×

Ordinary Operetta

 どうあっても許せるわけがないのだ。怒りは殺意へと転じる。何度殺しても殺したりないと思うほど激しく渦巻く。
 確かに哀れと思う心もあるにはある。兄弟なのだから当たり前だ。しかしこの怒りの前では血の繋がりなどなんの抑止力にもならない。むしろ兄弟だからこそ、信じていたからこそ止められないのかもしれなかった。あらゆる感情がない交ぜになって行き着くのは、燻る殺意だった。
 白刃が閃く。重い衝撃が手首を駆け抜け、ほんの僅か力が抜ける。その一瞬で充分だったのだろう、また閃いた氷の軌跡に大剣が弾き飛ばされた。瞬くように入れ替わる視界の中、狂気に彩られた弟の顔を見つける。ラグナは湧き上がる衝動のままに掴みかかった。
 ――兄弟で殺し合うことに、今更躊躇いなどない。
 闇を纏った右腕で喰らいつく。虚を突かれたのか弟の体勢が崩れた。好機、そのまま力任せに地面に叩きつけ、しかし逆に引き倒される。もつれ合うように二人して地を転がり、最後に優位に立っていたのは弟だった。馬乗りになってこちらを見下ろす弟は笑いながら腕を振りかぶる。握られているのはいうまでもなく抜き身の刃だ。奥歯を噛み締めて切っ先を睨みつける。
 ――そうだ、今更。
 ぎぃんと耳障りな高音。振り下ろされた刃はラグナの顔の横に突き立てられていた。頬を撫でる冷気に、つまりこれだけ条件が揃っていながら弟が自分を殺さなかった事実にぞっとする。来る、逃げろ、殺せ。体中を駆け巡る絶叫に従い、唯一自由に動かせる拳を弟の顔面へ叩き込む。
 ――けれど。
 乾いた音ともにあっさりと受け止められる拳。その向こうで弟は笑っていた。狂気を孕んで花のように綻ぶ。ラグナは血の気が引くのを感じた。弟の両手に包み込まれた腕が持ち上げられる。解かれた指先が、弟の頬へ。
「ねえ……兄さん」
 澄んだ音とともに突き立てられた刃が霧散したが、そんなことにも気づかないほどにラグナは必死だった。視線の先で遂に最悪の事態が現実のものとなっていく。艶やかに弧を描く唇から零れる声。
 止めろ、その先は! ラグナの心の叫びなど届くはずもなく、嗚呼、無常にも。
「突っ込むのと突っ込まれるの、どっちがいい?」
「だから嫌だったんだよチクショオオオオオオオオオ!!
 激しく頭を抱えたい気分ではあったが体勢的に叶わない、そんな自分にできることといえば目尻に涙を溜めて絶叫するぐらいだった。しかも弟の視線が熱を増すのを感じる。嫌がる兄さんも素敵だねなどというおぞましい台詞が聞こえて一瞬気が遠くなった、が、ここで自失すれば確実に食われる。ラグナはなんとか踏みとどまった。
 ――これだけは、どうしても納得できない!
 弟はどこでネジを吹っ飛ばしてきたのか、刃を交える興奮を性的なそれに摩り替えているらしい。現に今、押し付けられている。何をとはいわない、いいたくない。
 果たしていつからこうなったのかは定かではない。自分のように兄弟の愛情が憎悪へと転化したのかもしれないが、しかし何が悲しくて殺したいほど憎い弟の、胸を、
「待て待て待て!」
「あ」
 弄るような真似をしなければならないのか! 咄嗟に囚われの腕を取り返す。恨めしげな視線が降ってくるがそんな筋合いはない。無理矢理服の中に手を突っ込まされ、触りたくもない胸を触るはめになった自分のほうがどう考えても被害者だ。
 硬くて平らな胸で、衣服越しにも指先を掠めたぷつりとした感触が妙に生々しく残る。早々に忘れるべくぶんぶん腕を振れば、腹立たしくも生温い笑顔で見下ろされた。
「顔、赤いよ」
「うるっせぇ! 勝手に人の手ぇ使ってんじゃねぇよ!」
「だって兄さんが答えてくれないから」
 この状況であの二択にすぐさま答えられる人間がいるなら是非お目にかかりたい、いっそ代わってやるぞ。どこにいるとも知れない誰かに語りかけても返事などあるはずもなく、目の前にいるのは拗ねたように唇を尖らせる弟だけだった。
 そもそも突っ込む突っ込まれる以前にするしないという選択肢は存在しないらしい弟は当然こちらのことなどお構いなしで、もぞもぞと身体を後ろへずらす。ラグナがぎくりと身を硬直させるのと、弟が瞠った目を和ませるのは同時だった。
「……まだ何もしてないよね、兄さん?」
「うる、せ……ッ! 揺するなっ」
「駄ー目」
 弟の赤い舌が、ぺろり、己の唇を舐める、獲物を前にした獣の仕草。今まさに食われんとしている獲物とはつまり自分のことで、しかし気づくのが遅すぎた。ちょうどいい位置に落ち着いたらしい弟はにいと口の端を釣り上げる。
 だから、だから嫌だったのだ。納得もできなければ望んでもいないのに、
「せっかく勃たせてくれてるんだから。……ね?」
 兄弟だとか殺し合う仲だとか、そんな倒錯的な状況に興奮している自分がいる。
 揺すられる。なだらかなラインに沿って往復する律動がまだ無視できるはずだった熱を昂らせていく。擦りつけられているのは柔らかくもない弟の尻なのにどうしようもなく煽られる。
 上昇する熱と曖昧になっていく思考の向こうから、嫌じゃないんでしょと弟の声が聞こえた。ここで頷くほど我を失ってはいない。とはいえ否定できるほどの余裕がないのも事実で、結局黙って睨みつけるに留まる。
 しかし弟はそれだけで満足したらしい。ラグナの腹に乗せられていた手が離れていき、目指す先は。
 微かな金属音が、衣擦れの音がやけに響く。取り出された熱は外気を感じる間もなくまた弟の双丘に擦りつけられた。
「はっ、」
「……もうこんなになってる」
 囁くような弟の声はあからさまに色を含んでいて、白い頬には朱を上らせていた。
 耳に届く荒い息と直接触れる律動と、見下ろしてくる弟と見上げる自分と。瞬間茫漠とした思考を横切る疑問。果たして主導権を握っているのはどちらか、と。閃いて、ああ。
 ラグナはひっそりと笑った。気づいた弟が訝しむより先に揺らめく腰を掴んで引き上げる。あっさりと倒れこんでくる細い身体は左腕で抱き込んで、右手は前へ潜り込ませ随分前から押し当てられていた熱へ。重なる胸から伝わる震えにまずはひとつ余裕を崩してやったことを知る。
「お前こそ……キツそうじゃねーか、ん?」
「ふっ、にぃさ……んっ」
 柔く握りこめばびくりと跳ねる。うっすらと潤んだ瞳が間近から見上げてきて、またひとつ。
 もうひとつ、胸の内で数えながら、今度は散々翻弄してくれたラインを指でなぞる。つうと滑らせれば指先がほんの僅か引っかかる箇所を見つけた。弟が目を見開いたのを視界の端に捉え確信する。そのまま指先にぐっと力を込めた。
「う、あっ」
 密着する衣服のせいで抵抗はある、が、確かに沈む指先。ここか、と。ようやく奪い取れそうな余裕を前にラグナは吐息とともに笑いを吐き出して、隔てる布を力任せに引き裂いて。それでもなお、弟は笑っていた。してやったりといわんばかりに。
 不意に首に絡む両腕と驚く間もなく重なる唇。ぬるりと押し入りながら同時にまた熱を昂らせる動きが再開される。キスの最中でも弟は笑っていて、お互いに譲るつもりがないことを知る。
 ああそうかちくしょう、なら遠慮はいらねぇな。
 漠然と思って、そこからはもう駆け引きめいた思考すら霧散した。こちらからも舌を絡ませて、嘲笑うように奥へ逃げれば追いかけて、無理矢理引きずり出し柔らかく歯を立てる。捕らえる、同時にまた腰を掴んで、今度はこちらからも揺さぶってやった。
「っぷは、ん、兄さ……あっ!」
 唇を離すと同時に強く擦りつければ、弟はようやく声を乱した。このタイミングかと頭の片隅に留めながらそのまま揺さぶればちいさく上がる粘ついた音。柔らかくはないが剥き出しのそこはすべらかで、押し付ければぬめりを借りて熱を上げる。ラグナは内に篭もる息を吐き出した。直接中に押し入るのとはまた違う感覚に眩暈がする。
 ふるふると揺れた弟の頭が肩口に押し付けられる。忙しない呼吸にまた煽られ、時折混ざる嬌声に昂る。
 混濁する思考の中、ラグナはついと手を伸ばした。放置していた弟の熱は取り出されることもなく、まるで衣服の中で限界を訴えているようで思わず笑いが零れる。気紛れに指を這わせてやれば、それだけで弟の身体が跳ねた。
「にいさ……あ、もうっ……!」
「んっ……イく、かっ?」
「ん、ん、おねがっ……いっしょに……」
 耳をくすぐる吐息。背筋を奔る恍惚。荒い呼吸は二人分、加速していく。限界。ない交ぜの感情も混濁した思考も弾ける。気づかないままに目を逸らしていた現実を引き連れて。
「あ、あ、あっ、――!」
「……――ッ!」
 ああ、終わった。
 ぐたりと弛緩する身体が重い。ただでさえ重いのに自分の上に覆い被さっている弟のせいで、余計に。何もかもかもが圧しかかってくる。いっそ吐き出した欲のようにどろどろに溶けてしまえばいいのに。
「ふ、ふふ……ね、兄さん?」
 達した後の荒い呼吸を繰り返していた弟が、ついと顔を上げた。これが現実だ。
「――つかまえた」
 殺し合うことに躊躇いはない、どちらかが死んでしまえばどうせなくなる。だからこれだけはどうしても納得ができない。交わってもどうせほどけていくのに、流されて絡み合う。果たしていつからこうなったのか、記憶を辿ることにももう意味はない。
 ふわりと狂い咲く笑みがあまりにもやるせなく、ラグナはしばし目を閉じた。
    2009/4/2 (毎度毎度の小喜劇/虹七題)