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Rambling Relation

 膝の上に猫がいる。もちろん飼っているわけではなく、とはいえ野良猫でもない。綺麗な毛並みだし、何より首にはがっちりと首輪が巻きついている。どうもこの猫、聞くところによれば犬並み、とはいかないまでもわりかし主人に忠実な猫らしい。
 そんな猫がどうして今膝の上にいるのかといえば、いってしまえばこいつが猫だからということに他ならない。つまり気紛れだ。今日はたまたま膝の上にいるが、時によっては足元に寄ってきて尻尾を巻きつけてくる程度だったり、逆に爪と牙を存分に振るってくることもある。流血の惨事どころか取り返しのつかないほどの怪我を負うことも稀じゃない、まったく気紛れにもほどがある。
 それでも猫としては一応懐いてきているつもりらしい。自分もこの猫を愛でているつもりではある。
 とはいえこの気紛れっぷりにいちいち付き合ってやるのも不愉快で、何より命に関わることすらあるのだから、何度かの邂逅ののち、自分も気紛れに対応してやることにした。
「あ、あ、あっ、ん」
 猫が啼く、震える、首筋に鼻面を押し付けてくる。湿った甘い匂い、ばさばさと揺れる金色に紛れるそれがなんとなく気になって手を伸ばした。ぐしゃりと掴めば指先を滑る金糸。ああ、汗のにおいかと思い至る。
 甘いわけがないのに。確かめるように旋毛に顔を埋めてやる。ついでに汗で滑る身体を抱えなおすように、ぐいと己の鳩尾に力を込めた。
「は、」
 ぴいんと伸びる背筋、声を飲み下すように持ち上がる顎。描かれたしなやかな曲線はなかなかどうして、悪くない。目の前で反らされる白い首筋に滑る雫を見つける。ぞろりと舐め上げてやれば舌先で弾ける汗の珠。やはり甘い。
「――ッ」
 ぎちりと食い締めて、震えて。腹に感じるぬめりを帯びた飛沫。
 同時にくたりと曲線が崩れた。崩れ落ちるように寄りかかってくる身体は弛緩していて重い。耳元をくすぐる荒い呼吸音を聞いてようやく、ああ、そういえばコイツ先にイッたのかと妙に納得した。
「にい、さん」
 のろのろと金色の頭が蠢く。不安定に揺れる頭は距離を取って、互いの表情が見える位置まで下がっていった。
 汗で濡れた顔の真ん中で翠瞳がとろけていた。そこに映るものがある。気づいたときには乱れた金色が微細に揺れて、視線の先を目指していた。
 だから一切の斟酌もなく突き飛ばした。
 弛緩した身体は抵抗もなく後ろに倒れる。ふいに下肢を抜ける感覚にまだ繋がっていたことを思い出し、面倒なのでそれも引き抜いてやった。瞬間浅ましく絡みつく内側と、それ以上に欲を孕んだ視線。触れることの叶わなかった唇から零れ落ちる声。
「あ、なんで……」
 何故か? 気紛れには気紛れで返すことにした、それだけのことだ。
 甘えてきたからといって望みどおりのものを与えてはやらない。そうすれば不愉快な思いをしなくて済むし、なにより自分が優位に立てる。
 重ねていうがこの猫を愛でてはいる。
 だからラグナは、冷ややかに言い放った。
「お前、俺より先にイッただろ」
「だっ、て」
「だってもなにもねぇよ。ちったぁ我慢しな」
 この場面で辛いのはどちらかというと自分のほうだったが、耐えられないのは向こうだとラグナは知っている。なにせ猫なのだ。それも盛りのついた。
 案の定、ラグナの視線の先で落ち着きなく震えている。猫だと評しているが我ながらなかなか的確な比喩だと思う、湿ったシーツのうえにぺたりと座り込む姿に伏せた耳と忙しなく揺れる尻尾の幻影が見えそうだった。
 ラグナは口の端を釣り上げる。色を孕む身体、達したばかりで、尚も熱を燻らせる、突き放されたそれ。増していく震えと呼吸の中、喘ぐように開いては閉じて結局何も紡げない唇。艶かしく隆起する腹の上を先ほど放たれた白が滑って、それにすら煽られるのかびくんと震える。いい眺めだ。
 笑いながら真っ直ぐに見返してやる。どろどろにとけた翡翠色は乞うようにラグナの顔とまだ硬い熱を見比べていた。笑いに嘲りが混じるのは仕方ないだろう。いよいよ耐え切れなくなったのか、
「ぁ……ね、え、にいさっ……」
 湿った声が呼んだ。
 ラグナは黙って見返す。この程度で与えてやるような気分じゃない。こちらの視線が、表情がうっすらと嘲笑を刷いていることに気づいているだろうに、向けられる本人はといえば気にならないのかそれすらも劣情の火種になるのか、のろのろと擦り寄ってくる。四つん這いで近づいてくる姿はやはり猫だ。
 じっとりとした前足が膝に触る。尚も黙ったままでいれば、ひとまず触れても跳ね除けられないことに安堵したのだろう。更に身を寄せて、しかしまだ窺うように。無造作に伸ばしていたラグナの左足の膝にそろりと跨った。
 触れる感覚にとうとうラグナは嘲笑を浮き上がらせた。ついさきほど、こちらに構わず一人で達したくせにもうこれか。
「ジン、当たってんぞ」
「う……」
「触ってもねぇのに」
 遂に、じわり。翡翠がとけて滲む。瞳を潤ませながらジンはばさばさと頭を振った。幼い仕草に遠い思い出が閃いて、しかしどうしようもなく漂う色香に霧散する。今更罪悪感を覚えるわけでもないがほんの一瞬、引っかかるものがある。
 その一瞬すら惜しいらしい。ラグナの気が逸れたことを目敏く感じ取ったのか、膝の上の身体が揺らめいた。足と足を絡ませて、ぬるりと滑る熱を押し付けて、息を上げてとろけた視線を隠しもせず。乞うて啼く。
「も、お願い、だからぁっ……にいさん、の、ちょうだい……!」
 こうなれば後は思うがままだ。ラグナの気分がじわじわと昂揚していくのもこのあたりからで、軽やかに追い詰めていく。
「もうギブアップか?」
「あ、う」
 怒られると思ったのか、ふるりと膝の上で震える。荒い呼吸を繰り返す口元が何ごとかを紡ぎかけ、しかし声には出さずきゅうと唇を引き結ぶ。以前ここで「ごめんなさい」などというものだから、謝るぐらいなら耐えてみせろと放り出したことがあった。恐らくあの時の苦痛を思い出して口を噤んだのだろう。怯えるさまが妙にいとしく思えて、ラグナは膝の上のジンを引き寄せた。
 互いの胸が重なる。しっとりした温みと速い律動が直に伝わる。ジンが息を詰めて見上げてきた。隠し切れない期待は喪失した場所に求めてやまない熱が触れたからか。見返せば絡みつく視線。掠れるほど声を低めて問う。追い詰める。
「……欲しいか?」
 腰を押し付けてやれば、びくんとちいさく震えてジンはまた喉と背をしならせる。はあ、と。熱のこもった息を吐いたのは果たしてどちらだったか。分からなくなる程度には自分も興に乗っているらしい。
 視線が絡みつく、絡み合う。とろけきったその色に絡め取られていく。戯れに弓を描く背を手のひらでなぞれば、ジンの唇からは意味を失くした声が零れた。とはいえ否定などしようはずもない。
「だったら俺がイくまで出すんじゃねぇぞ」
 一方的に言い放つ。それでもジンはただ首を縦に振るだけだった。燻らせている時間が長いのはこちらとはいえ、堪え性がないのは明らかにジンのほうで、にも関わらず拒否も躊躇いもないのはもうこちらの言葉の意味を理解することもできないほどに追い詰められているのだろう。もし先ほどと同じことを繰り返せばどうなるのかも考えられないのだ。
 繰り返すがこの猫のことは愛でている。
 だからラグナは、笑って唇を落とした。求められても自ら拒否した唇にだ。それだけ気分がよかった。期待に震える体を抱き上げる、ゆるゆると熱を繋げていく。
 もし先ほどと同じことを繰り返せば。果たしてそのとき自分はどうするのだろうと、そんなことばかりを楽しみにしながらジンの甘い声を聞いていた。
    2009/3/28 (気ままな関係/虹七題)