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とどかない

 重い音がした。人が倒れる音。倒れたのは弟で、倒したのは自分。
 まだ死んではいない筈だ。膝から崩れ落ちるように伏せた弟の顔は見えない。黙っていればまだ可愛い“俺の弟”だった。そう、まだ。自然、口を付いて出た言葉もきっとそんな思いに押し出された産物だったんだろう。
「苦しんで死ねといいてぇとこだが黙ってれば一瞬で殺してやる。顔をあげろ」
 金色の旋毛が揺れる。掌中の柄を握り込む。ちいさく刃が鳴った。
 そうだ、顔を上げろ。
 視線の先、ゆるゆると持ち上がる頭。
 ただ黙って。敗者の体で。
 金糸がだらりと地を撫でる。
 惨めなほどに。そうだ、そのまま一言も発せず。
 そうすれば、俺は、
「……嫌」
 きっと自分は弟への言葉に、祈りにも似た何かを気づかないうちに織り込んでいたのだろう。
 這うような声は、まだ狂人の昂揚を失っていなかった。その声に裏切られたときの愛惜を覚えたのだから否定のしようもない。目を細めてジンを見下ろす。
 顔を上げたジンは、ゆらゆら、うねるような色を双眸に潜ませていた。貪婪なその色に、ただ目の前に立つ自分だけを映すその眼に、心底から嫌悪を覚える。
 ふふふと、羽のような軽さでジンは笑った。肘を突いて起き上がり、そのままぺたりと座り込む。
「酷いよ兄さん、そんなのちっとも楽しくない」
「俺はこんなことを楽しむような、気持ち悪ぃ性癖持ち合わせてねぇからな」
「ふうん?」
 手を奔らせる。がちりと鈍い刃鳴り。大剣が自重を乗せて軌跡を描く。斬られた空が低く唸る。含むように笑み続けるジンは、付き付けられた切っ先を陶酔の目で見つめている。
 膨れ上がる殺意を真っ向から受けながら、違うんじゃない、ジンはそう零した。
「兄さん、本当は――」
「覚悟は、」
 遮った。続く言葉を聞くまいとしていることに気付いたのか、ジンは大人しく口を噤んで笑みを深めた。
 闇が踊る。膨張しきった殺意は既に溢れ出して凪いでいる。迷いなどあろう筈もない。
「できてんだろうな?」
 ゆるゆるとジンの両手が伸びた。血で汚れた白い手袋、そこにあるべき剣はない。初めに倒れ伏したときにジンの手の届かないところまで蹴り飛ばした。
 抱きとめるように真っ直ぐ伸びた手、さらりと流れる金の髪、そして眩しそうにこちらを見上げ、にこりと微笑んでいるのは、弟だった。
「苦しめて、殺して。ね、兄さん?」
    2009/2/20 (瞳を閉じる、十題)