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メメント・ウィーウェレ
Memento mori.
あの凄惨なる光景。我らの信じた神は何処へ?
Memento mori.
未だ争いは絶えず。酸鼻極まるこの世界は痛みを欲している。
Memento mori.
この世界に痛みを。我等には死を。
Memento mori.
既に神亡き世界、我ら総ての死の向こうにこそ、
向こうにこそ。そこで刹那の意識は弾けた。ぱちり、まるで放電にも似た音、と、光。目の前には何故かロックオンが立っている。背景に月光で青白く照らされた廃墟の群れを背負って。なんだ、この状況は。自問と自答は同時で、ミッション開始前の潜伏と夜明かしの最中だったことを思い出す。
しかし何だって自分の目前に立っているのか、この男は。瓦礫に座した刹那と立ったままのロックオンでは当然立って肩を並べる以上に目線の高さに違いが生じる。よって平生見上げている以上の角度で顎を上げねばならず、腹立たしい。おまけにロックオンの瞳が映す月光が冴え冴えとしすぎていて目に痛い。それもまた腹立たしい。刹那は盈月に目を細めた。睨むようなかたちになってしまったかも知れないが仕方がないだろう、と勝手に決め付けておく。
ロックオンはほんの少し頬を強張らせて、お得意の笑顔を浮かべた。やはり睨めつける視線と受け取られたようである。誤解とも呼べないような誤解、解いたところで何の意味もなく、この男を睨み付けたい気分だったのは真実なので刹那は無言を通す。
「あー、刹那? ひょっとして今寝てたか?」
せめてこの男が立っているのが背後ならよかったのだ。そうであれば得意の聞こえていないふりを貫き通すのにも刹那は躊躇わなかっただろう。しかし向かい合うかたちである今、増した腹立たしさに比例して角度を変えた目尻は隠しようもなく、よってロックオンの声は耳に届いていることを体現してしまっている。証拠に刹那の不機嫌を見て取ったロックオンは更に頬を強張らせた。それでも重ねて発言してくるあたり、見上げたタフさである。
「やっぱ寝てない、よな? 意識飛んでただろ」
眠いなら寝ていいぜ? 俺見張ってるし。
放っておけばいいのに、この男はやたら他人に干渉したがる。世話を焼きたがる。マイスター内では最年長ということもあり言われずとも責任感やらリーダーシップやらが湧いて出るのだろう。自分にかけられる言葉は所詮その産物なのだ。きっと“最年少で何をしでかすかわからない子供”と思われているに違いない。刹那は無言で拒否の意を示し、月明かりから逃げるように視線を落とした。
頭上で微かに吐き出される、息。ああ、また手の掛かる奴だと思われた。刹那は更に俯いた。何故俯く必要があったのか、理由は刹那にもわからない。しばらくの間を置いて、地面に落ちていたロックオンの影がゆらり、蠢いた。何、瞬間頬に触れるもの、掌。あ、思う間もなく、頬を包んだロックオンの手によって刹那は正面を向かされる。そこにはしゃがみ込んだ男の、月光を孕んだ瞳があった。
「刹那、お前ホントに寝たほうがいいぞ」
「…………」
「酷い顔色してるの、気付いてないだろ」
「…………」
「刹那。返事しろ」
逃げを許さない声に逸らそうと足掻き彷徨っていた視線は引き戻され、ロックオンのものと絡まる。青い瞳、青い月の光に照らされて、そこに映る自分の顔も、青い。見えるままに月のせいじゃないのかと答えれば、刹那、更に咎める声が鼓膜を叩いた。戦場でだって滅多に聞くことのない、本気の怒りを含んだ声。反射的に肩を竦めれば、すぐに普段通りの声が男の唇から零れる。悪い。
しばし、沈黙が落ちる。刹那は滅多に自発的喋らない、のでつまり、これはロックオンの逡巡の時間だった。終わりは彼自身の溜め息によってもたらされる。
「お前はさ、気負い過ぎなんだよ。休めるときに休んどけ、な?」
「……そんなの、アンタも同じだろう」
しまった、と思った。沈黙を通せばよかったのだ。けれど先の台詞は、ロックオンは年上でマイスターのリーダー格で、そして刹那は子供で気遣われるべきものだという事実の象徴のように感じられたのだ。もういい。思わず零れた言葉はもう拾えない。だから刹那は勢いで、思うがままを口にした。真っ直ぐにロックオンを見返しながら。
「自分の限界はわきまえている。足を引っ張るような真似をするつもりはない」
「……それが気負い過ぎだって言ってるんだ」
一瞬、絡んだ視線が解けた。逸らしたのは刹那、ではなく、ロックオンで。躊躇うように揺れながら再び絡み合う。青い瞳に映る子供の顔は徐々に大きくなり、そこに差し込んでいた月光は影に呑まれた。重なった刹那とロックオンの影に。先程より明度を落とした虚像の自分が目を瞠っている。ああ、これは、
「……っ」
なん、で、キス?
「ぁ」
頬に触れていたロックオンの左手がするりと離れた。何故か追いかけるようにぴくりと震えた刹那の右手は、夜気にも温かい掌に包まれる。内心で安堵の息を吐く自分が理解できない。困惑する思考はしかし、一本また一本ともどかしく絡む指に持っていかれてしまう。その事実にまた困惑する。どうして。どうして、どうし、て? 刹那は答えを求めるように視線を彷徨わせるが、視界に映るのはロックオンだけだった。開かれたままの男の瞳は冴えた青。重なったままの唇を舐められる。そこで、解放された。
二人の間に再び月光が差し込む。ぎゅっと柔らかく圧迫される右手に、解放されたのは唇だけなのだと知った。だから、問答はまだ続いている。
「お前、どこを見てる」
神の御前に捧げる、硝煙、死、モビルスーツ、絶望、ガンダム、ソレスタルビーイング、その理念、紛争、硝煙、死、モビルスーツ、ガンダム、稀代の殺人者、ソレスタルビーイング、その、理念。まるでコラージュのように、様々な光景と単語が入り混じって貼り付けられる。イメージの奔流をやり過ごし、刹那は流れに取り残された小石のような呟きを漏らした。
「……未来を」
「俺たちが死んだ後の未来か?」
一呼吸の間も置かずに返され、刹那は思わずロックオンを睨みつける。当の本人はひょいと肩を竦め、悪びれもせず、遠すぎだな、そう付け足した。まるで茶化されているようで、かっとなって振り解こうとした右手はしかし緩い温もりに抗えなかった。
「お前、そんなに向こうばっかり見て突っ走ってたら、目の前の石に躓くぞ」
ゴールする前にリタイアしてちゃ意味ないだろ。
刹那は首を横に振った。解らない、そんなことを言われても。ずっとずっと昔から信じ込んでいた唯一つのよすが、神は、いないと知った。瞬間に出逢ったあの機体。そしてソレスタルビーイング、その理念。挿げ替えただけなのかもしれない、でもそれ以外の何かを考えることはできない。
本当に子供みたいだと思った。答えることもできずにただ首を振り続ける。右手がまた、優しく握りこまれた。左の頬に添えられたままのロックオンの手が刹那の前髪をかき上げる。さらりと滑る髪の隙間で、月の光が波打つ。
「ゴールってのは先を見据えて、その都度目標設定したほうがうまく辿り着くもんなんだよ」
「できない」
「できるよ、お前なら。試しに俺が一個、目標立ててやろうか」
確かめるように絡め直される右手。ロックオンの右手は刹那の頬を今一度滑り、おとがいに添えられた。軽く持ち上げられて、唇が軽く触れ合う。ロックオンは凪のような笑みを浮かべていた。
「まずはな、生きろ」
お前それも見えてないだろ? 俺たちが死ぬために戦ってるんだとしても、まずは生きてなきゃ進むこともできないんだよ。
解るか刹那、そう重ねられて、刹那は果たして頷けなかった。死というゴールのために生きることを目標にする、その矛盾。生など死へ向かう過程に過ぎないと昔紛争の最中で結論付けてしまった。だから考えても考えても、理解できない。率直にそう伝えれば、ロックオンは満足したように笑んで、次に、右手が、刹那を胸に閉じ込める。ロックオンの表情が見えなくなる、代わりのように、二重の心音がすぐ傍で響く。
「それでいいんだよ。お前は今まで考えもしなかったんだから」
「……わかった」
この男の言に素直に頷くのは癪だった、けれど。溶けるような心音。刹那は目を閉じる。まずこれが、生きているという、こと。握られたままの右手がじんわりと全身に温かさを伝えてゆく。寝ちまいな、ロックオンの声はぼんやりとしていてどこか遠くから聞こえてきた。微睡む思考は宙に浮き、ただ触れてくる体温と夜空から注ぐ月光だけを感じる。だから眠りに沈む直前に聞こえた声は、刹那の幻聴かも知れなかった。
『――Memento vivere.』
あの凄惨なる光景。我らの信じた神は何処へ?
Memento mori.
未だ争いは絶えず。酸鼻極まるこの世界は痛みを欲している。
Memento mori.
この世界に痛みを。我等には死を。
Memento mori.
既に神亡き世界、我ら総ての死の向こうにこそ、
向こうにこそ。そこで刹那の意識は弾けた。ぱちり、まるで放電にも似た音、と、光。目の前には何故かロックオンが立っている。背景に月光で青白く照らされた廃墟の群れを背負って。なんだ、この状況は。自問と自答は同時で、ミッション開始前の潜伏と夜明かしの最中だったことを思い出す。
しかし何だって自分の目前に立っているのか、この男は。瓦礫に座した刹那と立ったままのロックオンでは当然立って肩を並べる以上に目線の高さに違いが生じる。よって平生見上げている以上の角度で顎を上げねばならず、腹立たしい。おまけにロックオンの瞳が映す月光が冴え冴えとしすぎていて目に痛い。それもまた腹立たしい。刹那は盈月に目を細めた。睨むようなかたちになってしまったかも知れないが仕方がないだろう、と勝手に決め付けておく。
ロックオンはほんの少し頬を強張らせて、お得意の笑顔を浮かべた。やはり睨めつける視線と受け取られたようである。誤解とも呼べないような誤解、解いたところで何の意味もなく、この男を睨み付けたい気分だったのは真実なので刹那は無言を通す。
「あー、刹那? ひょっとして今寝てたか?」
せめてこの男が立っているのが背後ならよかったのだ。そうであれば得意の聞こえていないふりを貫き通すのにも刹那は躊躇わなかっただろう。しかし向かい合うかたちである今、増した腹立たしさに比例して角度を変えた目尻は隠しようもなく、よってロックオンの声は耳に届いていることを体現してしまっている。証拠に刹那の不機嫌を見て取ったロックオンは更に頬を強張らせた。それでも重ねて発言してくるあたり、見上げたタフさである。
「やっぱ寝てない、よな? 意識飛んでただろ」
眠いなら寝ていいぜ? 俺見張ってるし。
放っておけばいいのに、この男はやたら他人に干渉したがる。世話を焼きたがる。マイスター内では最年長ということもあり言われずとも責任感やらリーダーシップやらが湧いて出るのだろう。自分にかけられる言葉は所詮その産物なのだ。きっと“最年少で何をしでかすかわからない子供”と思われているに違いない。刹那は無言で拒否の意を示し、月明かりから逃げるように視線を落とした。
頭上で微かに吐き出される、息。ああ、また手の掛かる奴だと思われた。刹那は更に俯いた。何故俯く必要があったのか、理由は刹那にもわからない。しばらくの間を置いて、地面に落ちていたロックオンの影がゆらり、蠢いた。何、瞬間頬に触れるもの、掌。あ、思う間もなく、頬を包んだロックオンの手によって刹那は正面を向かされる。そこにはしゃがみ込んだ男の、月光を孕んだ瞳があった。
「刹那、お前ホントに寝たほうがいいぞ」
「…………」
「酷い顔色してるの、気付いてないだろ」
「…………」
「刹那。返事しろ」
逃げを許さない声に逸らそうと足掻き彷徨っていた視線は引き戻され、ロックオンのものと絡まる。青い瞳、青い月の光に照らされて、そこに映る自分の顔も、青い。見えるままに月のせいじゃないのかと答えれば、刹那、更に咎める声が鼓膜を叩いた。戦場でだって滅多に聞くことのない、本気の怒りを含んだ声。反射的に肩を竦めれば、すぐに普段通りの声が男の唇から零れる。悪い。
しばし、沈黙が落ちる。刹那は滅多に自発的喋らない、のでつまり、これはロックオンの逡巡の時間だった。終わりは彼自身の溜め息によってもたらされる。
「お前はさ、気負い過ぎなんだよ。休めるときに休んどけ、な?」
「……そんなの、アンタも同じだろう」
しまった、と思った。沈黙を通せばよかったのだ。けれど先の台詞は、ロックオンは年上でマイスターのリーダー格で、そして刹那は子供で気遣われるべきものだという事実の象徴のように感じられたのだ。もういい。思わず零れた言葉はもう拾えない。だから刹那は勢いで、思うがままを口にした。真っ直ぐにロックオンを見返しながら。
「自分の限界はわきまえている。足を引っ張るような真似をするつもりはない」
「……それが気負い過ぎだって言ってるんだ」
一瞬、絡んだ視線が解けた。逸らしたのは刹那、ではなく、ロックオンで。躊躇うように揺れながら再び絡み合う。青い瞳に映る子供の顔は徐々に大きくなり、そこに差し込んでいた月光は影に呑まれた。重なった刹那とロックオンの影に。先程より明度を落とした虚像の自分が目を瞠っている。ああ、これは、
「……っ」
なん、で、キス?
「ぁ」
頬に触れていたロックオンの左手がするりと離れた。何故か追いかけるようにぴくりと震えた刹那の右手は、夜気にも温かい掌に包まれる。内心で安堵の息を吐く自分が理解できない。困惑する思考はしかし、一本また一本ともどかしく絡む指に持っていかれてしまう。その事実にまた困惑する。どうして。どうして、どうし、て? 刹那は答えを求めるように視線を彷徨わせるが、視界に映るのはロックオンだけだった。開かれたままの男の瞳は冴えた青。重なったままの唇を舐められる。そこで、解放された。
二人の間に再び月光が差し込む。ぎゅっと柔らかく圧迫される右手に、解放されたのは唇だけなのだと知った。だから、問答はまだ続いている。
「お前、どこを見てる」
神の御前に捧げる、硝煙、死、モビルスーツ、絶望、ガンダム、ソレスタルビーイング、その理念、紛争、硝煙、死、モビルスーツ、ガンダム、稀代の殺人者、ソレスタルビーイング、その、理念。まるでコラージュのように、様々な光景と単語が入り混じって貼り付けられる。イメージの奔流をやり過ごし、刹那は流れに取り残された小石のような呟きを漏らした。
「……未来を」
「俺たちが死んだ後の未来か?」
一呼吸の間も置かずに返され、刹那は思わずロックオンを睨みつける。当の本人はひょいと肩を竦め、悪びれもせず、遠すぎだな、そう付け足した。まるで茶化されているようで、かっとなって振り解こうとした右手はしかし緩い温もりに抗えなかった。
「お前、そんなに向こうばっかり見て突っ走ってたら、目の前の石に躓くぞ」
ゴールする前にリタイアしてちゃ意味ないだろ。
刹那は首を横に振った。解らない、そんなことを言われても。ずっとずっと昔から信じ込んでいた唯一つのよすが、神は、いないと知った。瞬間に出逢ったあの機体。そしてソレスタルビーイング、その理念。挿げ替えただけなのかもしれない、でもそれ以外の何かを考えることはできない。
本当に子供みたいだと思った。答えることもできずにただ首を振り続ける。右手がまた、優しく握りこまれた。左の頬に添えられたままのロックオンの手が刹那の前髪をかき上げる。さらりと滑る髪の隙間で、月の光が波打つ。
「ゴールってのは先を見据えて、その都度目標設定したほうがうまく辿り着くもんなんだよ」
「できない」
「できるよ、お前なら。試しに俺が一個、目標立ててやろうか」
確かめるように絡め直される右手。ロックオンの右手は刹那の頬を今一度滑り、おとがいに添えられた。軽く持ち上げられて、唇が軽く触れ合う。ロックオンは凪のような笑みを浮かべていた。
「まずはな、生きろ」
お前それも見えてないだろ? 俺たちが死ぬために戦ってるんだとしても、まずは生きてなきゃ進むこともできないんだよ。
解るか刹那、そう重ねられて、刹那は果たして頷けなかった。死というゴールのために生きることを目標にする、その矛盾。生など死へ向かう過程に過ぎないと昔紛争の最中で結論付けてしまった。だから考えても考えても、理解できない。率直にそう伝えれば、ロックオンは満足したように笑んで、次に、右手が、刹那を胸に閉じ込める。ロックオンの表情が見えなくなる、代わりのように、二重の心音がすぐ傍で響く。
「それでいいんだよ。お前は今まで考えもしなかったんだから」
「……わかった」
この男の言に素直に頷くのは癪だった、けれど。溶けるような心音。刹那は目を閉じる。まずこれが、生きているという、こと。握られたままの右手がじんわりと全身に温かさを伝えてゆく。寝ちまいな、ロックオンの声はぼんやりとしていてどこか遠くから聞こえてきた。微睡む思考は宙に浮き、ただ触れてくる体温と夜空から注ぐ月光だけを感じる。だから眠りに沈む直前に聞こえた声は、刹那の幻聴かも知れなかった。
『――Memento vivere.』
- (生きることを忘れないで)
2007.10.17
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