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これが最後かもしれない
上段からの重い一撃はベルヴェルクを交差させて受け止めた。白い銃身が耳障りな悲鳴を上げ、ノエルもきつく眉根を寄せる。ここで押し負ければ悲鳴を上げる程度ではすまないのだ。ぎりぎりと迫る刃に意識を集中させ、
「馬ー鹿」
「あっ!」
いっそ腹が立つほどの軽妙さで足を払われる。拮抗を保っていた身体は支点を見失ってぐらり、崩れ、噛み合っていたベルヴェルクもずるりと解けた。必然的にあの、ただ分厚い刃がノエルの上に落ちて――
こなかった。
剣先は尻餅をつくノエルの目の前でぐるんと軌道を変え、何ごともなかったかのように持ち主の腰のベルトへと納まる。挙句の果てには「じゃあな」などという言葉まで降ってきて、手放してしまった二挺拳銃を手で探っていたノエルはぎょっとした。顔を上げれば、既に銀色のつんつん頭は踵を返して背を向けている。
「ま……待ちなさい、ラグナ=ザ=ブラッドエッジ!」
「うるせーな、そう言われて待つ奴なんていねぇだろ」
ラグナは己の言葉どおりノエルを振り返りもせず歩を進める。
ようやく指先で見つけたベルヴェルクを掴み、ノエルは賞金首を追いかけた。別件で最優先の任務が下りているとは言えラグナ=ザ=ブラッドエッジの捕縛も重要な任務に違いない。何より統制機構の人間として犯罪者を目の前で逃がすわけにはいかなかった。
駆け寄るノエルをやっと、しかしほんの一瞬、更に補足するなら視線だけで振り返ったラグナは歩く速度を上げた。ノエルはかっと頬に朱を上らせる。走る相手を見て早歩きで逃げるなんて!
怒りのままに走る速度を上げるが、前を歩く男との距離は変わらない。その事実にまた腹が立つ。コンパスの違いだろうか、それにしたって本当に、本当に!
「なんなんですか貴方は! 私を馬鹿にしてるんですか!?」
「あんたこそなんなんだよ、喚く前にソレで撃てばいいだろ?」
ソレとは恐らくベルヴェルクのことだろう。だろう、というのは鬱陶しげに言い放ったラグナが前を向いたまま一瞥すらくれなかったからで、他に該当するものはないとノエルが判断したに過ぎない。
「こちらに背中を向けてる相手を撃つなんてできません! そんなことより人と話をするときはちゃんと相手を見なさい!」
相手にしていられないと言わんばかりの露骨なその態度に先ほどからの不満も投げつける。瞬間、直属の上司の顔が思い浮かび、あまり他人のことは言えないのだけれどと心の中で僅か萎縮したところで。
ラグナが振り向いた。
視線だけではなく、ちゃんと顔ごと。まさか振り向くとは思わず、ノエルは目を丸くする。出会い頭から今の今までのらりくらりと受け流していた男が素直に言うことを聞くなんて。
しかし理解しがたいのはそれだけではなく、振り向いた顔がノエルと同じような表情を浮かべていたことだ。
二人は互いの驚愕する顔を眺める。ほんの数秒。
妙な睨めっこに終わりを告げたのは、吐息だけで紡いだラグナの笑い声だった。
状況をすぐさま理解できないノエルは頬を緩める賞金首をまた数秒眺めたところで、もしかして自分が笑われているのだろうかと思い至る。
「なっ、なんで笑うんですか!」
「あ? あんたって本当に馬鹿なんだなと思ってな」
「……ッさっきから人のことを馬鹿馬鹿、」
ぷちん。ちいさくどこかが切れた。
ノエルの掌中で鈍い音が響く。ハンマーの跳ね上がる音。使用者の怒りに応えたベルヴェルクがその顎を暗く開いた。躊躇うことはない、相対するのは犯罪者でこちらを向いていて、剣を抜いてはいないけれどそんなことは怒りの前で些細なものと見なされる。
「馬鹿って言うほうが馬鹿なん、ですっ!」
ファイア。二つの銃口は同時に弾丸を唸らせた。
標的に向かって描かれる軌跡。時間にして秒以下。けれどその先にラグナはいなかった。どこに、探した時間も秒以下。
「あ!」
掴まれる。己の両腕が触れ合う。銃身が鳴る。纏められる。頭上に。
見上げたのは既に逃げられないと気付いたからだった。ノエルの腕を頭上に纏め上げたまま、ラグナは赤と緑の瞳でじっと見下ろしてくる。また馬鹿にされるのかと身構えるノエルの前で、ラグナの表情は、ゆらり、形容しがたい色に揺れる。
「向いてねぇよ、あんた。背中向けてる相手も撃てねーんなら、図書館の狗なんざ辞めちまえ」
視界がぶれるような錯覚。
翻弄されるばかりの怒りに高まっていた熱が急速に下がっていく。温度差、耳鳴り、外界が鈍くなる。
どこまで、どこまで勝手なのか、この男は。イカルガ内戦、焼け野原、すくい上げてくれた手、優しい笑顔、声、血の繋がらない父と母、士官学校、零下の瞳、厳粛な空気、下賜される二挺、駆け抜ける記憶。
何も、何も知らないくせに。
「貴方に、」
真っ直ぐに見据えれば、冷めた視線と冷えた視線が絡んだ。
「何が分かるっていうんですか」
「……そうだな」
諦めたように瞑目して、ラグナは息を吐く。長く長く吐いて、ゆっくりとノエルの両腕を解放した。自由を取り戻しても、ノエルが再び銃を構えることは叶わなかった。
ラグナが瞼を持ち上げる。異色の瞳の奥に覗くものがあった。ノエルの冷えた怒りをも飲み込む暗い暗い、深い深い、闇。
「なら二度目はねぇぞ」
これが『死神』なのかと、思わせるそれ。
「次に俺の背中を見かけたときは迷わず撃つんだな」
硬直するノエルの横をすり抜ける、直前に。
ラグナの瞳が揺れた。
苦しげに愛しげに闇と混ざり合う色。揺れる瞳のままに、微かに何かを呟く唇。ノエルには聴こえなかったが、擦れ違いざまの台詞だけはざらざらと耳に残った。
「……やっぱあんたの顔、見てらんねぇわ」
聞かせるともなしに発せられたのだろう言葉。
真意を確かめようとノエルが振り返ったときには既に遅く、ラグナの背は路地裏の闇に沈んでいた。
「馬ー鹿」
「あっ!」
いっそ腹が立つほどの軽妙さで足を払われる。拮抗を保っていた身体は支点を見失ってぐらり、崩れ、噛み合っていたベルヴェルクもずるりと解けた。必然的にあの、ただ分厚い刃がノエルの上に落ちて――
こなかった。
剣先は尻餅をつくノエルの目の前でぐるんと軌道を変え、何ごともなかったかのように持ち主の腰のベルトへと納まる。挙句の果てには「じゃあな」などという言葉まで降ってきて、手放してしまった二挺拳銃を手で探っていたノエルはぎょっとした。顔を上げれば、既に銀色のつんつん頭は踵を返して背を向けている。
「ま……待ちなさい、ラグナ=ザ=ブラッドエッジ!」
「うるせーな、そう言われて待つ奴なんていねぇだろ」
ラグナは己の言葉どおりノエルを振り返りもせず歩を進める。
ようやく指先で見つけたベルヴェルクを掴み、ノエルは賞金首を追いかけた。別件で最優先の任務が下りているとは言えラグナ=ザ=ブラッドエッジの捕縛も重要な任務に違いない。何より統制機構の人間として犯罪者を目の前で逃がすわけにはいかなかった。
駆け寄るノエルをやっと、しかしほんの一瞬、更に補足するなら視線だけで振り返ったラグナは歩く速度を上げた。ノエルはかっと頬に朱を上らせる。走る相手を見て早歩きで逃げるなんて!
怒りのままに走る速度を上げるが、前を歩く男との距離は変わらない。その事実にまた腹が立つ。コンパスの違いだろうか、それにしたって本当に、本当に!
「なんなんですか貴方は! 私を馬鹿にしてるんですか!?」
「あんたこそなんなんだよ、喚く前にソレで撃てばいいだろ?」
ソレとは恐らくベルヴェルクのことだろう。だろう、というのは鬱陶しげに言い放ったラグナが前を向いたまま一瞥すらくれなかったからで、他に該当するものはないとノエルが判断したに過ぎない。
「こちらに背中を向けてる相手を撃つなんてできません! そんなことより人と話をするときはちゃんと相手を見なさい!」
相手にしていられないと言わんばかりの露骨なその態度に先ほどからの不満も投げつける。瞬間、直属の上司の顔が思い浮かび、あまり他人のことは言えないのだけれどと心の中で僅か萎縮したところで。
ラグナが振り向いた。
視線だけではなく、ちゃんと顔ごと。まさか振り向くとは思わず、ノエルは目を丸くする。出会い頭から今の今までのらりくらりと受け流していた男が素直に言うことを聞くなんて。
しかし理解しがたいのはそれだけではなく、振り向いた顔がノエルと同じような表情を浮かべていたことだ。
二人は互いの驚愕する顔を眺める。ほんの数秒。
妙な睨めっこに終わりを告げたのは、吐息だけで紡いだラグナの笑い声だった。
状況をすぐさま理解できないノエルは頬を緩める賞金首をまた数秒眺めたところで、もしかして自分が笑われているのだろうかと思い至る。
「なっ、なんで笑うんですか!」
「あ? あんたって本当に馬鹿なんだなと思ってな」
「……ッさっきから人のことを馬鹿馬鹿、」
ぷちん。ちいさくどこかが切れた。
ノエルの掌中で鈍い音が響く。ハンマーの跳ね上がる音。使用者の怒りに応えたベルヴェルクがその顎を暗く開いた。躊躇うことはない、相対するのは犯罪者でこちらを向いていて、剣を抜いてはいないけれどそんなことは怒りの前で些細なものと見なされる。
「馬鹿って言うほうが馬鹿なん、ですっ!」
ファイア。二つの銃口は同時に弾丸を唸らせた。
標的に向かって描かれる軌跡。時間にして秒以下。けれどその先にラグナはいなかった。どこに、探した時間も秒以下。
「あ!」
掴まれる。己の両腕が触れ合う。銃身が鳴る。纏められる。頭上に。
見上げたのは既に逃げられないと気付いたからだった。ノエルの腕を頭上に纏め上げたまま、ラグナは赤と緑の瞳でじっと見下ろしてくる。また馬鹿にされるのかと身構えるノエルの前で、ラグナの表情は、ゆらり、形容しがたい色に揺れる。
「向いてねぇよ、あんた。背中向けてる相手も撃てねーんなら、図書館の狗なんざ辞めちまえ」
視界がぶれるような錯覚。
翻弄されるばかりの怒りに高まっていた熱が急速に下がっていく。温度差、耳鳴り、外界が鈍くなる。
どこまで、どこまで勝手なのか、この男は。イカルガ内戦、焼け野原、すくい上げてくれた手、優しい笑顔、声、血の繋がらない父と母、士官学校、零下の瞳、厳粛な空気、下賜される二挺、駆け抜ける記憶。
何も、何も知らないくせに。
「貴方に、」
真っ直ぐに見据えれば、冷めた視線と冷えた視線が絡んだ。
「何が分かるっていうんですか」
「……そうだな」
諦めたように瞑目して、ラグナは息を吐く。長く長く吐いて、ゆっくりとノエルの両腕を解放した。自由を取り戻しても、ノエルが再び銃を構えることは叶わなかった。
ラグナが瞼を持ち上げる。異色の瞳の奥に覗くものがあった。ノエルの冷えた怒りをも飲み込む暗い暗い、深い深い、闇。
「なら二度目はねぇぞ」
これが『死神』なのかと、思わせるそれ。
「次に俺の背中を見かけたときは迷わず撃つんだな」
硬直するノエルの横をすり抜ける、直前に。
ラグナの瞳が揺れた。
苦しげに愛しげに闇と混ざり合う色。揺れる瞳のままに、微かに何かを呟く唇。ノエルには聴こえなかったが、擦れ違いざまの台詞だけはざらざらと耳に残った。
「……やっぱあんたの顔、見てらんねぇわ」
聞かせるともなしに発せられたのだろう言葉。
真意を確かめようとノエルが振り返ったときには既に遅く、ラグナの背は路地裏の闇に沈んでいた。
- 2009/2/27 * 2009/3/1 修正 (瞳を閉じる、十題)
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