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沙漠の鷲
絶望の渇きを抱えてそれは砂の海を旋回する。
なぁ、お前は何を探してるん、だ?
「アンタは今後の作戦行動の障害になりかねない」
ごり、と、額に押し当てられるもの。冷たい、それ。銃口。
ロックオンは何も言わずに突きつけられた銃のグリップ、と、生殺与奪の権を握る手を見つめた。細くて少し骨ばった手。まだ子供の。指はトリガーへと掛けられている。ロックオンは徐々に視線を動かす。千七百七十グラムのオートマティックを支える細い手首は揺らぎもせず、左手も添えていない。視線はもう少し上へ。突きつけられた銃身と逆光が邪魔でぼやけて見えるが、まだ幼い少年の顔がそこにある。華奢な体、どこもかしこも突きつけられる銃とは不釣合いな中、ヘイゼルの瞳に湛えた光だけが殺人者の温度で佇んでいた。
「刹那、おまえ、」
「……」
名前を呼べば更に銃口が押し当てられる。喋るなということか、ロックオンは胡坐を掻いた足を組み替えた。従うのはやぶさかではない。刹那の瞳を、体を、銃口を見れば解る。このやり取りに今はまだ意味などない。敢えて言えばそう、刹那は戸惑っているということ。排除しようとしているのはあくまで“している”だけ。本人さえ気付いていないブラフ。
何故なら。ロックオンが名前を呼んだだけで刹那の瞳は木漏れ日のように揺れた、から。
微動だにしなかった銃口が、微かに、ほんの微かに角度を下げたから。
「アンタは何もかも壊すから」
なぁ、何を探してるんだ?
「何もかもって、何」
「……全て、を」
「お前の全て?」
刹那が瞬く。その一瞬間だけ泣きそうに歪んだ表情をロックオンは見逃さなかった。
探す必要なんかない、ここにあるんだから。お前は持て余してるだけだ。知らないものを怖がってる。それだけ。
この無意味なやり取りを意義あるものとして昇華させるのはやっぱり俺の役目なんだろうなぁと、ロックオンは銃口を見つめた。四十四口径オートマティック、デザートイーグル。もし刹那が本気で、全力で排除しようとするなら、四十四マグナムが自分の脳髄に叩き込まれるのは間違いない。今時そんなもので頭を吹き飛ばされるのは勘弁被りたい。せめて七・六二ミリか九ミリパラベラムだろう。
尤も、それは刹那が本気だったらという仮定の世界の話に過ぎない。今突きつけられているこの銃が火を吹くことはないのだ。絶対に。
「――止めろ」
刹那の右手が強くグリップを握った。セーフティは既に解除されている。
顔を上げれば、そこにはただの子供が立ち尽くしていた。
「アンタは、何で、」
「刹那、お前はな」
「止めろ、俺に関わるな、入ってくるな、これ以上、」
壊すな。
ロックオンは刹那の右手首を掴んで、引いた。あ、という微かな声と共に、胸の中に転がり込んでくる体。反射的にだろう、グリップを握り込んだ掌に、己のそれを重ねた。そのまま銃口を天へ向けトリガーを刹那の指ごと、引く。鈍く響く銃声。
刹那は思わずといった体で蒼穹へと続く弾道を追っていた。軽い音と共に薬莢が傍らに落ちる。銃を握る手はそのままに、ロックオンは残る片腕で刹那を抱き込む。びくりと小さな背中が揺れて、間近から刹那が見上げてくる。今はもう水面のように揺れる瞳の中にロックオンの顔が映っている。
「気付いてないと思うけど、お前は俺のことが好きなんだよ」
またトリガーを引く。二発目。今度は弾道を追うことなく、刹那は僅かに唇を動かした。何事かを呟こうとしたのだろう。声にはなっていない。三発目。
「だから止めとけ。デザートイーグルなんてお前には合ってない」
四発目。不安定な姿勢の上片手での射撃はさすがに腕が痛い。ロックオンはセーフティを親指で下ろし手の力を抜いた。刹那もとうに力など抜けていたのだろう、二人の掌から砂漠の鷲が滑り落ちる。ロックオンは苦笑し、どうも放心しているらしい刹那の頬に指を滑らせた。
デザートイーグル――砂漠の鷲。まるで世界の果てのような一面の砂の海、寂寥の地を舞う猛禽。砂漠とは即ち聖書の荒野、遠い昔の哲学者は虚無とし、そして無からの新生を意味すると言った。いずれにしろ刹那には似合わない。
「壊れるなら壊れちまえ」
「……いやだ」
揺れ動いた末、逸らされる瞳がやけに愛しいと思った。
「嫌がったってどうせそのうち壊れる」
今は全てを押し殺しているかもしれない。けれどいつの日か絶対に、耐えられず決壊するだろう。戦争は全てを変えていく。結果がもし変わらなかったとしても、過程としてありとあらゆるものがうねり、渦巻く。そして既に、押し殺しているものが存在する。故に刹那は虚無ではなく虚無でないから無からの新生も当てはまらない。寂寥も絶望も二人でなら遠い存在。
いつか戦争で壊れるなら、今俺で壊れてもいいだろう?
ロックオンがそう囁けば、刹那は僅かに目を伏せた。悼むようにも見えるそれ。壊れ往く己への冥福を祈っているのか、あるいは今の己への憐憫か。
ややあって、刹那の手が膝の上に落ちていた銃を勢いよく払い落とした。オートマティックは地面を滑り、くるくると数度回る。鳥が落ちるならあんな感じだろうか。ロックオンは己の腕の中に落ちてきた子供を抱き締めた。
壊れて砕け散るならその破片まで、愛してやるよ。
なぁ、お前は何を探してるん、だ?
「アンタは今後の作戦行動の障害になりかねない」
ごり、と、額に押し当てられるもの。冷たい、それ。銃口。
ロックオンは何も言わずに突きつけられた銃のグリップ、と、生殺与奪の権を握る手を見つめた。細くて少し骨ばった手。まだ子供の。指はトリガーへと掛けられている。ロックオンは徐々に視線を動かす。千七百七十グラムのオートマティックを支える細い手首は揺らぎもせず、左手も添えていない。視線はもう少し上へ。突きつけられた銃身と逆光が邪魔でぼやけて見えるが、まだ幼い少年の顔がそこにある。華奢な体、どこもかしこも突きつけられる銃とは不釣合いな中、ヘイゼルの瞳に湛えた光だけが殺人者の温度で佇んでいた。
「刹那、おまえ、」
「……」
名前を呼べば更に銃口が押し当てられる。喋るなということか、ロックオンは胡坐を掻いた足を組み替えた。従うのはやぶさかではない。刹那の瞳を、体を、銃口を見れば解る。このやり取りに今はまだ意味などない。敢えて言えばそう、刹那は戸惑っているということ。排除しようとしているのはあくまで“している”だけ。本人さえ気付いていないブラフ。
何故なら。ロックオンが名前を呼んだだけで刹那の瞳は木漏れ日のように揺れた、から。
微動だにしなかった銃口が、微かに、ほんの微かに角度を下げたから。
「アンタは何もかも壊すから」
なぁ、何を探してるんだ?
「何もかもって、何」
「……全て、を」
「お前の全て?」
刹那が瞬く。その一瞬間だけ泣きそうに歪んだ表情をロックオンは見逃さなかった。
探す必要なんかない、ここにあるんだから。お前は持て余してるだけだ。知らないものを怖がってる。それだけ。
この無意味なやり取りを意義あるものとして昇華させるのはやっぱり俺の役目なんだろうなぁと、ロックオンは銃口を見つめた。四十四口径オートマティック、デザートイーグル。もし刹那が本気で、全力で排除しようとするなら、四十四マグナムが自分の脳髄に叩き込まれるのは間違いない。今時そんなもので頭を吹き飛ばされるのは勘弁被りたい。せめて七・六二ミリか九ミリパラベラムだろう。
尤も、それは刹那が本気だったらという仮定の世界の話に過ぎない。今突きつけられているこの銃が火を吹くことはないのだ。絶対に。
「――止めろ」
刹那の右手が強くグリップを握った。セーフティは既に解除されている。
顔を上げれば、そこにはただの子供が立ち尽くしていた。
「アンタは、何で、」
「刹那、お前はな」
「止めろ、俺に関わるな、入ってくるな、これ以上、」
壊すな。
ロックオンは刹那の右手首を掴んで、引いた。あ、という微かな声と共に、胸の中に転がり込んでくる体。反射的にだろう、グリップを握り込んだ掌に、己のそれを重ねた。そのまま銃口を天へ向けトリガーを刹那の指ごと、引く。鈍く響く銃声。
刹那は思わずといった体で蒼穹へと続く弾道を追っていた。軽い音と共に薬莢が傍らに落ちる。銃を握る手はそのままに、ロックオンは残る片腕で刹那を抱き込む。びくりと小さな背中が揺れて、間近から刹那が見上げてくる。今はもう水面のように揺れる瞳の中にロックオンの顔が映っている。
「気付いてないと思うけど、お前は俺のことが好きなんだよ」
またトリガーを引く。二発目。今度は弾道を追うことなく、刹那は僅かに唇を動かした。何事かを呟こうとしたのだろう。声にはなっていない。三発目。
「だから止めとけ。デザートイーグルなんてお前には合ってない」
四発目。不安定な姿勢の上片手での射撃はさすがに腕が痛い。ロックオンはセーフティを親指で下ろし手の力を抜いた。刹那もとうに力など抜けていたのだろう、二人の掌から砂漠の鷲が滑り落ちる。ロックオンは苦笑し、どうも放心しているらしい刹那の頬に指を滑らせた。
デザートイーグル――砂漠の鷲。まるで世界の果てのような一面の砂の海、寂寥の地を舞う猛禽。砂漠とは即ち聖書の荒野、遠い昔の哲学者は虚無とし、そして無からの新生を意味すると言った。いずれにしろ刹那には似合わない。
「壊れるなら壊れちまえ」
「……いやだ」
揺れ動いた末、逸らされる瞳がやけに愛しいと思った。
「嫌がったってどうせそのうち壊れる」
今は全てを押し殺しているかもしれない。けれどいつの日か絶対に、耐えられず決壊するだろう。戦争は全てを変えていく。結果がもし変わらなかったとしても、過程としてありとあらゆるものがうねり、渦巻く。そして既に、押し殺しているものが存在する。故に刹那は虚無ではなく虚無でないから無からの新生も当てはまらない。寂寥も絶望も二人でなら遠い存在。
いつか戦争で壊れるなら、今俺で壊れてもいいだろう?
ロックオンがそう囁けば、刹那は僅かに目を伏せた。悼むようにも見えるそれ。壊れ往く己への冥福を祈っているのか、あるいは今の己への憐憫か。
ややあって、刹那の手が膝の上に落ちていた銃を勢いよく払い落とした。オートマティックは地面を滑り、くるくると数度回る。鳥が落ちるならあんな感じだろうか。ロックオンは己の腕の中に落ちてきた子供を抱き締めた。
壊れて砕け散るならその破片まで、愛してやるよ。
- 君が溢れる。僕が壊れる。
2007.10.28
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