し込みたい。この薄い腹を自分の欲望で満たしてしまいたい。彼が与えてくれるというのならそれに甘えて、犯してしまいたい。
 それでも。
「それでも、貴方が望まないのであれば。させたくない」
 浅ましい熱に耐えながら絞り出した声はどう聞こえただろうか。
 カルナは一度、考え込むように目を伏せた。じっと口を閉ざして待てば、程なくして薄氷色の瞳がジークフリートを捉える。そこには微かな炎の色が宿り、カルナのことばに合わせて微かに揺れていた。
「お前を言い訳にしていた、と思う」
「……と、いうと」
 自問自答の響きに似ていた。決して得意ではない、足りないと言われる言葉を、カルナはゆっくりと探して拾い上げていく。
 ジークフリートは少しずつ紡がれていくカルナの意思をじっと待つ。
「お前がして欲しいと思っているから、ではない。お前が望むことをしたい気持ちも確かにあるが、オレがお前に、これを」
「っ」
 剥き出しの先端に、やわらかくカルナの唇が触れた。不意打ちに眉を顰めて耐える。
「したい、と、思う。お前を喜ばせて、気持ちよくなって欲しい」
 ちゅっと音を鳴らして、唇だけを触れさせたまま。
 そう言って上目遣いにジークフリートを窺う。どうだ、とでも言わんばかりに。
 カルナは不器用だ。自分も大概器用ではないし、それが原因で人生の選択を誤ったような過去もあるが、全ての虚偽を見抜き相手の望まざる真実まで詳らかにしてしまうカルナは己の上をゆくだろう。望むものは与えるという施しの生き方がまた拍車をかけている。
 戦士として戦場と好敵手を求める他に我欲らしい我欲がない。したいからする、たったそれだけのことが、主体が自分になるだけで途端に難行に転じる。そんな不器用な彼は閨での睦み合いすら四角四面に捉えてしまうのだろう。
 ふっと。思わず微笑が漏れた。
 不思議そうにわずかばかり首を傾げるカルナに向かって、ジークフリートは手を差し伸べる。先ほど押し返してしまった肩を撫で、細い首筋を辿り、頬のなめらかな輪郭を指先で確かめる。そのまま両手で両頬を包んで上向かせ、濡れて薄く開いたカルナの唇にそっと己の唇を合わせた。
 苦しい体勢だが、苦しくない。きもちいい。先ほどまでこの唇がジークフリート自身を咥えていたことも気にならないほどに。舌先でなぞってみればただ甘く、カルナの味がする。
 カルナも、同じだろうか。気持ちよくなっているだろうか。唇は薄く開かれたまま何を応えるでもなく、口づけた瞬間に目を閉じてしまったから何も見えない。
 それでも、拒まれなかった。微かに耳に届く、鼻から抜けるカルナの吐息は陶然としていた。
 それだけで十分だ。
 あむ、とやわくカルナの下唇に歯を立てて、離す。
 カルナは目を細め、ほうと息を吐いていた。ジークフリートの唾液でうっすらと濡れた唇は橙の光の中つやりとして喘いでいる。
 こうやって、とろかしてやりたい。角張ったカルナに優しく触れて、角を取って、まあるいものに変えてやりたい。最後はドロドロになって、ひとつになってみたい。
 限界まで身体を丸めて、カルナの額に己のそれをこつりと合わせた。ふるりと、翼が付け根から震える。
「俺も同じだ。カルナを喜ばせたいし、気持ちよくさせたい」
「……そうか」
 すり、とカルナから額を合わせてくる。閨には不似合いな日だまりの温度が伝わってきて心地いい。
 まるで英雄にはほど遠いいとけない稚児の恋のようでくすぐったく、だからこそいとおしくて堪らない。
 カルナも同じように思ってくれているだろうか。続く声の響きがどこかあどけないことが答えであればいい。
「同じか」
「ああ。……好ましい、と思っている者同士であれば、ごく自然なことだと思う」
 エリザベートの口にしたような言葉で自分たちの関係を呼ぶのは躊躇われる。
 けれどこれで、伝わったと思う。
 ゆっくりと、名残を惜しむように指先で頬を辿って手を離す。額を遠ざける。
 カルナは静かにジークフリートを見上げている。全てを見抜いてしまう瞳は何かを暴くこともなく、ただ注がれるものを受け止めようとしている。
 ジークフリートにはそう見えたから、言いたいことを最後まで口にできた。
「だから、カルナが望むことをしてくれていい。俺がどう、とかではなく。俺はそれを受け入れたいと思うし、どうしても受け入れられないことは無理だと答えるから」
「……了解した」
 堅苦しい言葉はしかし、今までよりもずっとやわらかい響きを帯びている。
 伝わったことに安堵する。想い合う二人として当然の最初のラインに、ようやく二人で立った気がした。
 お互い不器用で、でも不器用なりに相手を想っているから。だからきっと、こんな些細なすれ違いがいくら起こったとしても。ひとつひとつを解いて、お互いを理解していけると思う。
 そういうのをたぶん、幸せと呼ぶのだろう。
 尾がゆったりとうねる。身体で与え合うものとは違う、心が通じ合う快感にたゆたう。
「ならばお前も」
 その優しい波にそっと乗る声だったから、ジークフリートはほんの一瞬、意味を理解しかねた。
「お前も。望むことをすればいい」
 ひたりと尾が動きを止める。
 尖った先端を白い指が捉えて、あやすように鱗をくすぐる。
 割り開かれたままのジークフリートの足の間で、カルナはじっと応えを待っていた。
 ちかちかと、水底の瞳に沈めた火が瞬いている。宿る感情は恐らく、慈愛と呼んで差し支えない。
 なのに試すような、期待するような色が混ざっていて、それから、そう、この部屋で薄闇に二人で閉ざされてからずっと燃えている、あのちいさな火が、
「そ、れは」
 揺らめいて誘ってくる。
「同じ、だろう?」
 ジークフリートがカルナに何を望んでいるのか。カルナはこの瞳で正しく読み取ってしまう。
 だから気づいているはずなのだ。今もまだ抱いている、カルナのうっすらと弓張月を乗せる唇に己の欲望を捩込んで、孕ませるほど精を注ぎたいという、穏やかなジークフリートの心の裏側の、悪竜めいた望みに。
 認めよう、この浅ましい望みを。然れど想い人にぶつけていい望みではないはずだ。カルナを甘やかしてとろかしてしまいたい願望とは真逆の、ただの蹂躙と相違ない。
 なのにカルナは、揺れる感情を後押ししてくる。ジークフリートの裏側の隠しておきたい昏いところへ。
「お前がオレにしたいと思うことをしてくれればいい。……安心しろ、何もかもを受け入れるつもりはない。無理ならば拒絶する」
 先ほどジークフリートがカルナに望んだ言葉そのままだ。
 全てを与える施しではなく、ただ好ましいゆいいつの相手への許容として。こんな浅ましい、理性なきけだもののような望みさえも受け入れると。
 確かな微笑が浮かんでいた。やわく弧を描く唇でジークフリートの尾に触れて、カルナは上目で言い放った。
「だが、少なくとも今のお前が望んでいることは、オレにとって拒絶に値しない」
 ああ、カルナの瞳でずっと揺れていたあの熾火は。
 ジークフリートはきゅっと眉間にしわを寄せながら目を伏せる。奥歯も噛みしめて耐える。何に耐えたのか、よくわからないけれど叫び出したいような衝動が腹の底から、尾の付け根から這い上がってくる。
 ランタンの灯火に紛れていた、カルナの薄氷色の瞳とは相反する炎。戦場で彼が纏うものに似ている。
 目を開けば、その炎は静かに、密やかに、ただジークフリートを嘗め取ろうとしていた。声にならない感嘆の吐息が漏れる。
 これは、カルナの情欲の炎だ。
 するりと、未だにカルナの唇が触れたままの尾先を、意思を以て取り戻す。ここに入りたいと薄い唇をなぞって、ここで飲み下して欲しいと喉元をくすぐる。感覚の鈍い尾に、それでもすべらかなカルナの皮膚の感触が伝わってくる。尾が、翼が震える。喉が鳴る。
「俺のものを、咥えて欲しい」
 先刻後ろめたさすら感じて拒絶した行為を望む。口にする。躊躇いはもうなかった。
 カルナがほんの、ほんの少しだけ。うれしそうな表情を浮かべて頷いたので。

 身体なら今まで幾度か重ねてきた。
 それでもカルナからこんなかたちで触れられたことはなかったと記憶している。ジークフリートから触れたことはあっても逆はなかった。
 つまりカルナに口淫を施されるのは初めてなわけだが、率直に言って上手くはない。そんな施しにまで長けていても焦るから、そこはさして問題ではない。
 問題があるとすればジークフリートの方だ。
 カルナの辿々しい舌使いだとか、鼻から抜ける甘く苦しげな吐息だとか、己の肉をうちがわで擦って膨らむ、あるいは吸いついて窄まる頬だとか。そういうものに興奮して仕方がない。なのに決定打がなく、達するまでには至らない。とろ火のような快感がジークフリートを攻め立てる。
 だから余計に、欲しくなる。
「っふ、んぁ……は、む」
 一度大きく息を吸い込む、瞬間にカルナはジークフリートを見上げる。口いっぱいに育った肉を赤い口内であやして、薄い舌で舐め上げる。唾液とジークフリートの先走りの混じった液体で口元を汚し、淫靡な雫を滴らせている。時折ちゅ、じゅると水音を響かせて、口内に溜まった粘性の高いそれを啜り飲み下していた。
 カルナの仕草のひとつひとつに合わせて腰が跳ね上がり、尾が痙攣する。やわく拙い刺激に、ジークフリートの昏い部分が更なる快感を求めてやまない。
 もっと奥の、きつくて熱い部分に雄を潜り込ませたい。吐精に至れるほどの強烈な快楽が欲しい。激しく突いて、苦しそうに愁眉を顰めるカルナの中に出したい。白く濁った欲望で高潔なカルナを汚してしまいたい。
 唾を飲む。尾が戸惑いにあわせて揺れる。
 これはきっと口に出すべきではない自分勝手な欲望だ。
 だが、カルナは自分に対して望むことをしろと言った。してもいい、して欲しいと。
 お互いに同じだからと。
 それでも後ろ暗い我欲に身を任せられるほどジークフリートは理性を手放していない。身勝手が先に立つ前に、おずおずと手を伸ばしてカルナの白銀のつむりに触れる。
「その……揺さぶって、も? っうあ」
 問うた瞬間、甘く歯を立てられた。
 嫌だったのかと眉を顰めながら見下ろせば、幾分鋭い眼光に迎え撃たれた。腰を引こうとすると更に吸いつかれる。出せ、と言わんばかりの所作にジークフリートはうろうろと尾を彷徨わせるばかりになって、ゆくも戻るもできやしない。結局、ぱたりと力なくシーツの上に落ちた。
 ぷは、と息を吐いて口からジークフリートの雄を吐き出す。解放の瞬間随分と反り返った肉がカルナの薄い唇の端に引っかかって艶めいた声が上がった。唇から顎の先まで垂れ落ちるぬめりを手の甲で拭いながら低く呟いてくる。
「いちいち訊かなくても、いい」
 吊り上がったまなじりの端が薄暗がりにも鮮やかな朱に染まっている。
 その様を見て、どことなく怒っているのではと、でなければひょっとすると照れ隠しなのではないかとようやく思い至った。
 確かに、いちいち訊ねるなど無粋だ。閨ごとで行為の一つ一つに確認を取る男など誰だって願い下げだろう。本当に空気の読めない男で申し訳ない。
 ジークフリートの反省を見て取ったのかカルナは何も言わず口を開き、また熱い口内に肉竿を招き入れる。先端のつるりとした部分をちゅうと吸う姿はしょぼくれるジークフリートを宥めるようにも見えて、落ち込みかけた心が奮い立った。尤も、ジークフリート自身や身勝手な欲はひとつも萎えていないのだが。
 これぐらいは許されるだろうか。少しばかり湿って柔らかい銀の髪を一度撫でる。
 これから先、ジークフリートの振るう暴虐を受け入れる彼を労るように。
「……本当に嫌なら拒んでくれ」
 ちらりと見上げてくる薄氷の瞳に、情欲が揺らめいた。
 これを是と捉え、ジークフリートは撫で触れたばかりの手でカルナの前髪を掴む。
 相変わらずジークフリートは壁に背を預け、寝台に足を投げ出している状況である。カルナはジークフリートの身動きを封じて投げ出した足の間に膝を突き、雄を食んでいる。この体勢で自ら腰を動かすのはいささか苦しく、然るにカルナに動いて貰う方が都合がいい。
 猛った雄を咥えたまま自然顎を反らす格好になったカルナを、更に苛んで額ごと後ろに押す。
「ンッ」
 唇からこぼれそうになる肉を健気に追いかけ食む姿を追い立てるように、強引に手前に引いた。
「ふッ……んぐ!」
 ぷつ、ぷつり、と髪の幾筋かが抜ける感触。
 ぞぞ、と竜の翼にさざ波が奔る。
 熱を上げてゆく快感に、わずかばかり苦しそうに寄せられたカルナの眉間。昏い悦びがジークフリートを突き動かす。
 それでも始めは恐る恐る。押して、引き寄せて。少しずつ深くまで入り込んでいく。温かい喉の奥を犯していく。すっと通ったカルナの鼻梁がジークフリートの下生えに埋められ、目尻が更に赤く染まり、愁眉がきゅっと寄せられてくぐもった苦鳴が漏れるまで揺さぶる。やわらかい喉の奥の肉がジークフリートの欲望をきつく締め上げるまで貫く。
 カルナはそれでも拒む様子を見せなかった。鼻や唇の隙間からふうふうと荒い息を漏らしながらも、徐々に激しくなってゆく揺さぶりに随い零れそうなジークフリートの雄を何とか口の中に収め続けている。やがて、幾度も揺さぶられるうちに易い手管を見つけたものか、少しずつ自ら頭を動かし始めた。
「ふっ、ぅ、ん」
「……カルナ」
 応えはない。ジークフリートがごくりと生唾を飲み下す音も、媚態に思わず名を呼ぶ声も聞こえてはいないのだろうか。頭を上下に揺さぶって、ジークフリート自身を口いっぱいに頬張って、苦しげに顔を歪めながら。
 なのに。高潔で静かな薄氷の瞳を情欲の炎に溶かして、とろとろと蜜のように甘い毒を滴らせている。
 好んで直視したくなどないだろうに、ジークフリートの昂ぶった雄の象徴をその瞳で見つめて、自ら陰毛に鼻先を埋めている。薄い唇で張り詰めた肉を扱いて、白い頬を窄めて先走りを啜り、緩めた口内では熱い舌を亀頭に、幹に絡ませる。ジークフリートの内腿を押さえる手をそっと伸ばして、垂れ下がる双球をくすぐる。
 ジークフリートの手は最早カルナの額に添えられているのみで、揺さぶってはいない。これらの淫行は全てカルナが自らジークフリートに与えているものだ。
 つと、カルナが視線を上向けた。今更名を呼ぶ声が聞こえたわけではないだろう。
 唇と舌の隙間から垣間見えるジークフリート自身は血管を浮かび上がらせて膨れ上がっている。カルナは、どことなくうれしそうに、目元を細めた。
 溶けた瞳にはジークフリートだけが映っている。赤い目の縁は濡れていて、カルナ自身の喜悦を浮かべている。
 四つん這いの腰を揺らしながら、カルナはそっと目を伏せた。すう、と鼻で息を吸い込んで、また上下に頭を揺らし始める。
「ん、ん、ふうぅ、む」
「カ、ルナ。カルナ、カルナっ」
「んく、ぅ、ふ、んっ、ふ、あっ?」
 堪らず名前を呼んだ。びくん、とカルナの身体が跳ねた。
 ぱちぱち目を瞬かせて、後ろを振り向こうとする。それを許さず、一層自身を喉奥まで飲み込むように押さえつけた。右手がカルナを制する一方で、ジークフリートの本能を如実に現す尾がうねる。先端をカルナの揺れる腰に伸ばし、かつんと黄金色の鎧を叩いた。
「あっ」
 ぱきん、と澄んだ音を立てて、呆気なく砕ける。
 ジークフリートは目を細めた。本来この程度の衝撃で破壊できるものではない。ということは、これはカルナの意思で解かれたものだ。砕けた鎧の先、露わになった黒い装束を尾先で引っ掻けば、こちらもぴりぴりと細い音を立てて裂けてゆく。
 白い肌が裂け目から覗いた瞬間、他の部位の装備も霊子に融けていった。まだるっこしいと思いでもしたのか、あるいは開き直ったのか。少し惜しいと思うと同時、安堵する。砕き、破り、引き裂く、蹂躙を望む自分をその喪失に。
 ともあれ残ったのは全裸に剥かれたカルナの肢体だけだ。ジークフリートは尾先をカルナの腰に伸ばす。
「ぁ、あっ……んく……」
 白く薄い尻に、黒褐色の竜の尾が這う。ふる、とカルナはちいさく身体を震わせた。硬いざらついた感触に何が起こっているのかを悟ったのだろう。
 それでも尚、拒絶はない。陶然として濡れた瞳を細めて、細く長く鼻から息を吐いている。内腿に触れる手が縋りつくようにそっと揺れて、ジークフリートは尾先でカルナの身体の弛緩を悟った。
 受け入れるつもりなのか。こんな醜悪で横暴な行為すら。
 赦されるまま、なだらかな曲線を滑らせ、あわいを尾先でくすぐる。ふ、ふ、と小刻みな呼吸音が聞こえる。辿り着いた先では、慎ましやかなカルナの蕾が綻びを待っていた。
 呼吸に合わせてひくつく様は貞淑とは遠い。受け入れる悦びを知り、香り立つような淫靡を撒いている。ジークフリートによって既に幾度も開かれている身体はこの先の快感を期待しているが、生憎と今から触れるものはカルナの身体が知っているものではない。
 誘われるまま、後孔にそっと尾の先端を触れさせる。鱗の感触に戦く身体と、それでも吸いつこうと未だに閉じた花弁を揺らす蕾と。
 腹の下で響くカルナの呼吸が荒くなる。これから何が起こるか知っている精神と、ただ期待するだけの肉体の乖離に混乱しているのだと容易に知れた。
 ジークフリートは口角を上げた。
 悪逆の笑みを浮かべたまま、尾をそうっと引き、そして開花を待つ蕾を一気に貫いた。
「ふぅううううう!?
 カルナが目を剥く。ぎゅっと身を強ばらせる。
 内腿に触れた手は爪を立て、微かな痕を残す。尚もジークフリートの雄は咥えたままで、しかし衝撃に耐えかねたのかきちりと歯を立てられた。先端を潜り込ませた尾もまだ固い肉にきつく締め付けられる。
「――ッつ、ぁ!」
 ジークフリートも堪らず精を放った。とけた瞳が丸く見開かれ、ほろりと雫を落とす。
 カルナは頬を歪ませ、それでも口内に溢れるジークフリートの精液を飲み下そうと舌を動かした。ぎゅぽ、と空気を含んだ音を漏らしながら、未だに萎えない肉と種を舌で巻き込んで喉奥に送り込む。その舌の動きにジークフリートが思わず腰を揺すればまたきゅっと眉根を寄せる。赤くなった唇の端から、たらりと白い粘りが垂れていた。
 きつく苛む肉のうちがわから尾を引き抜く。びくんと跳ねる尻を宥めるようにひと撫でして、カルナの唇に寄せた。きゅっと肉棒を締めて子種を口内に溜める健気な唇を擽り、薄く開かせる。
「ぉ、あ……」
 ふる、とカルナの唇を捲り上げながら猛り止まない雄を引き抜いた。たり、と零れる雫を尾で拭い取る。黒い鱗が自身の白濁で汚れる様に苦笑した。
 ジークフリートの様子にも気づかず、カルナは口内に残った子種を飲む込もうとしていた。俯く顎を汚れた尾であやし、上向かせる。
「……くちを」
「んふっ、む……ぷ、あ」
 つんと尾先で突けば、躊躇いがちにカルナは唇を開いた。赤い口の中、舌の上に、ジークフリートの放った子種がぽったりと溜まっている。
 薄暗い橙の灯りにも赤と白の淫猥が鮮明で、ジークフリートは吐精したばかりだというのに腰に熱い疼きを覚えた。
 親鳥からの施しを待つように口を開くカルナをこのまま押し倒して、尾ではなく自分の熱く漲る陰茎で貫いてしまいたい。
 ぞわぞわと本能に震える尾を宥め、カルナの口内の白濁を浚う。口の端を汚す分を指で拭ってやれば、カルナは安堵した様子で目を細めた。代わりに厚くぬめりを纏った尾を苛んだばかりの後孔に伸ばし、つんと突けばまたカルナの腰が跳ねた。
 それでも、幾度か触れて離れてを繰り返せば徐々に身体が弛緩してゆく。触れた瞬間、欲を知った蕾がちゅうと吸いついてくる頃を待ってジークフリートはカルナの唇と己のそれを合わせた。
 己の青臭い精の味は薄く、ただカルナの甘露の味がする。舌を差し込んでカルナの舌を、口蓋を、歯の裏側を頬の内側をこそぐように舐め取ってゆく。
 くたりと身体を預けてくるカルナがほんのわずか眉を顰める。ようやく気づき、ジークフリートは未だに身に纏っていた装備を全て霊子に解いた。重なる体温が心地よく、カルナもゆっくりと安堵の息を漏らした。
 いじらしい身体をぎゅっと抱き締め、ゆるんでほころぶ蕾にそうっと尾先を潜り込ませる。
「ふっ」
 一瞬、抱いた身体が強ばる。しかしそれだけで、硬い鱗によろわれた尾をカルナはじっと受け入れた。
 きゅっと、形の良いカルナの眉が寄っている。背骨のひとつひとつを指先で数え、微細に震える身体をあやす。ゆっくりと鼻から息を吐き、ジークフリートの指と舌の愛撫を受け入れて、カルナは己の身体を解いてゆく。赦されるままにジークフリートは尾を進める。
 二股に分かれた部分まで潜り込ませたところで侵入をやめ、ゆさゆさとちいさく揺する。ぬめりを纏ったこともあって抵抗は少なく、カルナのうちがわは少しずつ緩み、ほころんで、甘く尾を食んできた。にゅる、と滑る感触を、襞がちゅくちゅくと絡まる感覚を、鈍い尾が感じるほどに。
 少しだけ引き抜いて、尾の分かれ目をくっと開いた。少しだけ固い抵抗が伝わるが、カルナの慎ましやかな蕾は懸命に応え、くぱりと開いてゆく。ぴく、と強くカルナが震えた。
 ちいさくつむりを横に振り、ジークフリートの囲いから顔を上げる。水面に顔を出して息を継ぐ仕草に似ていた。しかしそのわずかな空白すら惜しく、喘ぐ唇を追いかけて合わせる。
「ぁむ、んっ……ジーク、フリート」
「……ん」
 むずがるように振り払われて、仕方なく唇を離した。見下ろせば頬を赤く染めたカルナの姿があった。
 カルナは熱にとけた視線をちらりと下肢に向ける。する、とジークフリートの鎖骨から竜の紋章を辿り、腹筋の隆起を浚って臍の下まで指先を滑らせる。行き着いた先、熱く反り返るジークフリートの雄を、そっと撫で上げた。
「尾より、お前の……で、」
 そう囁いて、ちら、と上目に見つめる。
 のは、反則、だろう。
「カルナ……!」
「ンっ!」
 両腕で掻き抱いた姿勢のまま押し倒す。興奮に竜の翼が音を立てて広がり、歓喜した尾がうねって踊る。勢い、にゅるんっとカルナのなかから尾がまろび抜けた。敏感にとろけた部分を擦られたかたちになって、シーツに縫い止めた薄い身体が跳ねる。
 カルナの白い身体は薄暗がりにも鮮やかに赤く染まっていた。ジークフリートの視線を避けるように逸らされた目尻には薄く涙の痕があり、吸い過ぎてすこしばかりぽったりと重くなった唇は互いの唾液に濡れている。筋の浮いた首には伝い落ちたジークフリートの精が痕になってこびりついていた。胸の輝石はゆらゆらと艶めかしく輝き、肌にうっすらと刷かれた汗に映えている。
 ごくりと、思わず喉が鳴る。
 下肢ではうすい銀色の下生えがしっとりと湿り、肌に貼り付いている。その下では赤く張り詰めたカルナの芯がたち上がり、雫を結んでいた。
 無理強いに近い口淫と、身勝手な竜の愛撫と、貪るばかりの口づけで、それでもカルナは感じてくれていたのだ。いとおしさが胸を突く。
 なのに。はかなくすら見える人に、優しくすることができない。
 匂い立つような肢体に覆い被さる影がある。竜は逃がすまいと広げた翼の下にカルナを囲い込んでいる。翼も尾も角も鋭利な影を落としていて、とても誰かを慈しめる生きものには見えない。
 これが、自分だ。
 散々苛んでおきながら、いざ正面から受け入れられると躊躇いが生まれた。
「ジークフリート」
 名を呼ばれる。カルナが浅い呼吸を整えながら手を伸ばしてくる。熱を孕む手で頬を撫で、ついと伸ばした指先で捻れた角を擽った。
 角には触れられた感覚はない。だがカルナが触れてくれているという事実が心地いい。獣のように目を細めれば、カルナはふっと笑みを漏らした。
「お前が、したいことを」
 あやす指先が離れてゆく。ジークフリートの竜の象徴を擽っていたその指でカルナは胸の輝石に触れ、するりと手のひらを下へと滑らせていった。
「オレも、同じだ」
 ゆっくりと膝を立て、滑る両手が膝裏を掴んだ。
 カルナがどうするのか。察して、目が離せなくなる。
 少しだけ逡巡があった。だがしかし、それが後悔や嫌悪からくるものではないと信じることができる。それがうれしい。恥じらいからのものであれば、もっと。カルナの表情はいつもと同じ、或いはいつも以上に穏やかな赦しを湛えていたからわからないけれど。
「お前が欲しい。だから……来い」
 静かに、うつくしい炎が燃えている。陶然と潤んでこぼれる、甘い情欲の炎が。カルナの藍を宿した瞳の中に。
 ゆっくりと自ら膝を割り開き、カルナはジークフリートに全てをさらけ出した。
 露を含んで濡れ、悪竜に暴かれながらも健気に綻ぶ蕾がジークフリートを望んでいる。ひく、ひくんと微かに開いて、閉じて、こいしいと。
「……――カルナ」
 甘えるように、首筋に顔を埋める。呼ぶ名には言葉にならない感情がない交ぜになってこもっている。
 カルナの両手がジークフリートの背にそっと触れた。広がる翼の付け根と、菩提樹の葉の痕にほど近いところを撫で、縋りつく。縋りつくことで支えてくれる。
 思うままに攻め抜いて尚受け入れる瞬間を待ってくれる蕾に、はいりたいと濡れ泣く雄を押しつけた。あ、と甘くかすれた声と共にのみ込まれてゆく。カルナのあえかな声は、重ねた唇で呑みほす。
 人の身で感じるカルナの身体は熱く、優しく、どうしようもなく愛おしかった。

 散々睦み合い貪り合い、精も根も尽き果てて、交歓した魔力を温めるように眠った。泥のような眠りは甘く、互いを抱きしめ合う幸福は身体を繋げるよりも心地いいかもしれない。
 そんな得難い眠りから覚めた瞬間に、腕の中のいとしく尊い人は言い放った。
「オレも浮かれていたようだ」
 思わずジークフリートは真顔で復唱する。
「浮かれて」
「ああ」
 あの、生きるか死ぬかを迫る調子のデッドオアアライブなトリックオアトリートは浮かれていたのか。
 こちらも真顔でこくりと頷いているので事実なのだろう。ジークフリートはてっきり、あのトリックオアトリートはエリザベートに乗せられて軽率に迫ったことを責めてやっているのかと思ったが。
 そう告げればカルナは不思議そうに首を傾げた。そもそもカルナが意趣返しなど思いつくはずもない。
「あのジークフリートが、童のような真似をしてくれたのだと思うとな。つい」
「……それは、呆れた、というんじゃないだろうか」
「いや」
 ふる、と首を横に振り、カルナはジークフリートの背を撫でる。肩甲骨の真ん中あたり、葉の痕は避けて、正しくは腰のあたりを。眠りと共に封じた竜の証はいずれも消え失せていた。
 何もない肌にぺたぺたと指先で触れてくる。幾度も情を交わしたのでこれ以上出すものもないが、どちらかといえば敏感な箇所に幾度も触れられるとむず痒い。窘めるように腕を取って指を絡ませれば、にぎにぎと開いて、閉じて、握られた。どうも機嫌が良い、らしい。続く声にもやわらかさがある。
「オレにだけ、だろう」
「……確かに、カルナ以外にあんな真似をするつもりはないな」
 そもそも、カルナの前でとてあんな真似をするつもりはなく、限りなく事故に近い出来事だったのだがそこは割愛しておく。
「それを好ましいと思う」
 目を細めて眩しそうに見つめられてしまえば、ジークフリートには真実を詳らかにする気など起きない。
 尤も、カルナはその心のうちすらも見抜いてしまっているのかも知れないが、追求されないのであれば掘り起こす必要もないだろう。今はただ、炎も落ちて透き通るばかりの薄氷色の瞳を見つめ返すだけだ。
 それでも心残りがあるとすれば、悪戯、というのは相手が望んでいないからこそ悪戯になるのであって、望んでいるからと施してしまえばそれはもう悪戯ではないのではないだろうか? と、いう疑問がひとつ。
 もちろんカルナ本人に訊けるはずもなく、ジークフリートは不器用な人を己の腕の中に改めて抱きしめた。すっかり火の消えたランタンのカボチャだけが床の上でひとり、ジークフリートの疑問を笑っている。
    2016.11.15 x 2016.12.29 up