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桎梏の、

 師団長などという役職に就いてはいるものの、非戦時の今、表立った仕事はないといっていい。一進一退を続ける会議に参じたり部下からの報告を受けたり書類に署名したり、受けた報告をまとめまた会議に参じて上層部に提出するぐらいだ。
 統制機構施設内での代わり映えのない日々。鍛錬以外で刀を振るうこともない。尤も、師団長クラスの衛士が表立って軍事行動に及べば、統制機構を目の仇にしている他の機関の介入を許すことにもなりかねない。余程の有事でない限り、権力者はただ座して威光を振りかざすことこそを第一とすべきなのだ。
 とはいえ。
 いうまでもなくただ座しているだけが能ではない。
 肩書きとそれに付随する威光は効果的に使われてこそ存在する価値がある。


「――お待ちしておりました、キサラギ少佐」
「状況はどうなっている?」
 ジンは魔操船のタラップを降り、礼の姿勢で居並ぶ衛士たちに一瞥だけくれて衛士の列の間を進んだ。同乗してきた二、三人の部下と、出迎えの代表か最初に声をかけてきた下士官もジンの後に続く。
「ポートを占領していた部隊は制圧済み。下層へ逃げた部隊はヴァーミリオン少尉の隊が追撃しています」
 先行させた直属の部下の名に、ジンは内心で舌を打った。
 建設中の階層都市のポートが占領されたという報が入ったのが今日の朝だった。建設中とはいえ統制機構の支部も置かれており、それなりの戦力も配備されている。会議で報告されはしても、本来ジンには関係のない騒動である。
 しかし、騒動を起こした連中が“イカルガの残党”を名乗ったとなれば話は違う。
 『刃向かう者は完膚なきまでに殲滅する』という統制機構の理念を世に知らしめたイカルガ内戦が終結して数年、いまだに反抗の狼煙を上げるような愚者には徹底的な制裁を与える必要がある。というのが上層部の意向であり、その役目を遂行するのにお誂え向きなのが“イカルガの英雄”というわけだ。つまりこれが件の威光を振りかざすべき時である。
 現地へ赴くよう指令が下った時点でジンはノエル=ヴァーミリオン少尉を先行させている。これも権力による牽制に近い。ノエルは世界に十器しか存在しないアークエネミーの所有者であり、戦闘力は他の衛士を圧倒する。火力を一目見ればただの術式兵装ではないことが分かるだろう。
 つまりジンがノエルに先行部隊の指揮を任せたのは、決して事態の沈静化を期待してのことではない。ただアークエネミーの威力を、統制機構の恐怖の片鱗を知らしめるために派遣したに過ぎないのだ。
 ただし、直属の部下を先行させるからには自分の到着まで隊の指揮を代行させる必要がある。そこに不安があった。ノエル個人の戦闘力は高いが、戦術ならともかく一部隊を指揮する程度の戦略に関しては必ずしも優れているとは言い難いものがあるからだ。
 案の定か。
「ポートゲートは現隊が引き続き閉鎖。残る隊は分散させろ、エリア20までの敵対勢力は殲滅する。各エリアに回せ。ヴァーミリオン少尉の隊への支援には僕が行く」
「少佐お一人で、ですか?」
「問題があるか?」
 歩みを止めることなく返せば背後の声は不明瞭に「いえ」と答えた。
 下層に逃げたということは、後援部隊と合流したと見て間違いない。下手をすると誘い出されたとも考えられる。ポートで抑えられないのなら余計な追撃をするなと出立前に言い渡しておくべきだったか、生憎そんな時間的余裕はなかった。何よりノエルが現場でそう判断して行動すればよかっただけの話だが、過ぎたことを考えても仕方ない。彼女の至らない点を承知で派遣したのは自分だ、上に立つ以上責任は自分が負う。
「ヴァーミリオン少尉は北ルートから下層へ向かいました。およそ一時間前です」
「分かった。少尉と合流、残存勢力を殲滅次第僕はポートに上がる。各隊は現場の判断で動け。エリア20以降に逃げた場合は言及しないが目的は殲滅だ。忘れるな」
「はッ」
 一時間前なら追いつけるだろう。交戦したとして片がつくような時間でもない。
 ジンは下士官の見送りを背に、北ルートへ続く通路へ足を向けた。道連れは手中のユキアネサだけである。


 士官学校で初めて会って以来、ジンはノエルを憎悪している。
 最初の頃こそ他の大勢と同じように当たり障りのない態度でやり過ごそうとしていたが、あの顔とあの声を相手にして平静を保つことなど到底無理だった。
 顔を合わせるたびに耐え難くいらつかされる日々が続いたが、ノエルと出会った時点で向こうは一学年、ジンは三学年だったからそう長い時間を同じ学び舎で過ごしたわけでもない。ジンはすぐ士官学校を卒業して統制機構に入った。外面を取り繕うのは相変わらず面倒だったが、煩わしく感じる間もないほどイカルガの件で忙殺されていたし、何より無駄にいらつかされることがなかったのだからそれだけで平穏に値する。
 士官学校を卒業したノエルが直属の部下として自分の下に配されることで、短い平穏も終わりを告げたが。


 ユキアネサが鳴く。屠る。細氷が舞い、切り刻む。
 目前に迫る敵は全て一刀のもとに斬り伏せた。吹き荒ぶ冷気に刃向かうなど愚かだと笑い飛ばすのも面倒だ。策も技もない、ただ数だけが取り柄のような連中。吹雪に翻弄される烏合の衆に手間取る要素などない。
「キサラギ少佐……!」
 上官の到着に気付き、礼の姿勢を取ろうとする衛士たちをジンは片手を振って制した。形式より先に敵の殲滅を優先しろと言いたい。
 意図を汲んだのか衛士たちは戦闘を継続する。ジンの登場で混乱している相手など制圧は時間の問題だろう。交戦の様子を見回したところで――真っ先に報告に参じるべきノエルの姿がないことに気がついた。
「ヴァーミリオン少尉はどうした?」
「はっ、少尉は頭目格の男を追って単身奥へ……」
 衛士の返答にジンは今度こそ舌を打った。単身で、だと? だからあの女には指揮を任せたくなかったんだ!
「僕もそちらへ向かう。ここは確実に抑えろ」
 言い捨てて向かうのは衛士が視線で示した先、薄暗い路地裏。
 剥き出しの配水管や打ち捨てられたスクラップが邪魔をしているものの、道幅自体は広い。足を踏み入れてみればびちゃりと軍靴が鳴った。鉄板でできた路面に薄く積もった砂が配水管から漏れた水と混じって泥になっているらしい。そして泥の上には複数の、まだ新しい足跡があった。
 ジンは徐々に足を速める。薄暗く長い道の向こうには濁った明るさがあった。そして進むたびに鮮明になっていく銃声と怒声。ユキアネサを握る手に僅か力を込めて――暗がりを抜ける。
 路地の向こうは開けた空間になっていた。資材置き場として利用されているのか、分厚い鉄板やドラム缶が整然と並べられている。そして、
「フェンリル――」
 平坦な声が魔銃を解放するのと、ジンが防壁を展開するのはほぼ同時だった。
 けたたましく耳を叩く銃声と目を灼くマズルフラッシュ。絶えず発射される弾丸は舐めるように路面を穿ちながら対象に辿り着き、断末魔の悲鳴も呑み込んで礫と肉片を巻き上げる。撒き散らされる礫はジンの眼前まで届いたが、翡翠色に揺らめく術式防壁に弾かれ、ばちばちと不快な音を上げながら四散した。
 更に可変した魔銃は一際高く敵を打ち上げ、そしてようやく沈黙した。
 火薬のにおいが立ち込める中、硝煙の向こうに統制機構の青い制服が見えた。ジンは術式を解除しそちらへと歩を進める。
 あちらこちらに転がる死体を数えながら、ノエルがまんまと誘い出されたのだろうことを確信する。やはり戦略に関しては任せて置けないものがある。が。ジンは数えた死体の数と、それら全てが間違いなく死んでいることをゆっくりと確認する。こと戦術に関しては、ジンがいかにノエル個人を疎んでいるとしても認めざるをえないのは揺らぎようのない事実だ。
 さて、問題の本人はといえば。ジンはじろりと眼球を動かした。
 ノエルは元の形に治まったベルヴェルクのトリガーに指を掛けたまま、だらりと両腕を下げて立ち尽くしている。上官が目前で見下ろしていることにも気付いていないだろう。もし気付いていればおどおどと逸らされているだろう翠瞳はガラス玉のようにただ眼前の風景を反射している。
 たまにあるのだ。平生を考えれば虫一匹殺すにも大騒動しそうなこの女が、機械の正確さと冷静さで破壊と殺戮を遂行し、しかもそれに関して一切言及しない。そんな精神状態が波及しているのか任務後しばらくの間こうして人形のように立ち尽くすことが、たまに。
 ノエルがこうなったときジンはいつも言いようのない気分になる。
 常のノエルならば憎悪と苛立ちが募るだけでいい、けれどこの女がこうして生きた兵器と化すと、嘲り笑いたいような、すぐさま怒鳴って現実に引き戻してやりたいような、不安定な気分になる。
 それはどこか苛立ちに似ていて、実際、考えていると何故自分がこの女のために思考を割かなければならないのかと明確な苛立ちに昇華されることは過去の経験で既に把握済みだった。
 ジンは沈黙を続ける少女の前で長く息を吐いた。思考の過熱を冷ますように。
 ゆるゆると冷えた空気が頬を撫でる。ユキアネサが微かに鳴く。
「――そこだ」
 伸ばした指先に描いた術式が具現化する。完成した氷刃は真っ直ぐに突き進み、詰まれた資材を薙ぎ倒す。鉄板が割れ、あるいは崩れる轟音に紛れて埋もれていく悲鳴と、すかさず飛び出す男たちの怒声。まだ物陰に潜んでいたとは、本当に数だけは脅威に値する。
「え? あ、き、キサラギ少佐!?
 不愉快な声が聴こえざま、ジンはノエルを己の背後に押しやった。
 今の音でようやく我を取り戻したらしいノエルが即座に状況を判断して対応できるわけもない。背後で「え、あれ!?」と零す部下に後でどう叱責してやろうかと、もう慣れてしまった苛立ちに身を任せながら、ジンは殲滅目標である男たちを正眼に捕らえた。
「報告は後にしてもらうぞ、ヴァーミリオン少尉。今は僕の援護に回れ」
「は、はいッ!」
 もし顔が見えていたら青ざめているのではないだろうか。ノエルの引き攣った声にジンは薄く唇をしならせ、『イカルガの英雄』としての責務を果たすべく疾駆した。
    2009/3/8 (瞳を閉じる、十題)