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空き家の世界

 夜空を煌めきながら舞い落ちるもの。
 まるで月の涙か、星の欠片のよう。
 美しく美しく輝いて、落ちる、墜ちる、堕ちる。一瞬で消えてしまう流星とも違う、もっとずっとゆったりとした儚いもの。
 刹那はじっとそれを見つめている。丸い赤茶の瞳に映る、夜空を背景に舞い落ちるそれは、更に美しく見える。景色を映しこんで煌めく瞳とは対照的に本人の表情は無感動そのものだが。
 当然だ。あれは月の涙だの星の欠片だの、口にするのも恥ずかしいような幻想的なものではない。ロックオンは肺に溜まった空気を長く長く吐き出した。吐き出しきってしまえば不足する、ので、夜気をまた肺いっぱいに吸い込む。新鮮なはずの空気はしかし澱んでいて重い。あれが舞い落ちる空、の下の空気。澱んだ気分を変えられるはずがない。
 幻想などとは全く以って真逆、苦いだけの現実の搾りかすであるあれが何故美しいのか、儚いのか。決まっている、あれは命の消える瞬間そのものだからだ。撃ち落とされ砕かれたモビルスーツ、その破片なのだ。美しく苦しいもの。人の命が無残に消えた証。
 刹那はまだ、じっとそれを見つめている。瞳に映るモビルスーツの断片はまばらに落下を続けている。ロックオンは一度目を閉じて、再び肺の空気を入れ替える。目を閉じさえすれば、物理的にだが苦い現実は遮断される。瞼の裏に見えるのは寸前まで見つめていた刹那の横顔、瞳の中で輝くともすれば美しいもの。今度はほんの僅か気分の転換に成功した。ほんの僅か、なのだが。
 ロックオンは目を開き、まず刹那をそっと見やる。刹那は気付いているのかいないのか、やはり煌めきを無感動に眺めている。ロックオンも夜空を見上げる。
「命の尽きる煌めき、か。罪深いな」
 現実を斜めに見て、重いような軽いような独り言を漏らす。それがガンダムマイスターたちのまとめ役たる自分の役割である。呟きに誰かの応えを期待しているわけでもない。ただ、例えば刹那からしてみれば兄貴分(だと、刹那自身が思っているかどうかは知らない。刹那がそう思っているのではないかと自分が思っているだけなのではあるが)であるロックオン・ストラトスは、そういう人間なのだ。ならば今はその役割を演じる。でなければ――偽りの自分を演じなければ、本当の自分がこの現実に耐え切れそうにない。
 ところが予想外にも、応えがあった。
「罪なんて誰が決めるんだ」
 この場には自分ともう一人しかいない。即ち刹那である。予想外だ、本当に。平生の刹那は自ら他人に関わろうとしない。驚いて視線を落とせば、夜空と煌めきを映していた瞳は真っ直ぐ自分に向けられていた。そこに映る自分は、一体どのロックオン・ストラトスだろう。本当に驚いているのか、指して笑いたくなるような表情である。
 ただし刹那は笑わなかった。刹那が笑うところなど見たことがないし、無論自分で自分を笑うのも虚しいだけなのでロックオンも笑いはしなかったが。笑い声の代わりに、淡々とした刹那の声が続く。
「戦争だ。殺人を罪と罵るのか」
「いや……まぁ、そんなヤツいたら滑稽だけどな」
 まるで責められているような気分になって、ロックオンはとりあえずこめかみを掻いた。まさか刹那が食いつくとは思わなかった。ただ辟易して、ああハロを連れて来ればよかった、空気の読めない機械音声がこの状況を打破してくれたかも知れないのにと、思考は逃げに走る。退路すら塞いで刹那は続ける。おいおい、こんな刹那見たことないぞ?
「誰が断罪を下すんだ」
「……そりゃあ善人ぶってる社会規範とか倫理とか、神様あたりが?」
 一瞬、間があった。
「神なんてそんなもの、いない」
 きっぱりと言い切られる。そんなにはっきり言っちまったら、ことあるごとに神を讃えてるアレルヤの立場がねぇだろ――という軽口は、叩けずに終わった。強気な口調と裏腹に、刹那は俯いていた。垂れる前髪の隙間から覗く瞳が、弱く震えているように見えたのだ。もし赤茶の瞳が未だに自分を映し続けていれば、そこには先程よりもっと滑稽な表情の自分がいるのだろう。
 自分だって神の存在を信じているわけではない。もし神様なんてものが、
「いるなら、世界は、」
 もっと穏やかで、こんなに血生臭く泥臭くない。
 消耗品か何かのように、簡単に人が死んでいくはずがない。
 果たして刹那が呟いたのか、自分が思考しただけなのか、(認めよう、)動揺したロックオンには判別できなかった。もっと正しく言えば、別のことに気取られていたのである。
 空を落ちるモビルスーツの骸より、ずっとずっと儚く見える少年のこの肩を抱き寄せたい衝動。そして触れてはいけない、これは美しく儚いものなのだからという警鐘。どちらに従うべきかと。
 結論を出す前に、刹那は顔を上げてしまった。酷く狼狽しているであろうロックオンを見て、刹那は何を思ったのか――ゆるりと頭を振った。拒絶ではない、それだけは見て取れて、またそう思う自分に再びロックオンはうろたえる。
「いや……忘れてくれ」
 どこか力なく呟いて、刹那はするりと隣を抜けていった。夜空の煌めきに完全に背を向けて。
 さくさくと土を踏む音が遠ざかり、独り残されたロックオンは空っぽの両手を広げた。視線を落としても、そこには何もない。あの肩を抱いてやればよかったのだろうか、そんなはずはないのに、そんな気がする。
 夜空では依然、苦い現実を見せ付けるかのようにジャンクが煌めいて墜ち続ける。
「……ああ、いないな。神様なんて」
 どうか。
 この世界が神の不在の証でありますように。
 そうでなければ、あまりにも。
「アイツが救われないだろ」
    Ahnest du den Schopfer, Welt ?
    2007.10.10